6月28日 ②

 試験監督をしているのは公務員ではないのだろうか?相手が公務員だと思って説明などを聞いていたが、何だか色々なことが抜けているうえ、しどろもどろで言っていることも聞き辛い。質問にもまともに返答出来ず、あちこち確認しに走り回り、試験開始は15分遅れた。寝起きで路上をうろうろしているような姿で会場に来ていた受験者からの質問とは、受験職種に関することで、私はあまりよく考えずに説明者が言うまま【事務】と記入していたのだが、正面のホワイトボードには【就職氷河期世代対象(事務)】と印刷された見本の紙が貼られていたらしい。後ろから3番目の席からその紙は見えなかったのだが、それを予め確認していた彼は手を上げたのだろう。残念な格好をしているが、彼のように細やかな気付きが出来る人こそ、採用されるに相応しい気もして来る。人を見た目で判断してはいけない。
 結局、彼の質問によって受験職種は【就職氷河期世代対象(事務)】に変えられた。そもそも同じ会場の別室で、就職氷河期世代対象ではない事務の試験も同時進行で行われている。
 説明者は訂正を促す際、「就職氷河期対象」と繰り返した。〝世代〟が抜けている。私は〝世代〟も記入したが、受験者の中には、それを書いた人と書いていない人とで分かれただろう。正解がどっちか知らないが、同じ点数の人間が二人いて、記入の違いで合否が分かれたとしたら、説明者の責任は大きい。
 こんな難解な試験問題をクリアしつつ、何十倍、何百倍もの競争率を突破してその立場に就いても、突っ込みどころ満載なミスを連発する〝公務員〟に、何故か私はよく当たる。その理由は謎でしかないが、試験に強い人間=仕事がよく出来るというわけではないのだろう。それを感じている人間は恐らく私以外にも多数存在している気がするが、だからといってこの試験システムは変わらない。果たしてそれは正しい事なのだろうか?
 
 雨の予報だったが、天気は曇りの狭間に陽が時折顔を出す。傘は無駄な荷物になった。朝が早く、天候の加減で駅までの送迎を頼んでいた母と合流した後、ホームセンターのフードコートで昼食を摂った。お金がなくてもまだこのくらいは何とかなる。楽しみのひとつでもなければつまらない。明日、死ぬかもしれないのだ。
 久々に普段使わない部分の脳みそを使ったらしく、帰った後はぐったりして寝入ってしまった。送迎だけで疲れたらしい母が更に眠り込んだことで、家事は私がする以外なく、働いていない=甘えは許されないことが戒めになる。出来ることはしなければ…と自らの尻を叩くが、疲れは想像以上だった。

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