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2018年より愛知県奥三河在住。フリーランス翻訳者として生計を立てる傍ら、天然染料・繊…

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2018年より愛知県奥三河在住。フリーランス翻訳者として生計を立てる傍ら、天然染料・繊維を栽培し、染め仕事を学ぶ日々。他にJR東栄駅前にショップ「maru-kai」運営、地域メディア編集。廃校保育園の教室を借り、草木染めスタジオとアートギャラリーを始めました。移住仲間募集中!

最近の記事

noteも忘備録的な使い方になってきましたが、今回は「ナゼココ」の話

こんばんは。今日もおつかれさまです。 定期的に聞かれたりして振り返る、なぜここに移住してきたか。ナゼココ視点。 愛知県北設楽郡東栄町。 名古屋中心部から車で高速使って2時間弱。電車で2時間半くらい。 そんな近距離からここに来て、「移住」っていうほど大袈裟な気もしないのだけど、距離はさておき、都市部から過疎の田舎に移り住むと「移住」っていう扱いに入るらしい。 で、移住してわかったのが、やたらいろんな人に移住について話を聞かれる。行政関係だったり、どこかの大学のゼミだったり

    • 自分メモ

      田舎に来て、最初は頭を空っぽにして地域をうろうろし、へらへらと出会った人たちと会話し、その後のこの3年くらいは実際の仕事も伴いながらも、この地域で何ができるかを検証する期間だったといえる。この地域の特徴や人々の行動・気質を知り、数量的な感覚と自分と共存する人々を把握し、自分に可能な行動範囲や内容、必要労力を掴み、自分で興す仕事がどの程度の規模までどのくらいの費用や人手で実現可能かを想定し、何より自分が本当にやりたいことを見極め、自分が向き合っていくことを絞っていく作業を思いつ

      • Are We What We Are?

        I started my own art gallery in the town in forested mountains of Aichi, Japan, together with a natural dye studio. The two rooms were originally classrooms in a nursery school, which was closed down a few years ago. The title of the first

        • 田舎に自分のアートギャラリー作ってみた

          山間地域に移住して4年。移住してすぐに、とにかく地域を知りたいという理由から、自ら地域カラーを背負ったハンドメイドと情報発信の店っていうのをJRの駅前の空き物件を借りて始めてみた。が、その後すぐにコロナっちゃって計画がなんだかうやむやになり、そんなこんなしている間に進めていた草木染め(や天然染料のこと)のことをもう少し本格的にやりたくて、そのために別の場所を借りてみた。 廃園保育園の再利用に参加し、教室を2室賃借。一室を草木染めスタジオ、もう一室をアートギャラリーにしてみま

        noteも忘備録的な使い方になってきましたが、今回は「ナゼココ」の話

          時々書き綴ってみる、イマココ

          愛知県の山間部。町から廃校保育園を借り、再活用する複合施設とするプロジェクト「datte(ダッテ)」。リノベ中のdatteの主催者から2教室を賃借し、1教室は天然染料・染めスタジオ、1教室はアートギャラリーとして準備を進めている。 田舎で活動するときに都市部と大きく違うことは ・人が少ない(特に若い人) ・空気と水と食べ物は最高 ・静かでよく眠れて、集中できる ・土地・不動産・場所代がとてつもなく安い ・不便な場所にあるので、フィジカルな動員は容易ではない ・地元はカルチャ

          時々書き綴ってみる、イマココ

          I'm a farmer.

          愛知県の山間部にある過疎のまち、東栄町に移住して4年が経ちました。 移住したときからの計画のひとつであった畑を、ようやく今年から始めました。染料の畑です。 ここのとこ、毎日畑仕事です。他にもいろいろ仕事をしているので、畑は日に2~3時間ほど。3時間もやると、けっこうヘトヘトです。 畑を始めて、天気予報を細かく見るようになりました。ちょっぴり農家の仲間入りをした気分です。 借りた畑は、昔田んぼだった場所で、その後一時期NPOが入ってブルーベリー畑にしようと改良した経緯があ

          I'm a farmer.

          田舎とアート。ボーダーとか無くしていくために

          愛知県の山間部にある田舎まち、東栄町というところに暮らしています。 田舎で暮らしつつ、やっていきたいことを形にしていくため、気持ちや考えたことを綴っています。 名古屋から移住し、気付けばなんと、もう4年。早。同じ愛知県内ながら、移住当時はカルチャーショックの連続で、日本語ながら海外に移住してきたかくらい、感覚にさまざまなギャップを感じた。理由のひとつはお年寄りが多いこと(65歳以上が半分)。移住やUターンも多少はあるが、それより自然減が圧倒的に多く、毎年人口が減っていく過疎

          田舎とアート。ボーダーとか無くしていくために

          自分に忠実に生きていきたいので

          執着したくない性格が生み出す副産物として、主として据えていた考えや目的すらも移ろいやすいということがあり。移ろっていたって、どれも大事な価値観や考えだけど、継続的に労力を積み重ねることが結果に比例するのでもあって、結果を疎かにしないためにも、こうして振り返り、過去の自分と対話するために、考えたこと感じたことを記録する場が要るな、と。つまり、ザ・日記じゃん。どうせ書くならそれを、他人も読める(読む人いなくてもいいけど)noteに書こうかと。 ここまで前置き。 移住(愛知県都

          自分に忠実に生きていきたいので

          making up my mind constantly...

          自分の感覚や考え、方向性というのは定期的に継続的にアップデートし続けなければならない。常に流動的で、今とできればもう少し先と常につながり関連付いていけるように。これを怠った、この感覚を持ち合わせていない人たちが一時点で時間が止まり(その人の一番いい時とか、社会に出たときなどの時点)、停滞した価値観を引き摺り、何なら周りがそのどこにも通用しない価値観と違うことに腹を立て、その終わった価値観を押し付けてきたりする。そういうことを却下すればよいだけの話だが、年功序列だったり年齢階級

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          今年は山奥から外に出たく

          愛知県の山間部、奥三河と呼ばれる地域の東栄町に名古屋から移住し、2年8か月が過ぎた。同じ愛知県内とはいえ山深い地域にある高齢者が多い過疎の町であるここは、文化や風習、インフラなどの便利さや生活の仕方は全く違う。むしろよっぽど台北などの方がずっと日本の都市の生活に近いようにすら思う。そのくらい生活ギャップとかカルチャーの違いがあり、そのギャップがいい意味でショックで移住を決めたのかもしれない。 移住し、街から来た人風吹かせて上辺だけの付き合いをするような状態は避けたかったので

          今年は山奥から外に出たく

          withコロナの時代に:山間過疎地域の閉じっぷりと開き具合

          5月15日現在の愛知県の山間部・北設楽郡東栄町で考えること。 昨日、愛知県は緊急事態宣言の対象地域から解除された。愛知県で人口減少率が1、2を争い現在人口約3100人、高齢率は愛知県で最も高く、町域の91%が山林・原野という山間の静かな町・東栄町では、数少ない営業施設がクローズされ、イベントや集まり事は中止されているものの、過疎であるがゆえ「密」になる割合が元々少ないため、暮らしぶりは普段とさほど変わらず。昨日の緊急事態宣言解除を受けても大きな変化もなく過ごしています。 コ

          withコロナの時代に:山間過疎地域の閉じっぷりと開き具合