偽痛風 続き

 パソコンがついているあいだだけ自分の精神を保てる少女だったので、そんな気持ちで書き始めました。過干渉は本当にいいことがないよ。緑風音です。

 なんだか痛みが長引いております。仕事も途中で椅子を3つ並べて横になりながら仕事をしておったのですが、ついに社員のおじさまから、「有給とってまとめて休んでこい」という提案がありました。

「金もないのにギターを買おうとしてるんだ、休んだからってよくなるわけでもないのに!」

と、そのときは思っても言わなかったのですが、痛みもあまり良くなる感じがないので言われたとおりにしてみました。

 今朝病院に行って改めてレントゲンを撮り直しましたが、やはりよくわからない。カルテには『原因不明』の文字が。もうたぶんわたしが病院に行ったら、たからのす(修理屋サイド)で言うと、カスタムチップ周りの波形が気持ち悪い基板が運ばれてきたみたいな、常に嫌な予感を背中に感じながら接さないといけない患者が来た感じになってるんでしょうね。
 ちなみに、今朝は歩幅がほとんど確保できなかったので、行きも帰りもタクシーでした。GOすげえ。

 触診で痛そうなところを探して注射を打つのをやってもらったんですけど、歩幅は変わらず。注射を打った瞬間は、なんとなく打った場所が麻痺する感じはあるんですが……、明日もとりあえず行ってみましょう。偽痛風じゃないのかな?
点滴にしたって何にしたって、これまでの数多の人体実験の上で自分が治療を受けられるわけです。働けないのはしんどいけど、お医者さんも人間なので、もうちょっとがんばってみようかなと思います。わたしも人間だから、今された処置に対してきちんとリアクションを取らないとお医者さんも間違えちゃうね。

 寝ていていちばんつらいのは、自分が病気したときの母の塩対応を思い出してしまうことです。「かわいそう」という言葉がおしなべて失礼だということを言いながら、いちばん自分がかわいそうと思われたいのです。そんなに遠回しに言うなら、

「あー! お母さんいまつらいの! かわいそうって言って! 言うだけでいいから!」

と、駄々をこねていただきたいものです。昔のことなんでまあいいっすけどね。

 子供であるわたしの側からすると、母のほうが相対的にかわいそうになるようにお膳立てすることが生き延びる術になってしまって、しんどいなうであります。
 こういうのを最近わたしは「過去にスライスする」と呼んでいます。今の問題に対して、今に適した方法ではなく、過去に成功したやり方を思い出すことで対処してしまうことです。当時、病気したときに、自分の痛みや苦しみが消えることよりも、ソッチのほうが優先度が高かったということですな。チキショ!

 というわけで、しんどいことはあまり暗くなりすぎない程度にTwitterにも書くようになりました。本当に助けてほしいときは我慢しないでそうしたほうがいいとようやく知りました。でも、実際にそうして働きかけて他人の優しさを集めたことがないので、戸惑っているのも本当です。けど、いったん受け取ってはしゃいでおくのがいいんだろね。まずは子供と同じリアクションを取ろう。

「優しくしてもらっちゃったのよぉ、んふ。んふ」

……よし。

明日も病院行きます。

(気が向いたらつづく)

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