昔ほど、何かに熱中できないって話

 小学生の頃。初めて好きなものが出来た。それは、五人組の女性アイドルグループ。何故好きになったか、いつから好きになったのか、具体的なことは覚えていない。でも、そういうものではないだろうか。気付いたら目で追っている的な、片想いのそれと何ら変わらない。

 中学生の頃、そのアイドルのファンクラブに入って追っかけた。散財した。14年間貯めていたお年玉の大部分がなくなった。でも、今でも後悔していない。好きなものにお金を使うことが、今は出来ないから。

 中学生の頃、そのアイドルと同時並行で、アニメや声優、ボカロや歌い手といったいわゆる二次元界隈にハマった。友人の影響だった。二次元が好きなことがかっこいいとでも思っていたのかも知れない。三次元なんて!みたいなイタいことをずっとのたまっていた。

 中学生の頃、アニメイトが行きつけだった。電車で数駅先のそこへ、足蹴なく通った。通っては、理由もなく大して知りもしないアニメのものも合わせて購入した。先日リサイクルショップに持っていったら、全部で10円だった。

 中学生の頃、まだそこまでメジャーじゃなった歌い手というものを知った。すぐに好きになった。アニメだって声優で選んでいた私だ。声に魅力がある人は、すぐに好きになってしまう。歌だけに留まらず、生配信を聴いて、それだけで満たされていた。要は、推し、が何人もいた。

 中学生の頃、ボカロ界隈のあるグループにお熱になった。その頃にはアイドルのことなど忘れ、一直線だった。恋愛の歌、ありきたりの恋愛の歌。でも、恋人がいながら恋愛に飢えていたどうしようもない当時の私には、羨ましい歌。

 中学生の頃、そのグループでキーボードを担当している方にご執心。最初は顔も分からないその人の、音に惹かれた。魅せられた。音が綺麗で、優しくて、繊細で。言葉で表現しようとすることが傲慢なのかも知れない。それくらい、素敵な魅力があった。初めて行ったライブでは、グループのライブなのにキーボードにばかり、目も耳も集中してしまった。

 中学生の頃、別件で邦ロックに興味を持ち始めた。邦ロック好きはボカロ上がりが多いというが、実際にそれを証明してしまった訳だ。今でこそミーハーな若者が大好きなあのバンドに、相当熱中した。

 高校生の頃、隣の席の子が同じアイドルのファンだった。忘れかけていたそのアイドルに再熱しつつあった。彼女とは高校時代一番の友人となり、二人で追っていた。楽しかった。一緒にライブこそなかったけれど、カラオケでアイドル縛りをしたのは楽しかった。

 高校生の頃、初めて歌い手も出演するある動画サイトの大型フェスに参加した。楽しかった。幸せだった。沢山泣いた。素敵な歌声、演奏、それらで耳が満たされた。それ以降、歌い手のライブにもよく参加するようになった。

 高校生の頃、火が付きかけていた邦ロックに本格的にロックオンされた。若手から伝説の活休バンドまで、一旦通った。結局、その伝説の活休を始め、それ以外は大抵若手の勢いのあるバンドにハマった。というか、初めて行ったフェスで、フェスの楽しさを知ってしまった。

 高校生の頃、年越しのフェスに参加した。お目当てのバンドを前方で楽しんでいたら、いつの間にか身体中痣だらけだった。それもそう。そのバンドのファン層は30代男性を中心とする。そりゃ、17歳146cmが混ざればあざの5個や6個当たり前だ。何故か私はそれを、勲章だと思った。

 高校生の頃、波こそあれど小学生の頃からなんだかんだずっと好きだったアイドルが、4人組になった。信じられなかった。彼女たちだけは、卒業なんて知らないと思っていた。勝手なことだ。何事にも、絶対なんてない。人生、何が起こるかなんて分からない。それを始めて実感した出来事だった。

 高校生の頃、大好きだったアイドルがテレビに映ると、チャンネルを変えるようになった。そこに、私が大好きだったあの子はいない。私に、何年間もずっと笑顔と元気、そして勇気を与えてくれたあの子はいない。理想の女性だった、その子はいない。

 高校生の頃、全身全霊全財産かけて楽しもう、という気力がなくなった。それ以降、何にもハマれなくなった。一線、無意識に画してしまうようになった。何にしろ、ハマり過ぎないように、勝手に自分の中で、好きと相反する気持ちを作り出していた。

 大学生になった。軽音楽部に入って、楽しかったバンドを再開した。高校生の頃は数回しかライブが出来なかったが、大学生の部活は活動の幅が広かった。楽しかった。なんでも出来た。でも、本物のアーティストのライブや、あんなに大好きだったフェスには行かなかった。

 大学生になった。尊敬してやまなかったキーボーディストに距離を置いてしまった。グループがメジャーになるのと同時に、彼の人気も爆発的に上がった。女性ファンが多くつくようになり、彼は自分の魅せ方をきっと覚えた。音ではなく、自分の魅せ方。そしてそれに喜ぶファン。私が大好きなのは、彼の音なのに。人柄なのに。そんな安売りをされては困る。こうやって、相反する気持ちを作り出しては、一線を画す。

 大学生になった。ボカロが社会的に認められるようになった。それは、私にとって違和感だった。ボカロは、大人に少し迫害されているくらいが丁度いい。それが私の感覚だったから。でも、まさに迫害されていた当時のことを考えると、今の子は幸せだな、羨ましいなとも思う。私も、堂々と楽しみたかった、家でも遠慮なく聴きたかった。家族とのカラオケでも、映像を気にせず歌いたかった。でも、今はもうあの頃の熱量で大好きだと言えない。

 大学生になった。あるアニメが社会現象になった。みんなが知っていた。グッズは各地売り切れ。新しいことが始まればまたすぐに売り切れ。大混雑。映画に合わせてテレビで一挙放送していたのを見た。家族で見た。面白かった。映画を見に行った。面白かった。

 大学生になった。好きなアニメが出来た。でも、自分の財布のひもは緩まなかった。それに、どこか好きになり切れない自分がいる。母の購買意欲に便乗するくらいで精一杯だった。

 大学生になった。大好きな漫画が出来た。とっくに連載終了している漫画。最終巻まで出ているその漫画を、母が爆買いした。キャラクターの個性が光っていて、話も面白くて、すぐにハマった。でも、一番好きなキャラクターは誰?という質問に、すぐに答えられなかった。やっぱり、一線が消えてくれなかった。

 大学生になった。もうどれくらい、自分の趣味にお金を使っていないだろうか。どれくらい、無趣味なのだろうか。広く浅くといえばいいのだろうか。どこまでハマれば趣味だと言える?大好きになって、趣味になって、でもそれがもし突然なくなってしまったらどうする?届かなくなってしまったらどうする?何で埋めればいい?
 この一線が消えない限り、私の趣味はずっと空欄。

 大学生になった。あの頃の熱量が懐かしい。

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