言葉狩りが「蔓延」しているのもコロナのせい

① コロナ蔓延で不要不急の外出が制限

② SNSをはじめインターネット上でのコミュニケーションが盛んになる

③ ネット上の言論空間の規模と影響力が肥大化

④ TVをはじめとするメディアがそれらの批判の的・矛先となる

⑤ 実際は言い掛かり・揚げ足取り・被害妄想が大半なのだがネットの影響力を考慮し、TV等は (無駄に) 細心の注意を払ったメディア運営を強いられる

⑥ 少なくとも公の場では細心の注意を払った言動をすべきという感覚が世間にも共有されてしまう

~ 上記の繰り返し ~

 以上が現状に至るまでの過程の概略となる。皆さんの記憶でもそうだと思うが、言葉狩りが横行し表現の規制が厳しくなったのはここ数年の話ではないだろうか? コロナ以前でもタレントの発言が炎上する等はあったものの、今ほど表現がガチガチに規制されてはいなかったんじゃなかろうか。
 つまり、コロナが流行することで言葉狩りと表現規制の流れが加速してしまったと考えられる。

 逆に言えば、コロナが収束すれば現在世の中に蔓延している妙な風潮も収束するとも考えられる。
 ネットに籠っていた人達が現実世界の活動に勤しむことで「ネットの世論」の影響力は小さくなり、一方ではTV等のメディアは開放的な運営が可能になるだろう。勿論コロナが収束したのを皮切りにメディアが自由奔放な表現を開放することはさすがにないとは思う。
 しかし、例えばTV番組におけるロケに関して言えばコロナ以前に比べると何倍も自由に伸び伸びと行えるはずだ。つまり言葉以外の面における規制は無くなるわけで、そこから少しずつ表現規制の方も落ち着いてくるのではなかろうか。

 そして何よりマスクである。今書きながら思いついたのだが、このコロナ禍におけるマスク着用の常識こそ昨今の言葉狩りの象徴ではないか。
 どこの誰だか分からないネット上の人間が互いに監視し合う姿と、マスクで顔が判別しにくくなり、会話は必要最低限、しかし互いにうつさないように細心の注意を払っている姿が妙にリンクしてしまう。
 無論、このコロナ禍におけるマスク着用を否定する意図は無い。むしろ世間の人たちがマメにマスクを着用しているのを受け、日本人の真面目さというか美徳にちょっと感動を覚えたぐらいだ。
 そう、日本人は真面目だ。我ながらそんな日本人が大好きなのだが、こと言葉狩りや表現規制においてはその気質が裏目に出たのかもしれない。しかしながら、コロナが収束して皆が自由に活動を行える世の中になったらそういった厳しい目もなくなっていくだろう。
 和を以て貴しと為す、日本人らしい良い意味でなあなあの精神で言葉狩りという病を克服できるんじゃないかと信じている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?