ディズニーって泣く場所だったっけって話

 先日、家族でディズニーシーへ出かけた。40代の両親と大学生の私と高校生の弟。なかなか仲のいい家族だな、と我ながら感じる。緊急事態宣言下である故に後ろめたさはぬぐい切れなかったが、抽選でチケットを確保したのが一月初旬。この日まで続くということまで予想することは出来なかった。

 感染対策をきちんとして、いざ戦場へ。

 私たち家族は昔からディズニーが大好きで、年に二回、春と冬に訪れていた。それが昨年、突然の変化によって春が叶わず、再開の目途もなかなか立たなかった。手元には期限が迫っているチケットが10枚以上。途方に暮れた。

 そんな中再会の知らせ。コロナを酷く恐れていた私と母は、まだ行く気にはなれなかった。だが、再開したパークの様子をニュースで見るなり、母は涙を堪えきれなくなっていた。

 時は流れた9月末。遂に私たちは、大好きな場所へと帰る決意をした。必死にチケットを確保して、後は待つだけ。だと思っていたのに、弟が突然、「ディズニーの日卒アルの撮影入っちゃった。」なんて言い出すものだから、延期せざるをえなくなった。と思いきや、父が私と母に向かって「とりあえず来週は二人で行ってくれば。みんなで行く分はまたチケット取ればいいよ。」

 あぁお父さん。大好き。

 そして当日。詳しく書くと長くなるので割愛するが、とにかく泣いた。入園してすぐ泣いた。大好きなその場所が、沢山の笑顔があった。変わらずそこに。マスクと近づけない暗黙の了解はあるものの、そこは何も変わらなかった。暖かくて、優しい。

 泣きながら楽しんだ一日。そしてその翌月、今度こそ家族での来園が叶った。勿論、その時も沢山泣いた。

 その日の帰り、出口をくぐったあと、私は急に涙が止まらなくなった。帰りたくなかった。悲しかった。寂しかった。

 思えば、今年は何の思い出もない。今日が最初で最後の思い出。家族の思い出。他は、何もない。本当だったらあったはずの、新入生との出会い、新しい友人との出会い、忙しい部活、友だちと協力する課題。そんな当たり前が、どこにもない。空っぽ。空っぽの2020年になってしまった。

 それが、悲しかった。寂しかった。やるせなかった。

 そして先日、再び夢の国を訪れ、そして泣いた。ミッキーとのグリーティングで、写真を撮り終えたあと泣いた。しばらく涙が収まらなかった。前回等はグリーティングが抽選で、しかも当たったことがなかった。だから、ミッキーと会うことが本当に久しぶりで。嬉しかったのか、寂しかったのか、自分でも分からない。そんな涙が、頬を伝った。

 まあ、総じて楽しかったということに変わりはない。あの場所は、私にとって大切な場所。年々高くなるチケットの値段も、有料になりそうなファストパスも、マナーを守れない若者がはびこっていても、やっぱり大好きだ。人には、そんな場所が必要である。

 もう、あの場所で感動以外の涙は流したくない。悲しい涙はたくさんだ。今度こそ、笑って帰れる場所になっていますように。

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