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視ル者



「いつもおんなじがいい。」



ぼくは思う。
ぼくみたいな者はそうなのだ。


ぼくはポウくんと暮らすようになって、全てが変わった。
今までの独りよがりな世界がぶっ壊れたのだ。
ゆえに、はじめの頃は、正直、辛かった。
けれど、ぼくは「視」ることを学んだ。

うちには昔から何らかの動物がいた。
犬もいたし、猫もいた。
金魚もメダカもいたし、ヒヨコもいた。
けれど、よく在ることだけど、ぼくは「子ども」で他者の責任を担う能力に欠けていた。
どこの家庭もよく在るように、動物の世話はママひとりに任された。
ぼくもたまには散歩に連れてもゆくが、うんこを片付けるのが嫌だったし、犬との散歩よりもゲームやテレビが気になって気もそぞろだった。
犬と遊ぶということがわからなかった。
犬の気持ちも分からなかった。
ぼくらのバスケに参加したがる彼女の声を無視した。
イヌの気持ちはぼくらとさほど変わらない。
今なら、あの時の彼女の気持ちが痛いほどわかる。


なぜか、動物の飼い方、愛で方を学校では教えない。
むろん家でも教えない、「お母さん」の良くて悪いところは、子供に教えることがうまく出来ずに、自分で全部やってしまうのだ。
今思うと、当時、親も今の自分より若く、何の知識もなかったのだとわかる。それでも「お母さん」というやつは「本能」で何となくやり方がわかるのだ、けれど、「お母さん」には忍耐力のない子どもにそれを教える「時間」がないのだ。

そうしてぼくはママから何も学ばないまま大人になり、動物不在の寂しさからまたイヌが欲しくなった。
今度はイヌの飼い方の本を読み漁り、知識も蓄えたはずだった。
けれど、生き物相手は教科書通りに行かない。人間の子育ても同じだろう。
そこには「個体差」という未知の落とし穴があるのだ。

教科書を崇拝するものは戸惑う、教科書には書いていない予想外の事態になす術もない。
ここで要求されるのは「経験」だ。
ぼくには「経験」がなかった。
イヌをちゃんと「視た」こともなければ、イヌにちゃんと「視られた」こともなかった。


ポウくんは「ゴールデンレトリーバー」ではなかった。「未知」のイヌだった。教科書に書いてあることのほとんどは通用しなかった、一言でいうと「変わったイヌ」だった。

まだ少年だった彼は、ぼくが見てるとメシを食わなかった。
そもそもしじゅう横たわったままで、ぼくらが見てると歩きもしなかった。
腹をすかしてかわいそうだと思って隠れたところにメシを置き、夜な夜な彼が食えるようにした。
それを見た隣人は「あいつ、引きこもりになってしまうな」といった。
ぼくはハッとした。なるほど、そうか、わざわざそうなる可能性を高めとるんだな。
それはいかんね、ぼくは反省した。
次の日からメシを皿に入れなかった。
ぼくの手に少し乗せ、彼に差し出した。
彼は食わない、非常に腹が減っているのに食わない。
彼は変なところで意思が強い、頑固なんだ。
さて、どうする?


ぼくも変なところで意思が強い、頑固なんだ。
そう、ぼくらはふたりとも「頑固者」だった。
ぼくは彼が食べるまで決して皿で出さないと決めた、ぼくの手から食べるしかない、と。
次の日、ぼくが差し出したメシを彼は食った。
成長期の彼は飢えていた、彼は誘惑に負けた。
彼の頑固よりも、ぼくの頑固が勝った。
それから毎日ぼくは彼を褒めながらメシを全て手からあげた。

そうして、さらにぼくの頑固さは増す。
彼から離れたところに座り、彼が「自分の意志で」メシを食いにくることを求めた。
ぼくからはもうメシを与えには行かない、彼が「彼の意志で」ぼくの元へ来ることを教えたかった。

彼は立ち上がりもしない。
けれど、幸いなるかな「ルンペン」なぼくには「時間」はたっぷりあった。

ルンペン
浮浪者。また比喩的に、失業者。「―プロレタリア」(浮浪労働者階級)

Oxford Languages


ぼくは一日中彼から少し離れた場所に座り、音楽をかけ、歌ったり、朗読したり、彼に話しかけた。

執拗に待っていると、彼の努力が視えるようになってくる。
立ち上がり、キョロキョロあたりの様子を伺い、脚を一歩出したり引っ込めたりする。
やっと踏み出して、ビクビクしながらメシを食う、あんまりビビるもんだから、メシは床に落ちる、彼はそれを拾うこともできない、ぼくは散らばったメシを拾い、また手に乗せる、彼は行きつ戻りつ近づく。

何日かすると、慣れてくる、ビクビクしているけれど、短時間で全部食せるようになる、とはいえ手に乗せるのは一口分だから、全部食うにも1時間ほどかかるけど。

すると、ぼくはますます執拗になる、さらに遠くに座り込むようになる。
彼は月面着陸する人類のように一歩一歩ゆっくりと踏み出す、数歩出る、急に怖くなる、寝床へ戻る、気持ちを整える、一歩出す。。。これを飽きることなく繰り返し、上手くいくとぼくまで到着できたりもする。

一ヶ月の間、ふたりっきりでこんなことをしていた。
一日中ぼくは座り込み「メシを食わせる」ことだけしてた。
もちろんたまにはコンビニくらいは行ったからその30分ほどの間は彼は独りになった。

彼が「退屈」して「恐怖」に陥らないよう、メシを部屋中に撒いて家を出た、帰ると、メシは一粒残らずなくなっていた、が、必ず「恐怖の下痢便」と飛び散った尿と咬みちぎられた靴やスリッパが横たわっていた。
しかし、不思議と彼は、イヌがよくやる家具やコードを咬むことはしなかった。危惧していた、壁一面に陳列された隣人の愛する本どもを「殺す」こともしなかった。何かにビビっていたのか、本質的におとなしい子どもだったのかもしれない。


