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鳴らし続けると言うこと、青木裕がdownyに遺した"優しい呪い"

 6月に本来開催される予定だったdownyツアー「雨曝しの月」東京公演。当時は、コロナ禍とは言え、一応緊急事態宣言明けの日程であり、誰もが心のどこかで「この頃にはまた以前の日常に戻れているのではないか」という淡い期待を抱いていたように思う。しかしながら、厄介な疫病は今日まで猛威を振るい続け、終息する気配は一向に見えない。11月の今になっての延期開催ということも、きっと彼らが考え抜いた末の決断だったのだろうし、僕自身も感染のリスクと、ほぼ1年ぶりに体験する生音でのライブという2つを天秤に掛け、結局自己責任の下、参加することにした。

 会場となったWWWXでは、入場前にオンラインで問診票の入力を求められたり、入場後も検温やマスク着用の徹底、チケットもぎりすらもセルフで行わせるという念入りな感染症対策ぶりが取られていた。フロアの床は、テープで正方形に区切られており、1人が1マスに収まることで、ソーシャルディスタンスを確保。コロナ禍以前のライブ会場の姿からすれば、何とも異様な光景であるが、新しい日常、このような対策を取ればまたライブが観られるようになるのかと言った新鮮な知見と、どうにかしてライブを開催したいという彼らの苦慮を感じるようであった。

 予定どおり7時半ちょうどにライブは開演。少し緊張した様子のメンバーがステージに現れる。発声についても制限されているため、観客は無言のまま、待っていたとばかりの拍手でメンバーを迎えた。記念すべき1曲目に鳴らされたのは最新アルバムから「コントラポスト」。鍵盤とシンセの幻想的なイントロから始まり、徐々に曲はバンドサウンドを帯び激しく展開していく。SUNNOVAを迎え入れた彼らの今を象徴するような1曲だ。

 序盤は、第七作品集の楽曲を中心とした構成であった。いつものように一見して卒なく、ストイックに次々と演奏をこなして行くメンバーたち。観客たちは、それに静かに応える。曲間のシンとした深い静寂(元々downyファンは静かに演奏に聞き入るタイプの人間が多いが)。決してそれは、会場が盛り上がっていないというわけではなくて、誰もが本当はこの日を待ち侘びて思うところがあるに違いない。だからこそ、今はステージ上の彼らを静かにただ見守る。それはどこまでも温かな静寂であった。

 MCでは、珍しく青木ロビンが長時間、自分たちのことを話した。この日のライブを開催するに至った本当の理由。それは亡き青木裕から託された3つの約束があったからである、と。

 1つ目は「自分がいなくても決してライブを飛ばさないで欲しい」。これは2年前、青木裕が逝去したまさにその日に開催されたライブ、「砂上、燃ユ。残像」のことを指す。あの日、ライブ会場で彼らを観た時、いつもよりもしんみりとした空気に包まれたメンバーや、震え気味な青木ロビンの声が気掛かりであったが、終演後にはじめて、青木裕が同日午後、既に亡くなっていたことを我々は知ることとなった。青木ロビン自身も「忘れられない日のはずなのに何も覚えていない」と語るそのライブは、僕にとっても未だに記憶から消えることはない。急遽、SUNNOVAをはじめて迎え、開催されたあの日のライブにより、彼らは青木裕との1つ目の約束を果たしたことになる。

 2つ目、「映像作品を残して欲しい」ということ。これは流石に前述のライブで果たされることはなかった(そのような余裕はあの時彼らに当然なかったはずだ)。彼らが今回、生配信を企画したり、後日映像作品の制作を予定したりしているのは、この2つ目の約束が大きいということ。

 そして、3つ目の約束。「自分がいなくなってもバンドを続けて欲しい」という約束。これこそが彼らにとっては最大の果たすべき約束であり、メンバーの逝去。コロナ禍という逆境すらも跳ね除けて、前進を続ける何よりもの理由であるように僕は感じた。

 亡くなる少し前、青木裕は自身のTwitterで「僕の代わりはいないと言ってくれたメンバーに心から感謝です」と綴っている。また、青木ロビンも直近のインタビュー記事内で「新しいギタリストを入れないということはメンバーの総意である」という趣旨の内容を話している。もしかしたら、青木裕以外のギタリストを迎え入れ、新たなdownyを始動させることの方が彼らにとってはよりイージーな選択だったのかもしれない。しかしながら、そんな中でも彼らは青木裕という存在を尊重し、SUNNOVAと共に、downyを続けていくことを選択した。青木ロビンが苦笑いしながら、「これも裕さんの優しい呪い」という言葉で表現したことこそが、何よりも彼へのこの上ないリスペクトを感じさせるものであった。

 MCの結び、青木ロビンは「そんな風に僕たちはこれからもやっていくんです」と、まるで自分たちに言い聞かせるようにぽつりと呟き、続く曲「下弦の月」をアコースティックアレンジで歌い始めた。

下弦の月は、暗闇を穿つ
行こうぜハニー
君を見てるさ 月が見てるさ
君がみたいのさ 月と見てるさ

 亡き青木裕に語り掛けるかのようなその歌声が、会場を優しく包み込んだ。約束通り自分たちはこれからも続いていく。心配することはない。そう、宣言するかのような素晴らしい名演であった。「裕さんは気にしいな人だったから」と青木ロビンは語る。あちらの国にいる青木裕も、きっとその演奏に耳を傾けていたに違いない。

 全体の演奏としては、本人たちも言うように、久しぶりのステージになかなか本調子が戻っていないようにも感じたが、終盤「海の静寂」「左の種」「曦ヲ見ヨ!」「弌」と続く、定番曲が鳴らされる頃にはすっかりといつも通りのdownyのライブの様相であった。言葉すらなくすような完璧なアンサンブルに呆然と立ち尽くし、聞いているだけで思わず笑いが零れてしまう。圧倒的な没入感。それこそが、僕がはじめてdownyのライブを観た時から変わらないことであった。

 本編終了後、普段はアンコールに応えない彼らが、会場限定で「猿の手柄」と「安心」というこれまた定番曲をこっそり演奏してくれたのも、このような状況下でライブに訪れてくれた観客たちへの心からのお礼だったように思う。ライブが終わっても鳴り止まない拍手。歓声こそ、そこにはないものの、誰もの心の中で、最大級の賛美の想いが溢れていたことであろう。

 音楽を鳴らし続けると言うこと。彼らに掛けられたその優しい呪いは、もしかしたら、永遠に解けることはないのかもしれない。しかしながら、そんな優しい呪いを真摯に受け止めることを選択した彼らの姿が、今はただただ頼もしく思えて仕方ないのであった。