アーティストに理想像を押し付けるエゴってさって話

 こんばんは。今日はね、ゼミの先生に質問をしたら、相変わらず鋭いですねと言われました。オンライン上の質問だったので文字しかないんですけど、先生に褒められるの本当に嬉しい。私、そんなに能力ないから。ない知恵振り絞った結果を褒められると、認められた気がしてにやけます。気持ち悪いですね。

 はのとです。初めまして。


 最近ね、中高で好きだったアーティストに回帰してます。きっかけは、サブスクが解禁されたこと。CDは持ってたけど、サブスクの上にCDインポートして昔失敗したので、怖くてCDのまま置いてあります。だから携帯に入ってなくて、聴く機会なかった。

 サブスク来たときはもう熱量も昔ほどじゃなかったけど、辛うじてメンバーのお一人のTwitterはフォローしていたので気が付くことができました。それで、あ、聴こって思って聴いたら、当時の思い出とかが曲と一緒に蘇ってきて、それ以来再熱です。熱っていうか、まあ聴いてるだけなんですけど。

 中学生で好きになって、高校生のときが熱量のピークでした。ちょうどね、多分台頭の時期だったと思います。人気がピークに向かっていく時期を見ていました。今どれくらい人気なのか知らないですけど。もしかしたら今がピークなのかも知れないけど。

 男性二人組の音楽ユニットなんですけど、曲の世界観はもちろん、歌声、そしてお二人の関係性がとにかく素敵で優しくて、その雰囲気にのまれました。ライブにも何度か行ったと思います。

 どことなく自信なさげで、悲観的で、でも、そういう人間っぽい部分が好きでした。こんなにすごい人でも、根は普通の人間なんだって。それが努力だったり周りの人の支えでここまで大きな存在になっているなんて、素敵すぎる。そして、その支えの第一人者が相方なんてさ。私がもともと好きだったのはその相方の方なので、誇らしいというか、もうとにかく素敵としか形容できない。

 互いに互いが必要で、支え合いながら鼓舞し合いながら、高め合いながら活動していく様子が好きでした。ライブで見られる仲の良さも、見ているこっちが嬉しくなってしまうような温度感。生放送とかでもそういうのは見られて、放送がある日はルンルンで家に帰っていました。懐かしい。ただひたすらに、オタクでしたね。

 きっかけがなかったと言うと嘘なんですけど、基本的には自分の忙しさに比例して、少しづつ距離が空いていくようになりました。その頃は受験を控えていたりで、全体的に趣味に対する興味が薄れていたのもあったと思います。その流れで、些細なきっかけもあった彼らと、空いた隙間はその後埋まりませんでした。

 変わらず好きではありました。時々曲を聴いたり、片方のことはずっとTwitterフォローしていたり。ほとんど読み飛ばしていたけれど、フォローしていれば情報は入ってくるわけで、「あ、こんなとこでライブするんだ、すごい。」「うわーこの主題歌か、すげーな。」「今度はこんな企画か、おっきいな。」とかね。日常にさりげなく混じり、何の気なしに些細な感情を抱いたり。

 それでここ一か月、というか数週間、かな。部活、あ、軽音楽部なんですけど、それである曲をコピーすることになって、どんなアレンジがあるのかなって調べていたんですよ。そしたらかなり上位に彼らの動画があって。ちょうど彼らの音楽に再び引きこまれていた時期だったので、興味津々で聴きました。そこからが本当のスタートだったと思います。

 過去見ていた動画を見たり、ライブ映像を見たり、好きだった曲をプレイリストで聴いたり。日常に少し、という枠を飛び出して、メインイベントになっていたんです。彼らの音楽を聴くことが。

 それでね、昔好きでよく聴いていたラジオ動画とかも思い出したので見て、彼らの話し方とかも思い出して。あーそうそう、この関係性とこの温度感。そう、これだよこれ、懐かしいな、なんて思っててね。

 そして今日、よーし課題やるかーとパソコンを開いたと同時に、無意識にTwitterを開いていて、ちょうどツイートを見つけました。私が最初から好きだった方の。どうやら今現在、生放送を行っているみたいです。私が好きだったころから時は流れ、生放送の媒体も大きく変わっていました。変わった媒体では初めて、そしてたぶんだけど、3,4年ぶりに彼らの生放送を見に行きました。

