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いつかグリーフカフェをはじめたい

私はいつか、大切な人を亡くした方たちがお茶をしながら、安心して自分の思いを語り合える「グリーフカフェ」を開催してみたいと思っている。

私自身、自死遺族の分かち合いの会に何度か参加したことがあるけど、嫌な思いをすることもあった。私が主催者だったら、もっと配慮するのに。
一度、途中で退室したことがある。それ以来、参加できなくなった。

グリーフの勉強をしている時、グリーフカフェの主催者だかファシリテーターだかをしています、という人にお会いしたことがあるけど、その話を聞くチャンスはないまま、もう会えなくなった。


数年前、ある講座で、「余命数週間だとしたら何をしたいか」を書いてくる課題が出た。残された日々を、どんなふうに過ごしたいか。仕事を休めて、お金はいくらでも使える、どこへでも行けると仮定していい。

次の講座で、受講生は皆、自分が書いたことを発表した。誰に会うとか、どこへ行くとか。
他の受講生の趣味や家族の様子がわかり、人柄がみえてくる。他の方たちは、家族、友人との楽しそうな予定をたくさん入れていた。

私には、指定の課題用紙を埋められるほど書くことがなかった。
自分でも驚いたことに、たいして、したいことがなかった。

欲しいものもなく、むしろ物を捨てておきたい。
海外の思い出の土地にもう一度行きたくなるかと思ったら、行きたいのは公園で、散歩して花やカモが見たい。
もう生きられない設定だけど、自分で始める私にしかできない仕事がしたい。
なるべくうちで過ごしたい。ベランダで土いじりをして、おいしいコーヒーや紅茶、お菓子を楽しみたい。

なんて、つまらない人生の終わり。
だけど私は本当に、そんな風に過ごしたい。

そしてもう一つ。
私は「カフェを開く。差別されがちな人達が、人目を気にせず一日中過ごせるカフェ。」と発表した。

あと数週間しか生きられないのに開業してどうするのか、と思うけど、当時の私の「死ぬまでにやりたいことリスト」から、外せないものだった。
看護師の私が、カフェでどんな役割ができるのかも不明だけど。

それを書いた時に想像していたのは、たしかこんな感じだ。
疾患や家族の事情などが理由で生きづらさを感じている人たちが、笑顔でのんびりお茶をして、ひとりの時間を楽しんだり、隣の人とスモールトークをする。独り言も、何度も同じ話を繰り返すのもオッケー。
そして時々、ピアサポートグループ(自助グループ)の分かち合いの会が開催される。
そんなカフェを想像していた。


私がいう「カフェを開く」というのは、起業して飲食店をしたいのではなく、そういう場を作りたいということ。
その願望は、今でも持ち続けている。
余命が短くなくても、もちろんやってみたい。

喪失の哀しみや後悔で辛い思いをして生きている人たちが、たまに集まって、自分の思いを話せるグリーフカフェ。
どんなグリーフかはあまり限定せず、初対面の人同士でも、それぞれが自分の喪失体験についてリラックスして話せるカフェ。
そして、この場で話したことは他に漏れない、お互いが信頼し合う、安心できる場。

時には、自死遺族の分かち合いの日とか、震災被災者と遺族の日、認知症の方と介護者が集まる日など、同じような経験をしている方が集まって話せる会も開こう。

そこが、おしゃれなカフェではなく小さな公民館の一室だとしても、部屋にはコーヒーのいい香りがして、甘いものも食べられる。
その頃には、私は植物療法にもっと詳しくなり、心身の状態に合ったハーブティーをお勧めできるようになっている。


いつか、本当にグリーフカフェができたらいいな。
まずは、思っていることをこうして書いたり、口に出したりする。
信頼できる場で、適切なアドバイスをくれそうな人に出会えたら、この夢を話してみることから始めよう。


問題は、私の言う「いつか」って、いつ?

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