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はんぽだけ進んでみたんだ。

ひとまず、導入文。
長くなってしまった。


「半歩だけ進んでみたよ。」
しおあじのはなし

こんにちは、こんばんわかもしれないし、おはようかもしれないけれど。
今きみが手に取ってくれている、小さな本、「 hanpo」を作った人の一人で長野市に住んでいる「しおあじ」 といいます。はじめまして。少しの間よろしく。
これを読んでいるきみは「大人」についてどう思っているだろう。僕が小学生の頃の大人のイメージは しっかりしていて、かっこよくて、正しい。そんなイメージだった。
もちろん、そうゆう大人もいるけど、みんながみんなそうゆう大人ばかりじゃない。
きみのそばにいる大人たちだって、ほんの少し前まで、きみと同じ年の頃があって頭を抱えてうーうーと呻 っていた時期だってあったと思うんだ。僕だって、きみから見たらもう大人だと思うけど。僕だってその一人 だった、この本はそうした、10 代くらいのきみが、もし何かに悩んでいて人に話せないことがあったときに、 もしかしたら、同じように悩みをもった少し先にいる人の言葉を届けられたら、きみのその悩み少し軽くな ったりするんじゃないかな?と思って作ってみた。

じゃあ、僕の話を少しだけするね(詳しくは note にこれからも書いていこうと思う)
僕は小中学校の頃いわゆる「不登校」だった。 (僕はこの言葉がいまだに好きになれないけど、この言葉 を使うね。)
不登校になったきっかけを僕は長い間忘れていた、ほら、誰だって嫌なことは忘れたいもんだろ?でも冗 談じゃなくて忘れていたんだ、すっぽりと、そのあと向き合うことになるまではね。きっかけは「いじめ」だっ た、小学校の頃の僕は体も小さくて、あまり体を動かすのが得意ではなかった僕はクラスの男の子たちに は遊びには誘ってもらえなかった、よくからかわれたし、仲間はずれにもされていた。その頃からだんだん と学校が楽しい居場所ではなくなっていった。学校に入る前、「学校に行ったら楽しいよ」「小学校ではた くさん遊べるよ」「お友達もたくさんできるよ」なんて言われて、みんなの共通認識になっていた。なのに、 それを楽しめないのは、僕がおかしいんじゃないか?。僕を信じられなかった。たぶん、僕がおかしいんだ。 そう思っていた。そう思って学校(社会)への不信は持たないようにしたかった。だってこわいじゃん 。
4年生になって担任の先生が変わって、クラスの中にあった仲間外れや、いじめがひどくなった、それか ら、かなりショックな事件が起きて僕は学校に行けなくなった。
行かなくなってしばらくするとクラスの友達からの手紙が届けられるようになった。
きっとそれは担任の命令でクラスの誰かが書かされているだけなんだけど。それが怖かった。それから 大人が怖くなった。近所の大人、お店の人、近所の公園で遊ぶ子たちが、自分を監視しているような気が していた。お店に行けば、「おい、学校はどうした?」公園に行くと「外で遊べるなら、学校に行けるんじゃ ない?」とか。どんどん僕の
行ける場所は少なくなって、家にいる時間がどんどん多くなった。ひどい人間不信になって死にたくな っていた。
それから2~3年の時間が過ぎる。(その間も結構しんどいことは多かった。けど省略)

に引きこもってから僕は時間をかけていくつかの居場所に出会った。1つ目は不登校の子どもたち をもつ親の会。そこはずいぶんと楽だった、自分のように学校に行かなくなった子のことをある程度理解 してくれる大人の集まり。
2つ目は、当時長野にあったフリースクール。同じように学校から離れてきた仲間や変わった大人たち に出会ったりして、僕は徐々に自分の行ける居場所を増やすことができた。
それぞれの場所で、それはそれでいろいろあったのだけど、まだ居場所が学校しかないと思っていた頃 学校は子どもながらに社会の縮図だと思っていたから、行かないといけない場所だと思っていた時は自 分がとてもダメな子だと思っていたし、正直、僕は今でもそのことを負い目に見ているところがないといえ ば嘘になる。でも、あの時学校にいられないと思ったから、僕は外に出た。外に出て自分で自分行ける場 所を選ぶことができたから僕はずいぶんと救われたと思っている。僕らが居場所にできる場所は学校だ けじゃない。

さて、僕が今何をやっているかというと、僕と同じように学校に居場所を見つけられなかった同志たち の居場所
「フリースペース」で働いている。学校に行けなかったあの頃、同じように悩んでいた仲間たちと、自分 たちのように、
学校以外の場所で仲間を作れるよいうに、と思って。そうゆう意味では僕は夢をかなえているのかもし れない。

僕はこれまで、自分と同じように不登校の子ども達にとって、どうしたら居心地の良い居場所ができ るのかと考えてきた。でも多くの子どもたちと接するうちに気づいたのは、不登校の子ども達だけが生き づらさを感じているわけじゃない、学校に行っている子達も学校に行かないという選択肢が無い子達はも ちろん苦しい。でもそれだけじゃない、僕は自分の置かれている状況に「不登校」というカテゴライズをさ れていた、でも、不登校が社会問題として認知されて表面化されることにより、ある種仲間と居場所を与 えられたと言えなくもない。では、それ以外の子はどうなんだろう、
まだ社会問題として表層化していない、もっとマイノリティな事情を抱えた子たちは、どうしたら居場所 を持つことができるだろう、どうやったら自分と同じ思いを持った仲間を作ることができるのだろう。どうや ったら、この気持ちを届けられるかな、と思って、これを作って届けることにしたんだ。自分たちの過ごして きたこと伝えることで、誰かの助けになるなら、とね。
でもそれだけじゃない、これを手に取って、少しだけ気持ちが楽になった、と思ったら、それを僕らにも教 えてほしい。それだけで、僕らは救われるんだ。きみも僕らを救うことができるんだ。
もしよかったら、これからも、僕ら半歩先にいる仲間の声を読んでみてほしい。

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