エモいに頼り過ぎている価値観

 こんにちは。勉強してたら急にアジカンのソラニン流れてきて泣きそうになった。普段は勉強中あんま聞かないけど、作業的な、メモしてるときとかそういうときは聞く。無音でやってるとイライラしちゃうから。そしたら流れてきた。エモいなおい。

 はのとです。初めまして。


 私は軽音楽部に所属しています。大学4年生です。まだまだ現役。ライブをすることがメインの活動ですが、ライブ中だったり練習中だったり、いい音楽を演奏したり聴いたり、いい演奏を見たりすると、つい発してしまうのが「えっも」という2文字。3文字?

 初めてこの言葉を使ったのは、たぶん大学1年生のとき。これも部活関連で、合宿中かな。銀杏BOYSってご存知でしょうか。暑苦しくてかっこ悪くて最高にロックなバンド。練習中に自然と出た、「エモい」という言葉。

 JKのときとか、エモいって言葉は知ってたけど、全然意味が理解しきれなくて使ったことはなかったです。でもその合宿中、「あ、エモいとはこれだ」と直感を得て、それ以来、「エモい」を乱用しながら生きてきました。


 つい先日も、自分は忙しくて出なかったけど、後輩たちがやっている部内ライブを見に行って言いました。「えも」。この2文字に込めたい想いが強すぎて、だけど適切な日本語が見つからなくて、もうこれしか言えないんです。エモい以外の表現方法を知らない。

 例えばさ、今もまさにそうなんだけど、特に音楽を聴いているとき。エモい音楽がこの世の中には多すぎる。さっきこの記事を書こうと思い立ったときに聴いていたのは、Galileo Galileiの『嵐のあとで』という曲です。

 1年生のとき、ほぼ喋ったことのない4年生の先輩に誘われてGalileo Galileiのコピーバンドを組んだときにやった曲。4曲中の3曲目で、バラード枠というか、しっとり枠でやったこの曲。特にCメロが大好きで。

 曲自体もエモいけど、3年前のライブを思い出して余計にエモくなる。こんな感じで、エモいって結構、自分自身の経験とかも絡み合う非常に難解な感情なんですよね。


 先日、終電を逃して大学の前の広場で一晩明かしたということがあったんですけど、

 夜明けが近づいて、少しずつ明るくなってきた時間。大好きな同性の2個下の後輩と座って話していたら、後ろから別の後輩が私たちの写真を撮っていたみたいです。あとから見たら、登りかけの朝日に照らされる私たちエモすぎて言葉を失いました。

 音楽以外でもあるよね。エモいって。なんだろう。朝日だけでも結構エモい感じするけど、後輩たちと色々な込み入った話をしながら、私は今年で卒業だから、卒業しないで、なんてどうしようもない駄々をこねられながら、そんな風に時間を過ごしたという事実も重なって、エモい。

 夜の広場なんて本当にエモくて。本来いるはずのない場所に、本来いるはずのない人たちと一緒に過ごす時間。それも、大好きな後輩たち。私と一緒にいたくて残ってくれた後輩たち。そんな愛おしさが爆発して、エモいに昇華される。


 じゃあそもそもエモいってなんなんだ。少し前から母がエモいを勉強している。なんだそれ。なんのためなんだ。何かあるごとに、「これエモい?」「これは?」と、好奇心旺盛な幼稚園児みたいな頻度で聞いてきます。エモいは人によって違うと思いつつ、「あーそれはエモい」とか「全然エモくない」とか、私の尺度で測っています。

 結局なんだ、エモいって。使っている本人はいまいち言語化できません。でもさ、言葉ってそういうもんじゃね。だいたい帰納的に学ぶでしょ、語彙って。辞書を読んで、ふんふんこんな言葉があってこれはこう使うんだ、なんてならないでしょ。なるかもしれないけど。

 だいたいは、幼児の言語獲得と同じ原理ですよ。テレビで見たり、人が使っているのを何度も繰り返し聞く中で、意味を解釈して使う。辞書的な意味じゃなくて、文脈で。文脈の中で学ぶ。

 だから勘違いとかが起こるんですよね。これってこういう意味だったんだ、みたいなやつ。いちいち辞書引かないからね。なんとなく、知らない言葉は文脈で意味を察するからね。そりゃ間違いも起こります。

 あとさ、言葉って変化するでしょ。例えばほら、やばいとか。やばいって昔は、というか最初は、形容詞として使われてたと思うんです。この猫やばい、みたいな。やばいの修飾対象は名詞の猫です。だけど最近は変わってる。あの車やばい早い。ここでの修飾対象は、名詞の車じゃなくて、動詞の早いです。あとほら、この猫やばい可愛い、とか。これは、形容詞の可愛いを修飾しています。

 何が言いたいかって言うと、最近のやばいは、形容詞だけじゃなくて副詞としても機能しているわけですよ。こうやって言葉は変わっていく。ここでさ、「やばいは形容詞だからやばい可愛いはおかしいよ」なんて面倒くさいこと言わないでしょ。間違った使い方なんじゃなくて、新しい使い方なんですよ。


 でも、新しい使い方と間違った使い方っていうのも、また区別が難しい。結局最終的には、個人的な尺度だからね。大勢が正しいと認識している意味から逸脱すると、間違い。でも、大勢が許容できる意味の範囲内では、新しい。そんな感じだと思う。

 何度も言ってますけど、言葉っていうのは変化するもので、いつまでも古い言葉の意味しか許容できないと生きづらいですよね、きっと。ある種、変化に対応できないと。言葉の変化、これからもっと加速していってもおかしくないからね。


 でさ、話あまりにも逸れたけど、エモいっていつから主流な形容詞だったですか? 私の記憶によると、高校生の頃、つまり6年程前ですね。その頃に初めて聞いて、そっから見かけることが増えていったような気がする。

 だから、もしかしたらエモいはまだ意味も曖昧なのかも知れない。定着するようなはっきりとした意味がまだできていないというか。というかそもそも、crazyみたいに、なんでもありみたいな語なのかもしれない。受け取り手次第みたいな。crazyがそんな感じかはそんな分かんないけど。

 私的には、心がぶわってなったらエモい。ほら、こんな中途半端な定義しかできない。自分の語彙力の乏しさが悔しいですね。いや、語彙力マスターしてたらエモいに頼らなくても最適な表現ができるのかもしれない。今んとこ、amazingとかwonderfulとかしか私には分かりません。


 ただ言えることは、私はエモいが大好きです。エモいという言葉、きっとこれからも使っていく。頭悪そうでもいい。それが、私が1番納得できる表現だから。文句あんなら、エモい以上にしっくりくる表現教えてください。それに納得できたらエモいやめます。


 とか言って、エモい以外の表現に興味津々。もう少し真剣に考えてみようかな。

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