将来の夢とかだらだら語り合いたいじゃんって話

 お久しぶりです。はじめまして。すみません、大学生って忙しいんですね、忘れてましたよ。大学に通うってこんなに大変だったんですね。この間、1年以上ぶりに再会した大学の同期、っていうか私にとっては姉さんなんですけど、彼女に言われました。久しぶりに。

 「はのと~~!今日も2時間かけて大学来たの?偉いね~~~!!」

 いいですか。これは、決して私をばかにしているのではないのです。本気です。本気で彼女は、私を褒めてるんです。大学に来たことを、褒めているんです。

 彼女がおかしいのではありません。やばいのは完全に、100:0で私です。大学に来るだけで褒められるようなすっとこどっこいなんです。いやね、これでも成績優秀で学部奨学金とかもらっちゃってるんですよ。それにも関わらず、友だち、姉さんの前では赤ん坊です。

 1年生のとき、往復4時間、終わらない課題とプレゼン準備、というか怒涛のプレゼン地獄、そんなこんなで追い込まれまくっていた私が、辛うじて大学に無休で行けていた理由。それが彼女たち友人です。友だち最高。

 友だちは少ない方です。昔からね。量より質の権化みたいな感じです。数は少ないけど、誰にでも誇れるような素敵な友人です。くじ運が相当いいみたいです。真面目に生きてきてよかった。

 でね、1年生の初めの頃。大学始まってばっかり、周りは知らない人ばっかり、授業についていくのが必死だったあの頃。必死なのは今もでしたごめんなさい。あの頃、私は素敵な友人が3人出来ました。みんな絵に描いたようないい人。一人は自分に自信がなくて、でも可愛くて。自分に自信持てなくてすぐ悲観的になるところが私とそっくりな子です。2人は、姉さんたちです。そんな私たちの面倒を見てくれる頼もしい姉さん。

 精神的に弱い私たちを、些細なことで褒めてくれます。よく見ていてくれて、髪を染めたり切ったりするとすぐに気が付いて褒めてくれます。すっぴんで平気て大学に行っていたあの頃、たまにメイクをしていくと、一瞬で飛びついてきて褒めてくれます。可愛いよって。苦手なメイク頑張ったねって。

 泣きそうなくらいいい人たち。私にはもったいない。3人とも、みんな。幸せになってほしい。人の幸せを願ってしまうほど、彼女たちが大好きなんですよ。

 で、彼女たちとは、たまに将来の話もします。最近は現実味を帯びてくるのでしませんが。迫ってくる将来が怖くてじりじり逃げています。逃げられるうちは逃げさせて。まだ夢見ていたっていいじゃない。

 そんな感じで、みんなで将来の話をたくさんしました。

 私は、高校の先生になりたいんだ。先生は小学生の頃からの夢で、高校の英語の先生になりたいって思ったのは高校生のとき。きっかけはひとりのろくでなし先生。ろくでなしだけど、英語が大好きで、どんな意地悪な質問にも最後まで向き合ってくれて、たくさん議論してくれた先生。いつか一緒に働きたいんだ。

 彼女たちは、キラキラした目で私の話を聞いてくれました。大学生にもなって、キラキラした目で将来の夢なんて、おかしいですか?やめて。おかしいって言わないで。いつまでも、夢くらい持っていたい。

 はのとならなれるよ。
 はのとが先生になったら、生徒にすごい人気出そう。
 はのとの学校に子ども通わせたい。

 冗談半分本気半分。だけど、やっぱり目はキラキラしていた。他人の将来を、楽しみにしてくれた。大学生って、将来から目を背けたくなったり、働くことへの漠然とした不安とかがあったり、何かと大変。でもね、彼女たちのあの目は、本当の目だったと思うんです。

 私だけじゃなくて、姉さんの一人は具体的な夢を持っていました。コロナ禍で少し難しくなってしまったけれど、それでも姉さんは前向きにたくさんのことを考えていて、かっこいい。諦めない、そんな意思が見えて、本当にかっこよく見えました。私も、そうみられてたらいいな。

 もう一人の姉さんともう一人の友人は、まだまだ漠然としていたようです。でも、漠然とはしつつ、ちゃんと頑張ってる。決まらないから、どう転んでもいいようにたくさんの業種を研究して、たくさん勉強して、いつか来るその日に備えてる。かっこいい。

