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かっこよくなきゃ…

ジャズマンはやっぱりかっこよくなきゃ…
ステージに立ち、人前で演奏するにあたって、やはりせいいっぱいおめかしして「どうだ!」と胸張って演奏しなきゃいけないよね。

浜崎航さん

これは容姿に恵まれた人間しかアーティストになれない、というルッキズム的な話ではなくて、ステージに立ち、パフォーマンスを行う以上、身綺麗な格好し、できるだけ自分のカッコ良さについても気をつかった方がいいですよ、という話です。
どちらかというとおじさん向けの話。

「かっこよさ」という一言で表したけれど、

  • 聴衆に対する礼儀として

  • ロールモデルとして

の二つ意味があると思う。

聴衆に対する礼儀として

ステージに立って、演奏をする。
聴衆はいくばくかのお金を払ってそれを聴きにきているわけでありまして、プロだろうがアマチュアだろうが、聴く側にとっては関係ないわけです。
その意識はきちんと持った方がいい。

もちろん、ジャズの場合、スタジオセッションとなんら変わらない、客ほぼ同業者(プレイヤー)みたいなライブやセッションもたくさんあります(その面で、プレイヤーとリスナーの境界が今ひとつ曖昧な弊がある)。むしろステージを意識せずに演奏できることが中級者の証明になってる面もなきにしもあらず。
ですが、やっぱりこれってあんまりよくない。
はっきりいうと、こんなだからジャズは儲からんのです。

  • 演奏している間、客に尻を向けて吹かない

  • MCをきちんとする(これはこれで、BGMに徹する場合はMCはむしろ最低限にするなど、求められる状況で異なることもありますが)

要するに、ステージ上のプレイヤー同士だけで意識が閉じているのではなく、きちんと聴衆に意識を向けましょう、ということ。

ロールモデルとして

2004年の映画『スウィング・ガールズ』にも「ジャズっておっさんがする物だっぺよ」なんてセリフがあった。あれから20年経ち、なんならジャズはおじいさんがする音楽になりつつある。
私は1974年生まれだが、私が大学生の時だって、ジャズってポピュラリティの点では終わったジャンルだった(それを考えると、まだ延命できているのはすごいことかも笑)
しかし、ジャズの魅力を伝えないと、愛好する人がどんどん減るのは確か。
そのためには、新たなリスナーが増えないといけない。
その条件として、ジャズが「かっこよく」ないといけないと思う。ジャズを愛好し、演奏する人が、カッコよくないといけないと思う。
単純に見てくれの面だけではなく「生き方」としてかっこよくあるべき。

「かっこよさ」の定義は人によって様々ではあると思うし、そこに多様性あってしかるべきだと思うが、ジャズはソフィスティケイトされた、夜の音楽を担う洒脱なものである、という共通認識は、最低限我々もわきまえておくべきかもしれない。
(演奏側の実態はそうではないことは当然知ってますよ。だが、その一般のイメージに寄せていくべき時期なのかもしれない)

ウィントン・マルサリス

ウィントン・マルサリス。
ジャズ・アット・リンカーン・センターの芸術監督に就任してからの一連の活動、僕はあんまり好きではなかった。

「前半生に自分が歩んだ道と後半生と全然言うてることちゃうやん」と思ってました。アートブレイキーのバンドに入った当時の彼の視野の狭さ、また、マイルス存命時に対する批判的な言動などを見ても、ウィントン・マルサリスの視点は、それ以前の時代のジャズマンにとって承服したがたいものがあった。

しかし、ジャズという音楽をアフロ・アフリカンのルーツにもちつつもアメリカの歴史に添って発展したアメリカの文化独自の欠かせない産物であると再定義し、ブランディングした手腕は、実業家として際立っていると思います。

ジャズのイメージを上昇させ、ジャズに対して深いリスペクトを得られるようにした立役者の一人であると思う。ハイ・カルチャーとしてのジャズ。
たとえばマイルスや他のミュージシャンとはベクトルは全く違うけれど、ジャズというジャンル全体のブランディングという意味では、大きな功績があると思う。(もちろんバークリーはじめとしたアカデミアもその一翼を担っているが、マネタイズとブランディングの面でウィントン一派は抜きん出ている)

反面、ウィントン・マルサリスが行った、ジャズの「歴史的結晶化」は、ジャズを「イノベーション」から「練習さえすれば為しえる音楽」におとしめた面もあるだろう。マイルスの言葉を借りるとそうなる。

このウィントン・マルサリスのブランディングの手法を、我々は幾分か見習ってもいいのかもしれない。

少し前に、富裕層向けのジャズギター教室みたいなやつを作ろうとした人が、なんかいろいろ問題を起こして結局有耶無耶になっていたが、ハイクラスの資金をジャズに還流させよう、という試みは悪いものじゃなかった。

結論


長年ジャズに耽溺していると、ジャズって別にオシャレでスタイリッシュな人たちがやっているわけじゃない。
僕らは身に沁みて知っている。
そしてお金に無頓着に演奏を追求することを良しとする傾向も多分にある。僕ら的には、普通の格好をしている普通のおじさんが、のけぞるような素晴らしい演奏をする、という方向性を称揚しがち。

しかしこのあたりは、ウィントンの戦略を見習い、お金持っているハイアマチュアは、ジャズの伝道者としての自覚を持ち、もうすこし小綺麗な格好をした方がいいのかもしれない。
見られることを意識しよう(おじさんになってくると、とかくこの種の視点が欠けてくる)。
少なくとも若者からみて「あんな風にはなりたくない」と思われる格好は、いろいろよくない。

ジャズ人口が減少しつつある現在、精一杯、ロールモデルとしての「かっこよいおじさん」(もしくはお兄さん?もしくはお姉さん?)をめざさなきゃいかんのじゃないか、と思った。
ジャズ人口を増やすためには。

ただ、あんまりそれが前面にでてしまうと、若者からみて「痛いなー…」って感じになってしまうこともある。何事もバランスだが、むずかしい。


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