びっくり暴言、それってあり?

 保育士時代に職場で仲良くなった十歳年下の友人は、保育士一年目だった当時、同じクラスを担当したベテラン保育士から、連日「この馬鹿たれが!」と叱られていたらしい。
「馬鹿たれ」などという言葉…なかなか関西では聞き慣れないが、そのベテランを知っている私達は、暴言なのに〝愛のある言葉〟と受け止め、度々語り草にした。実際、至極男前な性格をした人で、しかしすることはする、自分から動く、カッコイイ背中をばっちり見せて若者を教育するタイプ。敵がいるとすればそれは、現場における優先順位を間違えたり、自ら動かず口ばかりのものすごく説得力に欠ける管理職などで、後輩からの信頼は厚かった。上に立つことを嫌い、現役中、現場主義を貫いたことも、我々に「上に立つ者が出来た人間とは限らない」という現実を教えた。
 人柄や性格もあって、叱咤激励とは、十把一絡げではない。
「馬鹿たれ」と言われれば、傷ついて泣き出す人がいるかも知れない。友人のように「きゃー!ごめんなさい!」と、即座に返せる人なら言いやすいが、落ち込んだり黙り込んでしまうようなタイプには、指導する側も言葉に気を付けるだろう。かく言う私も、「馬鹿たれ」などと、他人から怒鳴られた経験はない。その程度で泣いたり傷ついたりするほど繊細ではないが、簡単に言えそうなほど、天真爛漫には見えないのだろう。内心、友人がちょっと羨ましいが、実際言われたらびっくり仰天して言葉が出ないかもしれない。恐らく私は堅いのだ。
 
 ある日、一年生の授業中、急用で担任が席を外した。
 本来、図書の授業中であっても、教職免許を持たない司書が一人で児童を見ることは許されていないのだが、多くの場合、それは〝臨機応変〟という言葉で片付けられる。その日も同じであった。
 元々、クラス自体が落ち着いていて、普段から問題が起こるようなことはなかったため、私も特に気負わず、いつも通り読み聞かせをして読書ノートに記録をさせ、ハンコを押してもらった児童から貸出をして一人読みする…という流れを貫いた。
 引き締める人がいない分、幾分か授業中賑やかであったが、特にトラブルが起こることもなく終業を迎える。担任は結局戻ってこなかったが、挨拶を終えた後、子ども達は大人しく教室へ帰って行った。
 放課後、職員室に戻ると、一年生の担任に呼び止められた。
「先生、今日はすいませんでしたー、ほんま」
「いえいえ、大丈夫ですよー」と私。
「なんか、N田のバカが泣いたみたいで!ほんますいません」
 N田のばかが泣いた…?
 N田のばかが…N田のバカが…N田の馬鹿が…?
 N田君は泣いていないし、馬鹿でもないが、N田君は馬鹿で…そして泣いたのか???
 いつ???どこで???
 考えること数十秒…いや、数秒か…。
「……先生…ごめんなさい…。N田くん、泣いたんですか…?泣いたことも知りませんでした…。すみません…」
「あっ、そうなんですか?いや~、なんか子どもら言うてたから、ご迷惑かけたんちゃうかと思って~!」
 担任はアッハッハと豪快に笑った。
 サバサバした女性教師だが、実は厳しい人である。椅子の上で正座してノートを書いている子どもの足を、無言で蹴飛ばして降ろさせたりする。ものを言わずにじろりと横目で睨めば、何かを察して改善しようとする子どもたちにしつけた人だ。
 N田のばかが…N田のバカが…N田の馬鹿が…。
「N田のバカが…」という言葉が頭の中でこだまする。
 そういえば、自分が小学生低学年の時、テスト中に教室を巡回していた担任に、思いっきり手の甲をつねられたことがある。しかも無言で…。
 静寂の中、声を発することを控えたのかも知れないが、つねられた理由が、鉛筆の持ち方の悪さにあったことは、子どもであっても察せられた。直接的に鉛筆の持ち方が悪いと指導を受けた記憶はないが、家では鉛筆も箸も上手に持てない不器用であったため、親にはよく注意されていたのだ。手の甲は痺れるほど痛かったが、それ以上に教師が恐ろしく、泣くことも顔を上げることも出来なかった。
 N田のばかが…N田のバカが…N田の馬鹿が…。
 きっと私も、教室の外では彼のように言われていたんだろうな…と想像する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?