「noteに投稿されている短編小説をランダムに読む」2022/6/23

・noteに投稿されている短編小説をランダムに読んでみることにした。ふと、短編小説を読みたい欲が湧いたから。さらに言えば文壇にデビューしていない作者の作品、いわゆる処女作を読みたくなった。原稿料や印税に起因しない、個人の純粋な創作欲からの吐露だから。(推定では)編集者といった第三者の目を介していないというのもいい。

・折角だし読みっぱなしでなく、感想を書いてみようと思ってこのページに文章を書いている。「書評」みたいな偉そうなものではなく、文才の能が無い人間の「感想」の駄文だ。話半分で読んでほしい。

・ちなみにnoteはランダム検索ができないので、webサイト「ランダム単語ガチャ」で出てきた単語と組み合わせて「○○ 短編小説」と検索し出た小説の先頭ヒットを隔てなく読む方法を採った。

・何卒


No.1 若早称平「名探偵のナミダ」

あらすじ
義姉ナミと久しぶりに会った”私”は、半年前に交通事故で亡くなった兄の「子供の頃のあだ名」を尋ねられる。亡き夫が使っていたパソコンのパスワードが”あだ名”であるとナミは言う。

・WEBライターをされているという若早称平氏の作品が、今回読んだ短編の一発目だった。

・面白い/面白くないの前に、死んだ人のPCを開錠しようとしないでよ~、となってしまった。亡くなった人のプライベートを覗いてみようとしたって大抵いいことにはならないんだから。

・私には義兄弟がいないので、義妹と”私”の距離感が感覚としてあまり分からないが、同じ家族でありながら一つの存在に各々の像を抱くのって面白い。今回はそんな話じゃなかったけど。

・故人であっても個人なので、必要なく所有物を詮索したくない、というのはズレた考え方だろうか。


No.2 ムラサキ「終焉」

あらすじ
自分が死んでいることに気付いた貂川鉄郎は幽霊として駅のホームにいた。月が地球に衝突するため人類と幽霊がそれぞれ火星に脱出を試みる中、鉄郎は出くわした幽霊、樺林一郎と地球最後の1日を過ごす。

・これかなり面白かったです。おすすめ。地球が消滅する時、そこに存在する幽霊はどうなるのか、という着眼がそもそも凄い。普通に考えれば井戸の中の貞子も、トイレの中の花子さんも、湖の底のジェイソンも地球が木っ端微塵になればどうしようもないはずだ。人間の科学を超越する幽霊にしたって、結局は土着なのだ。

・幽霊が主人公なのに「トンデモ」感がなく、静謐な文学としてすとんと入ってくるのは貂川鉄郎と樺林一郎の掛け合いが生者のように淡々と進むからだろう。地球(=現在の我らからしたら世界そのもの)の終末からしたら生者と死者の違いなんて大したものじゃないのかもしれない。2人のどこか諦観すらある掛け合いにジョバンニとカンパネルラを想起した。

・ストーリーとしても一切無駄がなく、文章回しも独創的で好き。調べたら作者は、村崎懐炉/村崎カイロ名義で詩の創作を多くしているらしい。要チェックや。


No.3 小牧幸助「全人類の平均点」

あらすじ
”俺”はテストでひどい点数を取った夢を見たことによって、人を比べることを考えなくなった。

・短い。先ほど取り上げたムラサキ氏の「終焉」が14,819文字なのに対して本作は394文字。とても気軽に読める。

・短い4パラグラフで完結する本作は起承転結のはっきりした4コマ漫画のようでもあって、コボちゃんと同じくらい読みやすい。

・それでいて示唆的な部分や、発想の転換によるオチも面白い。短い文章の中に読者を楽しませるテクニックのようなものが感じられたけど、気のせいだろうか。

・ただ、この作品上の理屈は相対評価を意識する人には響くけど、絶対評価主義の人には刺さらないよな。社会生活はほとんど相対評価で構成されているけど。

・作者の小牧幸助氏は「1分小説」と称し、このくらいのボリュームの小説を多く執筆、公開しているようだけど、これ意外と独自のセンスと継続する体力がいるんじゃないだろうか、と数話読んで思った。お疲れさまだ。


