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小島喜八郎さんの作品

こんばんは。飯能高校 探究部の顧問のMr.Mです。

昨日は個人的に取ってみたい資格があり、かなり久々に受験生となって試験を受けてきました。

生徒の皆さんが定期考査や外部試験、模試を受ける気持ちがわかります。

試験の後はぐったり。

そんなぐったりしているときに、飯能高校の校舎内には癒しを与えてくれる絵が飾ってあります。

ずっと作者が気になっていて、ある時にベテランの先生に尋ねました。

その絵を描かれた方は、飯能高校の卒業生である小島喜八郎さんということが判明。

校内にはトップの写真の作品の他にも数点飾られています。

私が観た絵はどれもスーパーリアリズムに分類される、あたかも写真であるかのように緻密なものです。

描かれているものは、その辺りに普通に在る景色。普通すぎて通り過ぎてしまう景色。

そんな景色の前に立ち止まって、写真ではなく絵でその場にいた時間が記録されています。そこに在るものはただ在るだけなのか、それともその向こうに何かあるのか、という問いかけのようなものが絵から伝わってきます。

小島喜八郎さんの作品は埼玉県立近代美術館にも収蔵されています。検索してみると飯能市内にも小島さんの絵を飾っているお店などもあるようです。

飯能市内にある野口のタネ/野口種苗研究所の野口 勲さんが小島さんの画集について書かれています。↓

小島さんの素晴らしい作品がまだまだ見知らぬところに飾られているはず。

飯能高校内はもとより、飯能市内外に飾られている小島喜八郎さんの作品を一点一点追ってみたいと思います。

同窓会担当の先生から小島喜八郎さんの画集をお借りしました。ものすごく素敵。

卒業生の方々についてもっと知ってみたいと、小島さんの作品を前にして思った次第です。

美術の授業で、小島さんのような卒業生の方々の作品について触れながら探究的な学びもできるよなぁとも考えました。

新しいことに目が向きがちですが、飯能高校の今までの歴史を振り返る中にたくさんの学びのヒントがある気がします。

今日は小島喜八郎さんの作品集の帯に書かれていた素敵な言葉で締めくくります。

そこに在るものではなく、見えない在るものを追求し、表現の根源を模索する魂の彷徨。

そこに在るものではなく、見えない在るものを追求する。いいなぁ。

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