3月12日

 仕事が決まらないのは、今がそのタイミングではないから…と、あるサイトに書いてあった。納得はするが、そう思いながら一年を棒に振った過去が身近にある私は、では、そのタイミングって一体いつ来るのだろう?と更なる悩みに陥る。働きたいと思って働けない。出合いたいと思って出合えない。そんな毎日に悶々としながら、一体いつまで待てば、そのタイミングとやらに辿り着くのか…と首を傾げる。
 多分“ものは考えよう”ということなのだろうが、待っているうちに困窮する以外道がない場合、それは妥協に身を任せて人生を棒に振る選択をせよと言われているようで、それこそ生きて行くのが嫌になる。
 生きて行くために、等しく就労の権利がある…とされている憲法は、その開発者である国によって必ずしも守られているわけでは無い。言うのはタダで、あとはほったらかし…って何なんだろう。
 コロナで仕事を失う人が増え、生きる道を断った人々は、どんな気持ちでいたのだろう。未曽有の感染症の蔓延で、女性の自殺率が増えたと、新聞か何かで読んだが、生きていられないほど将来に絶望する国民を、守れない国って何なんだろうと思う。
 私は今も生きているが、生きていることがしんどいと思う気持ちはずっとある。痛いのもしんどいのも嫌なので、辛うじて生きてはいるが、生きていることがしんどい時の方が正直多い。
 先日出先で見かけた心のヘルプ看板は、例えば電話を掛けたからって何をどうしてくれるのか…と疑ってかかってしまう。話を聞いてくれる人がいることが心の救いにはなっても、根本的な問題を解決してくれるわけでは無い。
 疑心暗鬼に陥る以外、出来ることがない自分がもどかしい。

 

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