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ぼくは雪が嫌い。

ここんとこ、マイニチ、ずいぶんまめに書いてるじゃねーか。
今日も、くだらない駄文をね、垂れ流させてもらうよ。


そう、ぼくは、暇だ。
雪が降ったんだ、すごくね。

ぼくは、雪が、嫌いだ。

滑るんだもの。
以前も書いた通り、魔の山にて雪で滑って側溝にホーリンワン事件から、ぼくは雪の日が怖くて仕方がない。

見たまえよ、この雪雲をば!
仕事に出かけるぼくは不安と恐怖でブルブルする。

ドンドン降ってくるじゃねーか。。。ドンドンドンドンさァ!

「申し訳ないのですがぼくは滑る可能性が低いうちに帰らせていただきます。」

帰る道すがら、三度も滑り、心臓はドゴドゴドラムってるってもんだ。
そうして早退してから、ここ数日、家にこもっている。


いつのことだったか、台風で都会の交通が停止しやがった日、ぼくは恐怖に慄いた。
「帰レナクナル」
そう、難民になったんだ。
会社の「帰っていいよ」命令を待ったがゆえ、逃げ遅れ、電車は完全に機能不全に陥り、ぼくは難民となった。
駅の構内には人々が溢れかえり、どこへ逃げてもギューギュー詰めだ。
気が狂いそうだった。

それから、震災などの「避難」を思うたび身悶えするほどの不安と恐怖に襲われた。人に触れることが耐え難い密集恐怖症のぼくは精神の危険を感じ山奥へ引っこんだ。
けれど、山奥の交通手段は、信用ならない我の運転する車のみ。
へっぽこ運転手のぼくは美しく舞う雪の中、ガチガチの轍に捕まり、側溝に落ちた。
誰もいない。
歩いて家に帰れるだろうか。
ぼくは不安になる。

まっこと運の良いことに一台の車が通りかかり、ぼくを家まで送ってくれた。。。
というのが、自称人間嫌いのぼくが他人のアリガタサを学んだ日だった。

このように、ぼくというニンゲンは生まれついて今もなお、非常に我儘な低脳者で、いつだって己のことばかり考えているロクデナシだ。
そんな役立たずで性格の悪いぼくに、優しくしてくれる人々。
都会にいると、「人間様」というカタマリでしか見ていなかったものを「個人」として接した時、その「善」に戸惑う。

ぼくは、「人間様」が、嫌いだった。

己が一番不気味な「人間様」のくせしてそんな危険思想がいつ芽生えたのかは知る由もないが、人に触れられるのが不快だというケッタイな性質が災いしていることは間違いない。
けれど、そんなキチガイが一方的に「カタマリ」で評価を下すことの愚かさよ、だ。
「白人」「黒人」「黄色人」「◯◯人」「男」「女」「大人」「子供」「動物」「人間」。。。
このような「カタマリ」について述べられることは往々にして誤りである、そうじゃないかい?
人間様は分類が好きだ。
人間様の脳の機能的に分類すると理解しやすいんだろう。
けれど、その理解は「真実」ではない、自己中心的な「偏見」だ。



「イヌってもんは。。。」
この分類の評価にポウくんはまるで当てはまらなかった。

なるほど、イヌは「種」としてはCanis lupusだ。
けれど、オオカミも「種」としては、Canis lupusだ。
そう、オオカミと、イヌは同種だ、繁殖だってできる。
イヌとオオカミの違い、それはfamiliaris、家畜化だ。
イヌはCanis lupus familiaris、オオカミの亜種で、家畜化されたオオカミってとこだ。


そうね、ポウくん、君の精神は「家畜化」されていなかったのだね。
そういうイヌは野犬に多い。
人間社会に慣れていないためにあらゆるものに不安と恐怖を抱く。
三子の魂ナントヤラで赤ちゃんの頃から人が育てても、ビビリってやつはつきまとうやつにはトコトンつきまとうもんだ。
闇のメスだって保護犬でビビリだっていったってそんなの可愛いもんよ、「個」によってまるで程度が違うんだ。
だったらなんだってわざわざそんな面倒くさい者と暮らしたがるのよ?
さあ、わからないよ。
世界的にトコトンビビってる「野犬の仔」というのも少なくはないだろう。
わざわざ「野犬の仔」を選んだ人はどうしてその子を選んだのかって?
それは、わからない、だろう。
たぶん、「その子のなかの野生に魅せられた」ってとこだろう。

いつもビビッてる、お留守番できない、病院に入れない、車に乗れない、粗相が多い、他犬と仲良くできない。。。

そうさ、面倒くさい問題犬、なんでわざわざそんなやつを選ぶのか?

それが「個」ってやつだ。
選ぶ方も、選ばれる方も。
すべてのニンゲンが「飼いやすいイヌ」が好きとは限らない。
すべてのニンゲンが「血統書付きのイヌ」が欲しいとは限らない。
ぼくらにも、彼らにも「個性」がある。
「イヌ」であればなんでもいい、なんでも同じ、じゃないんだよ、ぼくは思う。

ぼくはポウくん「が」いい。
わかったのは、ぼくは「イヌ」が好き、なわけではない、ということだ。
彼「が」好きだっただけなのだ。
彼は「イヌ」からも「ニンゲン」からもはみ出していたけれど、それが彼だ、ゆえに虜になった、彼「が」よかった。
ぼくには彼「が」必要だった。
ぼくが自然な「ニンゲン」で在るために。
ぼくがカタマリの「人間様」ではなく、個である「人」をみれるように。
彼が「人間様」に怯えるので、害のない「人」であることをぼくが知らせなければならなかった、そのためにぼくの「偏見」を捨てる努力が必要だった。
そうして、ぼくの思考の100パーセントを彼が占めることとなった。
ぼくと彼が同じ「ウムヴェルト」をみれるように。
ぼくが彼と同じ自然な「動物」で在れるように。

今、ぼくの脳みそはガラ空きだ。
ゆえに、彼なんかに関係ない本をじゃんじゃん読めるし、彼なんかに関係ないことをジャブジャブ考えることができるさ。


なぜ、独りは不安なのか、なぜ、誰かといたいのか、その誰かは「誰でもいい」では決してない、その誰かは決まっている、ただ、その出会いはまっこと不安なことに偶然に委ねられているんだ。




ぼくは、雪が、嫌いだ。
けれど、彼は、雪が、大好きだった。
彼が嬉しそうだから、ぼくも嬉しくなった。
ぼくは、雪が、嫌いだ。
雪が降ると、彼を、思い出す。