そうして、ぼくにも慣れてきてくれたし、これ以上家での「引きこもり」はヒドイと、散歩を試みる。
彼は散歩を「異様に」怖がった。

ぼくの知る「犬」というものは、散歩に行きたくてしょうがない者だった。
ポウくんは彼女のように嬉々として散歩に出ようとしない、座り込んで動かない、引っ張っても動かない。
彼は頑固なんだ。
こうなったとき、どうする?
隣人は諦めていた、「行きたくないのだから無理することはない」という。
一見優しさ醸しだす、この言い分の裏にあるのは「面倒くさい」だ。


ぼくは「面倒くさく」なかった。
なんせ無職ゆえ時間はたっぷりあった。
毎日毎日ぼくは彼を何とか歩かせるようにちっぽけな脳髄を働かせた。
なぜって、しじゅう引きずって行くのは物理的に無理だから。
彼は重かった。
そんな「ルンペン」のぼくは彼を連れて毎日4時間、外をうろついた。
おやつを投げたり、おもちゃを投げたり、プロレスを仕掛けたり、尻を押したり。
距離はたいして伸びやしない、けれど、大事なのは彼が外界に触れることだった。
とにかく彼の意志で歩くように仕向けた。
道中ずっと餌を投げ続けることもあった、ゆえに彼は散歩中がごメシの時間、となることもあった。
それでも彼は散歩に行くようになった、いろんな怖いものにも慣れてきた、車が来ても落ち着けるようになった、ぼくと一緒に走るようになった。

彼は散歩を楽しめるようになった、ぼくにプロレスを挑み、「走ろう!」と誘った、笑顔を見せるようになった。


今、ディスり屋ニーチェくんを読んでて、非常に共感するところは、「意志スベシ!」だ。

いし【意志】
どうしても、これをしよう、またはしまいという積極的な心ぐみ。「―が強い」「―薄弱」。強いはっきりした意向
「神の―」

Oxford Languages


ぼくは、意志した。
ぼくは、ポウくんを放置しなかったし諦めなかった。
どうしてもぼくを視て欲しかった、どうしても彼と走りたかった。
もし、ぼくがあの時「時間」もなく、「執拗」でなかったら、ポウくんはぼくらにとって危険なイヌになったやもしれない。
だって、考えてもごらん、ぼくと同じ体重のどでかいケモノが「引きこもってる」なんて冗談じゃない。
彼もぼくもぼくの家族も重すぎるストレスを抱えたに違いない。

それにぼくを視てくれるようになった彼はコマンド(キュー)も理解した。
シット、ダウン、ステイ、ヒール、カム、ゴー、タッチ、アウト。

ダウン(伏せ)なんかは、教える気はなかった。
シットできれば十分だと思っていたからだ、けれど、ある日彼がおもむろにダウンの体勢になったので、「ダウン」だと言って、おやつをあげた。
すると、彼は「ダウン」を覚えた、拍子抜けするほど簡単だった。

ステイはかなり待てた。ご飯の支度ができるまで、ウロウロしないように教えたのだ、これは「オアズケ」とは違う、餌を目の前にして寸止めされているわけじゃない。
だから、外でもかなり待てた、ぼくが5m以上離れて隠れても、伏せで待てた。

むろん、トイレも覚えた。
うちは外トイレゆえ、トイレと思わしき時は外に出して「ワンツーワンツー」と掛け声をかける、すると、出す。
トイレを教えるのに、肉球が感じる質感が大事らしい。
「引きこもり」の時には風呂場に落ち葉を敷いて、そこをトイレと教えてたから、肉球が感じる落ち葉の感覚と、パブロフの犬的な号令でするのかもしれない。

部屋を荒らしたことは一度もないし、脱走を図ったこともなかった。
これは「群れ」がいつも家にいたからだ。
ぼくはポウくんのために両親と同居した。
ぼくとの二人暮らしの時は、ぼくがゴミ出しに行っても「恐怖の遠吠え」をした。独りの不安からしきりにぼくを呼んだ。
群れのメンバーが増え、ぼくが仕事をしだしても誰かしら家にいるため、彼は安心した、驚くほど遠吠えなかった。
イヌほど孤独に怯える者はいまい。
散歩のコースにも慣れ親しみ、イヌのトモダチもできた。
散歩中でも芝生に転がったり、柿を盗み食いする余裕もできた。
毎日がおんなじように過ぎていって、ぼくは幸せだった。



人間様は飽きやすい。
いつも新しい刺激を求めている。
そんな都会のチカチカしたスピードが苦痛だった。
都会にいた時もぼくは「いつもとおんなじ」を好んだ。
昼は毎日スタバでコーヒーとスコーンを食った。
夜は味噌汁と納豆ご飯だった。
何年も何年も毎日おんなじものを食った。
彼も「いつもとおんなじ」を好むことがわかった。
ぼくとポウくんは似ていた。
トモダチだって、数人、いや、一人いればいい。
たくさんの人が集まるところが怖かった。
彼は総じて「いつもと違うもの」が怖いようだった。
居間のカーテンが変わっただけで怯えて居間に入れなかった、ぼくなんかは全く気づかなかったのに。

ぼくらは毎日同じ道を行き、同じ人に挨拶し、同じものを食う。
それで満足だった。
彼の本心はわからないけど。



ぼくは彼を視ていた。
彼に「視る」ことを教わった。
神の意志を汲みとろうとする、ということ。




彼が見えなくなって、彼がいないのが「いつもとおなじ」になる。
そんな「いつもとおなじ」は、いつもぼくを悲しくさせる。