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何度でも読み返したいnote4

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何度でも読み返したいnoteの備忘録です。 こちらの4も記事が100本集まったので、5を作りました。
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#母

ごめんなさいを、言わなかった。

これは自分のために書いているのかも しれない。 きっと自分が楽になるために。 そうすることがいいことなのか どうなのかわからない。 SNS的でなにかを書くということ その向こうに誰かが読んでいる ということにまだ不慣れなのかも しれない。 とりわけ家族について書くことは なんども自問してしまう。 人はいつか記憶を失うものだし。 そばで暮らしている大切な人が 覚えてほしいことを忘れてしまう ことに今年からずっと直面している。 時々、記憶が揺らぐから

アレですから、ごゆっくり。

三月最初の週末、両親に会いに行った。 少し春めいてきた休日の電車の旅は、車窓も車内もおだやかでのんびりしている。 今回のビールのお供は、とろたく巻き。うまい。大正解。 この至福の時間だけでも、出かけてよかったと思う。 家に入ると、雛人形が飾ってあった。 元々は豪華絢爛七段飾りだったが、両親が地方移住する際にお内裏様とお雛様だけとなった。 私の初節句のために祖父母が用意してくれたもので、人形の街として有名な埼玉の岩槻まで買いに行ってくれたそうだ。生まれたばかりの私に注がれた

思い上がりの青空に

大変お恥ずかしい話なのだが、今も、両親からお年玉をもらっている。 社会人になってからもずっと。今年も。 四十路を過ぎた娘が、七十代の親からお年玉をもらう。 定収入のある娘が、年金暮らしの親からお年玉をもらう。 都心で気ままに暮らす娘が、地方で慎ましく暮らす親からお年玉をもらう。 どこをどう切り取っても、世間的にアウトなのは明確だ。 毎年、「もういらないよ」と断ろうとするのだが、「いいからいいから」と強引に握らされる。「あげられるうちは、あげたいから」と。 もちろん、もら

「母のカレーと消防カレー」

 昭和が終わる頃、魚屋で生計を立てていた我が家。昼夜を問わず、繁盛していた記憶がある。  その頃、私はカギっ子の小学生。自分で玄関のカギを開け、飼っていた猫に「ただいまー」と言うのが日課だった。  いつも忙しく店で働いていた元気な母は、「半ドン」授業の土曜の朝、「お昼はこれを食べとってね」と優しく私に伝えた。でも、それは残念ながら、出来合いの惣菜やカップ麺だった。  私は、母の美味しいご飯が食べたい、いつもそう願う食べ盛りの少年でありながら、それをねだることができない気の小さ