部屋から死んだ祖母のにおいがする(ひきこもりの日記#1)

 先週、両親が三日間大阪へ出かけていた。死んだ祖母の実家へ遠出して、貰うものや捨てなければならないものを持ち帰ってくるためだ。整理するまで僕の部屋に置くことになったが、エアコンが壊れていて、もわっとした夏の部屋に漂い始めた祖母の実家のにおいには、なんとも言えないものがある。

 祖母が死んだのは二年前の初夏だった。それまで母と父が交代しながら、時には同時に介護に出かけていたのだが、家で猫と二人きりで過ごしていた僕にはまったく無縁の話だった。はっきり言うと、僕は祖母が死んでも、身内が死んだ悲しさを味わわなかった。ただ、祖父と祖母が作り上げていた小さな一つの世界が、まるでいくらの薄い膜が破れるように静かに壊れ、その後には何も残らないことのどうしようもない虚しさ、死ぬことのむなしさを普遍的なものとして感じた。

 僕はどうにも、物事を具体的にとらえず、いつでも抽象的にとか、普遍的に感じる癖がある。エピソードを書こうにも、どうしてもその具体的な内容に踏み込んでいくことよりも、どう感じたかとか、何を学んだかとか、そちらのほうに興味が向いてしまう。二十歳になったころ、小説を書いてみようと思ったことがあったけれど、その理由からか全く書くことができなかった。これは僕の病気なのかもしれない。

なにをしてすごしてきたか
一日ふりかえってみたけれど
あまりに今日はぼんやりしていて
想えば僕は
僕の暮らしは
0歳のころから今日までずっと
ぼんやりしていたんじゃないか

自詩(2015.11)

 地球温暖化や海面上昇はもはや定型句のように報道され続けているものの、七月にピークを迎えたのか、ここ最近はいやに涼しい日も多い気がする。あるいは外に出ないから、いまいち夏の暑さを実感することがないのだろうか。よく考えてみると今夏は、例年以上に部屋から出ていない。四月以降では、思い出す限りではたった三回しか家から出ていない。

 去年の暮れ頃に、さすがにこのままではダメだと思い、バイトを必死に探して、俗に言うリゾートバイト、実態は山奥に籠って行う清掃作業を始めることにしたけれど、二週間であきらめて帰ってきてしまった。その後も、いろいろバイトを探して面接を受けたりしたけれど、落ちたり、受かったけど結局始めるのを挫折したりと、いろいろあった後に、四月になってからはもはや、何をやる気もなくなってしまい、それから四カ月間も部屋に籠っている。

 十年間以上のほとんどの時間をひきこもっていると、だんだんやることがなくなってくる。海外サッカーを見てみたり、クラシック音楽を聴きまくったり、映画を見まくったり、時間をつぶすためにいろいろ試みてきたものの、最近になっていよいよ何もやることがなくなってきた。去年は一年間かけて英語の勉強をしていたものの、TOEICを受けて以降、半年ほど勉強をやめていたから、最近はYoutubeで英語の動画を見るようにして、少し錆を落とすことにしていた。

 言語学習には主に二通りの方法があって、そのひとつは参考書を読んだり単語帳を読んだりする意識的な学習だ。効率的かつ短い時間だけ学びたい僕の好きな方法で、去年一年は主にこの方法で学んでいた。もうひとつは、ひたすら英語の本を読んだり、動画を見たりする多読・多聴という方法で、この五月から八月までは、この方法で学んでみていた。

 学ぶといっても、Youtube上の英語の動画を字幕付きで見続けているだけなのだが、三か月続けたところ、参考書で学んでいたのとはちょっと違うかたちの成長を感じるようになってきた。ひとつはリスニングがほんの少し向上したこと。去年はリスニングの勉強は全くしていなかったから、聞いているだけでも多少良くなるのは当然だ。また、英語を読んだり理解するスピードが以前より上がった。以前は何度も動画を見返して内容を確認していたが、最近は(字幕さえあれば)すらすらと理解できるようになってきた。

 今の自分の課題はとにかく聞き取れないことだから、今後もしばらく多聴を続けてみて、どのくらい成長するか見てみたい。昨日見つけた「The Memory Palace」というPodcastが面白そうなので、各10分、全200エピソードほどを日課として聞くようにしようかと思っている。

 先週、メールボックスを見ていたら、NHK交響楽団がユースチケットの年齢制限を、29歳まで引き上げるという知らせがあった。僕は今冬で30歳になるけれど、今年の一年だけは恩恵を受けることができる。ユースではチケットを半額で購入することができるから、僕のようなニートにとっては蜘蛛の糸だ。

 去年、ブロムシュテットという指揮者が、僕の大好きなブルックナーの曲を振る予定だった。しかし体調を崩してしまい、結局公演は取りやめに。あまりに残念だったが、今年また来日してシューベルトの交響曲を振るというので、その日程が発表されたときからぜひ行きたいと思っていた。

 N響のコンサートは本来の値段でも、ほかの楽団のコンサートと比べると破格だ。ユース割引を利用して、9月のコンサートと、10月のコンサートを購入したところ、二枚で、たった2800円。映画を見に行く金額で、生の楽団のコンサートを聴くことができるのだ。楽しみの少ない人生に、来月と再来月の楽しみができた。

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