 最初はね、課題もあったから、少しだけって思って覗いたんですよ。そしたら一瞬でね、耳を疑う二文字が聞こえたんです。なんだと思います?うざいですねすみません。答えは「俺」です。

 あのね、その方は普段から一人称は俺だし、話し方も男らしい感じだったんですよ。で、もう一人の方はね、ずっと「僕」だったんです。たまーに「俺」って言うときがあって、わー珍しい素が出たー、って軽く感動する感じだったんです。

 それがさ、普通に俺って言うの。それもね、心なしか口調というか、話し方も少し男性っぽくなっていて。いや、今までも普通に違和感ない話し方でしたよ。でも、なんかこう、雰囲気が違ったんです。私の知っている彼の話し方と、今の彼の話し方とで、全然違う。形容は難しい範囲の差ですけど。

 驚いて、私は課題そっちのけでTwitterを開きました。「〇〇 一人称 俺」で検索したらさ、どうやら二年程前から徐々に変わってきたということが分かりました。

 私は深読みオタクなので、本当の意味で素を出せるくらい、今生きている世界が安心できる場所になったんだ、と感じました。一人称然り、話し方然り。きっと私が知っていたそれは作られたもので、作られたは言い過ぎだけど、なんだろう、肩に力が入ったもので、今の姿が実際の彼の様子に近いんだろうなって。

 で、日々追いかけてきた方々にとっては、自然な変化だったかも知れません。でも、私にとっては突然の変化だったわけですよ。そんな些細なことで、って思うかも知れないですけど、結構衝撃的だったんです。どのくらいかっていうと、高校卒業と同時に同級生が結婚したくらい。分かりづらい。

 その後も、流れで過去の放送のアーカイブを少しだけ見たんですけど、やっぱり話し方は変わっていました。一瞬だけじゃなくて、普通に変わってた。一人称ももちろん。

 すごく、自分の考えをはっきり明瞭簡潔にっていう感じで。それは昔からそうだったけど、それがさらに鋭く多量なものになっていました。それでも、裏に見える気遣いだったり倫理観だったり常識だったりは変わっていなくて。変わったものと、変わっていないもの。どちらも同じくらい発見しました。

 たった数分間見ただけでね。すごいよね、過去の記憶って。しかもあの熱量だったから、本当に鮮明に、しかも自分でも気持ち悪いくらい覚えている。やばい。

 本題はこれです。その過去の像を、今の彼と重ねている私の今の感情はなんなのかって。よくアイドルとかバンドの古参でさ、昔の方がよかった、みたいな、あるじゃないですか。でも、それって結局自分の好みで、それを人に押し付けた瞬間からエゴで。SNS等で発信すれば一瞬でエゴです。そういうのって、きつい。

 だってさ、理由なく変わるわけないじゃないですか。時代背景だったり、環境だったり、時間と共に変わる感情だったり。要因は色々あるし、それらが複雑に絡み合って、人は少しずつ変わったりするんですよ。それが、アーティストとか有名人だと、さらに人気という尺度も加わって、顕著に見えてしまうだけだと思うんです。

 昔の方が好きだった、と思うのは個人の自由だと思います。でも、それを理由に今を否定してはいけない。あなたが好きだった過去があって、今があるのよって、言いたい。

 つまり、私は彼の変化に戸惑いはしたけれど、私が知らないこの数年で、きっと小さな変化がたくさんあったんだと思います。それをね、その変化をね、事実として受け止めるだけで十分だと思うの。それ以上も、それ以下もいらない。

 私はもう大学三年生で、じきにハタチも終わりを迎えます。きっと大人の目から見たら、私も変わったと思う。少なくとも小学生の頃から比べれば、随分卑屈でずるい人間に成長してしまった気がする。でも、そういう変化って普通のことで。過去を振り返っても仕方ないからね、今の自分を精一杯に愛すしかない。

 そんな感じで、もしかしたら変わったのは彼じゃなくて私かもしれないということに今更気が付きました。私もまだまだですね、原因をすぐ他人に帰属するなんて。


 私の知っている過去と、私の知らない今。どちらも同じ人間で、そして、私が愛した音楽に変わりはない。だから私はこれからも、時々この場所に戻ってきて、その度に当時の記憶や熱量を思い出してセンチメンタルになります。

 明日は授業昼からだから、もう少しだけセンチメンタルに浸ろう。そんな夜もたまにはいいじゃない、なんてね。

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