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今年は山奥から外に出たく

愛知県の山間部、奥三河と呼ばれる地域の東栄町に名古屋から移住し、2年8か月が過ぎた。同じ愛知県内とはいえ山深い地域にある高齢者が多い過疎の町であるここは、文化や風習、インフラなどの便利さや生活の仕方は全く違う。むしろよっぽど台北などの方がずっと日本の都市の生活に近いようにすら思う。そのくらい生活ギャップとかカルチャーの違いがあり、そのギャップがいい意味でショックで移住を決めたのかもしれない。

移住し、街から来た人風吹かせて上辺だけの付き合いをするような状態は避けたかったので、とにかく町の人たちの暮らしの中へ中へと入っていこうと努めた。感心するような知恵、古い風習や神事、美味しい料理があり、日々まるで海外を旅しているときに味わうような文化交流的な体験が続いた。独特の文化や町の人たちの明るく朗らかなノリを背景に伝えるべく、週末だけの雑貨ショップも開いた。

2019年11月に駅前の雑貨店maru-kaiを開いて間もなく、コロナの事態となった。ああでもないこうでもない、右往左往して翻弄され、気持ち的に疲弊する日々が続いた。時期を同じくして、名古屋にいたころにかつて経験した編集や撮影、ライターの仕事のスキルを活かして、町の観光協会の業務も外注として受注、おもに情報のネット配信を中心としたローカルの仕事が始まった。その仕事により、店の仕事とはまた別の形で、地元の人たちの中に入っていき、知らなかったことがまた少しずつわかるようになってきた。

こうして、移住してからひたすらこの町に染まること、内側に入って町を一緒に作っていくひとりとして精力的に日々を送っていくこととなった。
がしかし—この田舎の町の中へ入れば入るほど、自分の中でものすごく外とのつながりへの意識や外の動きを気にする気持ちが強まるのを感じ、それをアウトプットできないことが心のつっかえとなっていった。

ここに来るまでの10年ちょっと、フリーランスの翻訳者の仕事をしながら、スーツケースとノートパソコンでわりと自由に旅をしてきた。特に夏は毎年イギリスの友人宅に滞在させてもらい、ヨーロッパを旅した。LCCの普及で、アジアの各国へも気軽に旅を重ねた。どこにも属さず、フラットな考えを持ち、自分の人生を作っていくものだと思っていた。
ここに来てから間もなく一度だけ、名古屋で所属していた写真学校の展覧会に参加するため、マレーシアのランカウイに出かけたけれど、それ以降は店の立ち上げで多忙だったこともあり、一度も海外には行っていない。それどころかコロナの影響で、ほとんどこの場所から出かけることすらなくなってしまった。かつての暮らしとは真逆に身体的な移動が全くと言っていいほどなくなってしまったのである。その身動きできない状況と、内面的にも一地域に属している状態が、ついに最近はアイデンティティの混乱を感じ始めた。出かけたい。自由に飛び回りたい。

しかしまだ当面海外に行ける状況は来ない。けれどもしかしたら、本当に求めているのは物理的身体的な移動の方ではないのかもしれない。気持ちの解放とか思想や発言の自由さ、アイディアを自由に飛躍させられる自由さのようなものではないかと思うのだ。

だからnoteとかも書いてみるし、そうだ、もっとオンラインの上に自分の活動の居場所を移そう。オフラインであるここの暮らしは楽しい。山の自然の中に暮らし、空気も水も星空も、さまざまな植物も、古いしきたりも神事も、ほがらかな人たちも、すばらしい料理も、お気に入りの宝は山のようにある。でも、知的好奇心というのは生まれたときから始まり、たぶん停滞はしないんではないかと。ゴールはないのではないかと。それを満たすには、広い世界、フラットな世界、自分とは違う異種な人たち、そういったことに関わり続ける必要があるのではないかと思うのですよね。自分の場合。

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