最後に心を開いてくれたr へ

最後に心を開いてくれたr へ

 元気にしてますか?相変わらずあっちへこっちへ出費が止まらないようですが、変わっていない様子にホッとします。

 rと出会ったのは高校の部活。同じ部活で、だけど、ちゃんと話すようになったのは高校二年の冬くらいだったかな。自分の感情をしっかり伝えることが苦手なrと、それを察して遠慮してた私の相乗効果で、本当に時間がかかった。

 rは部活に一生懸命で、真っすぐで、周りが見えなくなるような子だったね。団体ではなく個人で戦うものだったからこそ、人に弱みを見せたくなかったのかな。単純に見せられなかっただけかも知れない。ストイックなrには、どこまで冗談を言っていいか分からなかった。どこで切り替えていいか分からなかった。

 二年の春、私が部活に復帰しても、rとの距離感は以前のままだと感じていた。一年の頃からあんまり話すこともなくて、そのまま。挨拶はするけど、話はしない、みたいな。私とrが最初に部室に着いたときは気まずかった。私だけかも知れないけど。

 大会前後、色々問題が起こって、私たちは一緒に一つのことを成し遂げようとした。上手くいかなかったけど、相当の時間を一緒に過ごした。今まで部活に参加してなかった私は、率先して辛い役目を引き受けた。rは、その次に辛い仕事を引き受けた。一緒に作業をして、多少は打ち解けられた。

 初めてrと二人で帰った日のこと、曖昧だけど覚えてる。緊張してた。ちゃんと話せるかって。たった10分の道のりも、もっともっと長いものに感じられた。だけど、暗くなった狭い道で、二人以外誰も歩いていない道で、rは正直な気持ちをぶつけてくれた。私に対するものではなく、自分が抱いている葛藤、部活への心意気、他にも沢山。
 言葉はとても繊細だった。ふっと息を吐いたら飛んで行ってしまうような言葉。細くて、弱くて、だけど、確実にrの心が紡ぎ出している言葉。口からではなく、心から。

 そこがきっかけだった。春の終わり。少しずつ、私とrの距離は縮まっていたと思う。だけど、本当に友だちだと胸を張って言えるようになるまでは、もう少しかかった。rは本当に難攻不落だったよ。

 二年の秋。顧問の先生の産休に向けて、ビデオを作ろうってなってから、私たちの怒涛の日々が始まった。企画と撮影、編集は主に私が担当した。他の部員は、大会も控えていたから。

 そんな撮影に、沢山アイディアを出してくれたのがr。遅くまで残って、一緒に考えてくれたね。勿論大会への練習も同時進行で、rは本当に強いなって。

 撮影したのは、先生方へのインタビューと、旅立ちの曲に乗せたPV。本格的な撮影と編集は初めてだったけれど、お世話になった先生のためなら頑張れた。みんなもそう。みんな、先生が大好きだったね。

 最終下校時刻まで練習するrと、最終下校時刻まで編集する私。他にも部員がいるときはあったけど、その期間は二人で帰ることが多かった。覚えてるかな。どうかな。
 rは、練習で気が滅入っているのが分かるテンションだったよ。毎日毎日。だけど、弱音は吐かないよね。だから、私が弱音を受け止める強さを持たないといけないと思った。

 沢山話したね。クラスや進路のことも、沢山話した。友だちみたいだった。やっと、rと友だちになれたって思えた。それが、二年の秋。もう何も緊張しない。二人きりの部室でも、rが機嫌悪いときも、時間に追われぴりぴりしているときでも、私はrに遠慮しない。rも、私に遠慮しない。

 三年の春、最後の大会が終わったあと、出場もしていないのに、誰も流していない涙を流しながら嗚咽する私を、rは静かに見ていた。rの方が何倍も色々な感情を抱えているというのに、どうして私は涙を堪えられなかったんだろう。

 「はのとちゃん、ありがとう。」

 帰宅後、rはそう伝えてくれた。詳しくは思い出せないけど、確かにそう言ってくれた。報われた。

 本当にありがとうを伝えなくちゃいけないのは私の方だよ。私を部員として、友だちとして受け入れてくれてありがとう。弱いところを沢山見せてくれてありがとう。拙い言葉だけど、rの紡ぐ繊細な言葉が好きだった。

 いつか、みんなで同窓会しようね。ZOOMじゃなくて、普通の居酒屋。私たちが揃えば、そこはいつだって青春になる。最高の居場所。そこで、またrの葛藤をぶつけてよね。

2021年2月22日 はのと

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