見出し画像

宙ヲ滑ル者



「ああァ、行きたくないなァ〜」


ぼくは、ぼやく。


散歩のことだ、あの闇のメスとの。

ヤツはいつもぼくの帰り(というか散歩)を待ち侘びている。
そう、ポウくんとはまるで違うのだ。
ぼくの車の音を知っていて、ぼくが家に着くとすでに出入口に張り付く、ぼくを確認し、飛び跳ねる。

釣り上げられたサバみたいだ。

まあ、ぼくみたいな鬼軍曹は、ピタリとシットしない者には扉を開けてやらんのだ、ゆえに次の瞬間、ヤツは任務を遂行する。



ポウくんと暮らすようになってから、ぼくの一日は散歩で始まり、散歩で終わった。
散歩に乗り気がしない彼はぼくでないと散歩に行かない(もっと言えばぼくでないと歩かせることができない)から。
闇色のメスだけになった今は、ぼくの任務は夕方だけとなった。
ラブリー系の彼女は誰とでも喜んで散歩に出かける。
死のロデオも踊らないし、歩きながらプロレスもしない。
強いていえば27kgの若く筋骨逞しい弾丸のような娘なので突然の引っ張り(サルとの出会い)に注意せねばならぬ、くらいだ。
ポウくんが危険度80なら、彼女は30くらいだろう。
言うなれば、彼女を連れ歩いたところでポリスに監視される恐れはないのだ。

そんなラブリーな彼女との散歩、ぼくはダルい。
炎天下の肉体労働から帰ってきて、クタクタだし、頭も痛いんだ。
そもそもさ、ラブリーちゃんは朝は隣人、昼はママとも散歩に行っているのだから別にこれ以上行くこともない気もするのだ。
メンドウクセ〜ナ〜

けれど、ぼくは行かねばならぬ。
雨でも雪でも平均5km。
ぼくらの散歩はヘビー級だ。
ダッシュ、止まる、またダッシュ、歩く。
いつもスラムダンクのゴリが指揮を取っていた練習を思い出す。
ゼーゼーいうし、汗がひどい。
けれどぼくは走る、彼女に合わせて。


かつて、この弾丸ガールの引っ張りはひどいなんてもんじゃなかった。
保護犬である彼女はリードで散歩されたことがなく、「繋がっている」ということがほとんど理解できなかった。
ゆえに何か興味を惹くものが目に入ると、秒的(病的)に突混む。
むろん繋がれているニンゲンは「グエッ!」となる、ほとんど鞭打ちだ。
ゆえに彼女から目を離すことは憚られた。

ぼくは、ぼくと繋がれた者から目を離すことをよしとしない。
これはポウくん先生にきっちり教え込まれたことであり、今ではそれを楽しんでさえいる。こちらがじっとみていると相手は気づくのだ。
ぼくはふたりでおのおの散歩するより、一心同体で散歩するのが好きなのだ。


長く短い間、ぼくはポウくんだけをみていた。
彼を隣に連れ、彼の挙動をいつもみていた。
もちろんそれは彼が異常なビビリやで、こちらの身の安全のために監視していたと言ってもいい。
けれど、散歩中にずっと彼をみていれることが嬉しくてしょうがなかった。
毛の流れや、筋肉の緊張、耳の向きや、目の様子。
彼の気持ち次第で、彼の見た目が変わると思った。
怖がっている時は痩せてみえ、表情も後ろに引っ張られたみたいに引き攣っていた。
安らぐと体が丸みを帯びてみえ、顔も緩んでぼやっと見えた。
少しご機嫌になると、シッポで指揮を取ってリズミカルに歩いた。
さらに乗ってくるとぼくを振り返り「行クヨ」という、そうしてあの独特な滑るような動きで走り出すのだ。
今でもあんなに表情豊かなイヌは他にいないと思う。
そう思うのもぼくが誰よりも彼をみていたからだろう。
ニンゲンの子供と同じように心を丸出しにしてた。
無能なボクザルはそれらのほんの一部しか学べなかったけど。
彼が楽しいのが何よりも嬉しかったから、散歩中のプロレスにも乗ったし、彼が走ったらそれを妨げないよう、死にもの狂いな走りを捻り出した。
あまりにも必死なゆえ、キチガイじみて見えたやも知れない。

どうにも重力に抗えそうもない中年が、汗だくで飛んだり跳ねたりしてごらんよ?ポリスだってギョッとするよね。
けれども、不審者の汚名を着ようとも、ぼくはポウくんの意向に添えるように己の老いた肉体に鞭打ったってもんだ。

大人という名のゾンビ、トキメキを産まなくなって腐敗し強ばったカチカチの重い身体と悪臭放つ精神。。。
何度でも言わせてもらう、
ぼくはポウくんにトキメイた。
彼を想うと良くも悪くも苦しかった。
彼の喜びを見たかった。
彼に少しでも近づきたかった。

必死になると、時に不思議なことが起こるのだよ。
重力が消えるのよ、フッ、とね。
そもそも華麗なる彼の走りに愚鈍なボクザルが追いつくはずもない。
この美しい動物のスピードに焦がれぼくは必死に走る、二足走行の限界に達し、無謀な決死の跳躍を繰り出す、すると、転ぶかもという恐怖も消え、音も消え、足が宙に浮く0. 何秒、彼のスピードがぼくを引き、無重力状態で空中を滑る瞬間がある。
その時、ぼくは彼と共に在ると感じた。
言いようもない喜びと感動でワァァァァァァ!となってこれこそが、「生きている」ことなんだと未知の発見かのように沸き立つ。
ポウくんが見せる「生きる喜び」がわかったように思える。

動物と子供(イヌと子供は本当に似ている)は、知っている。
それはものすごく単純でありふれているのだ。
けれど、世間の「価値」を後生大事に抱え込むぼくら頭でっかちのゾンビがいくら「幸せ」とかほざいたところで到底見つけられないものだ。

そう、「見つけられない」のだ。
どこにでも在るのに知覚できないのだ。
感度が老いているのだ。





メンドウクセェ。

ゾンビなぼくは臭い息でぼやく。

彼女はものすごい期待でどうにかなってしまうとばかりに哀れっぽい声で泣く。
ああ、行くさ。
それがぼくとポウくんの約束だから。

ボクラハナニガアッテモマイニチサンポヘユク


「走るということは何なのだろう。」

ぼくの大好きな哲学者のマークさんは言ったさ。
ぼくと君が散歩するのも、走るのも、健康のためとか、体力作り、だけでするわけじゃない。
ぼくと君は、共に在るために、共に喜びあうために、走る。


弾丸リルはもうひとりで突混まない。
ぼくと一緒に走ろうとしてくれる。
だからぼくも彼女に合わせてやりたいと思う。

今日、ぼくらは一緒に宙を滑った。
ぼくは久しぶりに宙を滑った。
今まで彼女に限界まで合わせたことがなかったから。
ぼくはワァァァァァァァァ!と、また「生きる喜び」を思い出した。
彼が教えてくれたことを、彼と共に感じたことを。
そう、「共に」感じている。
その時、彼らは目を輝かすから。

ぼくは想う、イヌと共に在る喜びを。
彼らが無知なニンゲンに教えてくれる喜びを。


この記事が参加している募集

新生活をたのしく