No.4 静霧一「蟻と鳳蝶」

あらすじ
「何故アゲハチョウは捕まると飛べなくなるのか」とカケルはサリに問う。サリはアゲハチョウが飛べなくなる理由を説明し、虫の生態と人間を重ねてカケルに話す。

・面白い。幼少期に「死」の概念を身近にいる昆虫を通して学んだ、という経験は割とよくある話かもしれない。昆虫と人間を重ねるエピソードは過去何度か見てきたが、チョウの「鱗粉」を人間の「見栄」に例えた作品は初めてだ。

・人間の「見栄」なんて社会生活ありきのものだ。社会生活を営み、個体が集団のために動く昆虫などアリかハチくらいしか生物知識に乏しい私にはイメージが出来ない。チョウの一機能「鱗粉」に人間の外面的な評価を仮託して論を展開させるのが独特だ。

・本作の中での「見栄」の解釈が自分の中で少し腑に落ちなかった。本作では見栄を「散らしながら生きている」ものであり、「鮮やかな色(=鱗粉≒見栄)を持つってことはね、それ相応の覚悟と力が必要」としている。私が(少なくとも自覚的には)虚栄心に乏しいタイプだからよく分からなかっただけか。

・鱗粉が失われていることを「老い」と表現する描写があるが、それならまだ分かる。鱗粉を「見栄」でなく「若さ」と置き換えるのであれば、先述した描写も老化やアンチエイジングとして納得できるかも。

・話として良かったので、「鱗粉」や「捕食者」が何のメタファーか考えてながら、この小説に挑んでみても良いかも。

・あと作者の静霧一氏、私と同い年で3歳児を育てていて凄いと思った。子供は国の宝。


No.5 カレーたまご「銀座で、会いましょう」

あらすじ
人気作家の小林理律子は若きサックス奏者の森美智子と愛人関係にある。音楽を通して関係を深めた2人は、銀座へと能楽を観劇に向かう。

・スケベすぎるっ!

・無作為に小説を食い漁るとこういう出会いがあるから面白い。とんだ官能小説じゃないか。素晴らしいセレンディピティ。

・銀座六丁目の歩行者天国ってかなり心が騒めく。車道の真ん中を闊歩するのは本来無秩序な行為で、それを資産の太そう(バイアスによる偏見)な人間が行っている風景は超現実的だ。

・本作ではそんな風景を以下のように描写する。

道路の中央に散在するパラソルが風に靡く。目に付くTシャツ姿が逆に羨ましい。もはや春どころではない暑いくらいの気温なのだ。解放感も高温と連関すらあるのだろう。気分も上々である。観光地も多国籍のさまざまな人間が溢れてこそなのだが。まだビキニやビーチボールは早かった。それでももうすこしすれば灼熱のビーチとなる。露出を競う季節も間近なのだ。

・超現実をビーチ風景に重ねて書いている。超現実の上塗りだ。夏のことを「露出を競う季節」と思ったことないな。

・本作の途中で主人公である「作家(=小林理律子)」の視点に思い切り転換する瞬間があるのだが、これが凄い。胸焼けするほど生々しく、読んでいる心が下品に犯されている気分になった。全面的な肯定はしないが、テキストだけで読者の心を乱せるのは大したものだと思う。

・登場する会話がキツすぎるけど、慣れてしまえばこっちのものだ。強烈な臭さすらこの作品における個性的なフレグランスになった。少なくとも私にとっては。

・作家と美智子の関係、行為は全く別として、故瀬戸内寂聴とその秘書の関係性、精神的な結びつきを想起してしまった。



まとめ

・noteに思い思いに繰り広げられる小説は面白い。商業的じゃないからこそ、作家の粗削りな”個”と出会える。気が向いたらまたnoteの小説を読んで、内容についてとやかく言いたいな。楽しいので。


【今日得た知識】
・瀬戸内寂聴は抗癌治療の激痛に「神も仏もない」と話した。

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