 夢を持っている人、夢ではなくても将来のために頑張っている人。なんてかっこいいんだろうなって。綺麗事だよね~そう思われたって仕方ないのは分かるけど、私にはどうしてもそう見えてしまうんです。勝手に。

 私、昨年の夏にtwitter見るのやめたんですよ。あちこちで争いが起きていて、自分は関係ないのに知らない内にそれがストレスになっていたんです。もしかしたら同じように思っている人、いるかも知れませんね。Twitter見るの辞めたら、簡単に元気になりました。簡単に、色んなことを前向きに考えられるようになりました。

 そしてこの間の冬。私、ブログ始めようと思ってそのときにTwitterのアカウントも作ったんです。久しぶりに見ました、Twitter。やっぱり、その世界は何も変わっていませんでした。火がなくても煙が立つような世界。

 だけど、再開してしまったものだから、見てしまうんです。PCからだけでしたけどね。でもそのあと、春になって、部活のTwitterの管理を先輩から引き継ぐことになり、遂に携帯にTwitterを復学させました。そこからです。やっぱり、気持ちが落ち込むことが増えました。見なきゃいいのに、見えてしまう。部活のTwitter無駄に色んな人フォローしているから、目に入ってしまう。

 で、見つけてしまったんです。教師ブラック過ぎて無理、みたいなタグ。そんな露骨な表現ではなかったけれど、だいたいそんな感じですよ。苦しかった。悲しかった。教育現場がブラックなのは知っていますし、承知の上で、それ以上の熱意があるから目指しているんです。

 今まさに、目指している最中なんです。もちろん、そんなマイナスな意見を見て捨ててしまうほど、軽い気持ちではありません。でもね、苦しいんです。自分が言われているみたいな気持ちになる。苦しい。誰も悪くないのに私がお世話になった、いつも笑顔だった先生たちも、裏ではこんなこと考えていたのかな。そんな風に思うと、やっぱり苦しい。

 SNSをやっていて、いいことなんてない。推しとか失ったから、その類の供給を得られるわけでもないし。

 見ていて、ネガティブな感情しか出ません。それがよく目に入っていた時期は、本当に辛かったです。何もかもうまくいかなくて、本当に、SNSが日常生活に支障をきたしていました。

 で、少し落ち着いた今、考えるんです。

 教員は、子どもたちの将来を作り上げる手伝いをすることが仕事。私はそんな風に思っています。勉強だけではありません。人として大切なこと。人との関りとか、家族の大切さとか、色々。そういうのを、自分の生涯を通して教えたいし、自分も学んでいきたい。あわよくば、子どもたちの将来に何かしらの影響を与えられたらいいな。もっと願わくば、はのと先生みたいな英語の先生になりたい、なんて言われたら、そりゃ教員冥利に尽きますよ。

 そういうのを目指しています。綺麗事ですよ。綺麗事。そう見えますでしょ?そんな理想だけで上手くいくわけないなんて、そりゃ分かってますよ。でもさ、始める前から理想を捨てるなんて、過酷すぎませんか。

 自分の目で見て身体で経験して、それで判断します。教員が誰にも勧められない職業なのか、はたまたかっこよくて最高の職業なのか。自分で判断しますから。いいですから、外野は黙っててください。数年後、潰れていたら、そのときはそのときです。でも、今はそんな未來見えません。

 教壇に立って、授業始まって20分くらい雑談で過ぎちゃって、次から頑張ろう、なんてごまかしながら子どもたちと一緒に笑って、一人一人に向き合って、悩みを一緒に背負って、もちろん授業も疎かにしないで、みんなが英語好きになってくれるような授業作って、人気者の先生。いつでも周りは子どもたちで溢れかえって、そんな先生。数年後、私はきっとそんな先生になってるよ。

 でさ、時々恩師と飲みに行って、上司の愚痴とか聞いてもらって、でも結局教員って最強だよなって笑って解散。家に帰ったら大好きな旦那と美味しいご飯。はあ、私って幸せだな。これ以上の幸せはないや。あ、でもそろそろ子どもも欲しいな。

 なんて気の早い妄想をしています。はかどりますね。今もこれ書きながらちょっとにやにやしてきました。これだけで機嫌が多少治るのだから、私は銀魂の神楽くらい簡単ですね。あ、スラムダンクの花道の方がいいですかね。ジャンプ好きなんですよ。

 まあ、私は絶対に、誰に何を言われても教員になるし、最強の教員になるし、それで幸せになりますから。見ていてくださいね。

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