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「目が滑る」

昔から、残念な文章を書いては人に見せつけている。

覚えている最初のは、中学の頃だろうか。国語の課題で、15分間あげるからその場で詩を書けなどと無茶ぶりをされ、せっせと書いた。即座に回収されその場で教師が選んで目に留まったものを読み上げる、という地獄の授業。そこで読み上げられたのが自分の詩だったのに驚いた。ちょっとした快感だった。少し楽しいと思った。こんな中学生の頃はコバルト文庫の「愛してマリナシリーズ」と星新一のショートショートを愛読書としていただろうか。一度だけ好きな歌の歌詞を膨らませた短編小説をノートに書いて、友達に回し読みしてもらったことがあったが全員が『クサイ』という感想だったのは今思い出しても泣ける。書いて見せることを始めた頃の話。

高校時代は自分からあまり本は読まなかったが、現代文の授業で知った高村幸太郎の詩は大変に感銘を受けて、智恵子抄の文庫を買った。中原中也も良かったので文庫を買った。夏休みの宿題で夏目漱石だ向田邦子だ、色々読まなくてならなかった。島崎藤村も坂口安吾も読んだっけ。しかし全ては勉強のため。受験勉強のため学校の図書室に閉館時間まで居座っていたが、息抜きによく俵万智の「サラダ記念日」などはパラパラ見ていた。あまりにも自由な現代短歌に『こんなんでいいのか??』と困惑したものだった。国語の授業でやる短歌なんて季語が間違ってると、どれだけ怒られただろうか。季語が無い短歌っていいのか!自由っていいな!高校の文集は自由に何でも書ける場所だったので、ずいぶん気合を入れてくだらないことを書いた記憶がある。友人にはウケていた。

大学時代になってやっと自分から本を読むようになった。身近に本読みが居て、やたら薦めてくるからだった。ハニワちゃんこの本読んだ?ハニワちゃんこれ面白いよ?本読みのC子は宮部みゆきの時代物などがたいそう好きで、これはどうしても読んで欲しいと「震える岩」を貸してくれただろうか。それがきっかけで宮部みゆきを私は知った。本読みC子は自分でも原稿用紙に小説を書いていて、理系の学部に進学したが作家になるのが淡い夢だと言う。途中までの状態だったけれど私だけには読ませてくれたりしたC子自作小説は、たいそう面白かった。大学の売店の書籍売り場に行けば、C子はこれは読みやすいこの本は感動的だ私としては三島由紀夫の豊饒の海なんて背表紙見ただけで泣けてくるウッ…とかいう変態だった。「文学しか読んでないんだね、もっと読みやすいものを読んでみたら?エッセイから入りなよ」とアドバイスを受けた。おかげで「本を手に取ること」に対しての敷居が低くなり、私は自分でも色々読んでみるようになる。

そこで私がはまったのは、群よう子、原田宗典、鷺沢萌のエッセイや短編だった。どうも私は短編が好きらしい。特に群よう子の作品は腹がよじれるほど笑って、その時出版されていた文庫をすべて揃えた。それから文体が詩のような、吉本ばなな、江國香織、犬飼恭子も結構読んでいただろうか。他にも色々と手は出した、何故か安部公房を必死に読んでた時期もある。あれは疲れるな。やはり文体は柔らかいのが好きだ。

その頃、インターネットも始めていてメーリングリストに参加したり、Webサイトを作った物だから、なんとなく自分のテキストを垂れ流すようになっていった。1990年代も終わりかけの頃である。メーリングリストへの投稿は主にオフ会のレポなどが多かったのだけれど、いつも人が笑ってくれて、投稿を楽しみにいているというメッセージを貰えることが多かった。素人が味わえるインターネットの醍醐味である。テキストの馴れ合い!最高!Web上ではエッセイ的な物から詩、短編小説のようなもの、短いものを気が向いた時に、細々と日陰でしたため続けていた。

そして時は云十年と流れた。その間にテキストサイトからブログに、そしてSNSに発信場所は変化して、色んな人と出会って別れてきた。

ある時、知り合った人からやたら『貴方の文章は面白い!』と珍しく絶賛されることがあった。悪い気分ではないが、別に自分の文章そこまでちゃんとしてない湿気たテキストだという自負が常にあるので、ちょっと変わった人なんだなとビビりつつ感謝の言葉を返していた。その人にはSNSの投稿を随分面白い面白いと言われた。

自己否定感が強くて褒められると不安になるたちだ。でも、そんなに持ち上げて褒めてくれるならと、久々に短編小説のようなものを書き上げた。いつもの黙読3分くらいで済むような長さのものを。完成し、一番にその人に声をかけ見せたのだった。新しいの書いてみたけど、どうですかね?と。

そして返ってきた答えは

『目が滑る』

だった。

なんだろう。死にかけた。簡単に言うと、死にかけた。今までのネット人生でここまで死にかけたこと無かったな?って程度には、死にかけた。

別に作家目指しているわけでもない、なんとなく脳からあふれ出たものをテキスト化して日々綴っているような人間の私ではあるが。ちょっと死にかけた。

『目が滑る、字が多すぎて読む気にならない。』

読んでないのか…?

『貴方の面白さはこんなんじゃない』

えっ?!

『いつもSNSに投稿してるような短い行間のある文章のテンポが良いのに!』

おっ?!

字が多すぎて読む気にならないよ。短いのにしなよ。

あっ、そうなんだ。なんか、なんていうかすいませんでした。調子に乗って、すいませんでした。ほんとごめん。

なんかほんとごめん。

私の何がそんなに絶賛されていたのかさっぱり分からないし、その嗜好もよく分からないんだけど、少なくとも私は文字を書いている人に向かって『目が滑る』という人が苦手だなということが分かった。

嫌いなの見せちゃったのが悪かった、ほんとスイマセン。

なんていうか、死にかける。読んでも貰えない上に「おまえはそんなんじゃない」的なの言われると。そういうイメージだったの想定してなかったんですごめんなさい。でも出来ればね…『苦手なジャンルだったから感想言いにくいです、ごめんなさい』とか濁して欲しいなって思ったりしたんですよ、ほんとスイマセン。

内容のクオリティはさておき、物書いてる人に対して「目が滑る」はとどめを刺せるフレーズだと思ってます。まぁでも、実際目が滑る文章でもあるし、いちいち傷付いてんじゃないぞ?っていう話ですけど。調子乗ってゴメンなほんと御免。でもちょっと酷くね…?

何が好きか、何を目指しているか、何を求めいるか。書き手も読み手も違うのだ。そんなの当たり前だ。それでもやっぱり、言いにくいことを伝える時には少し柔らかく伝えたいものだなぁ、とは思っている。

さあ。このノートのコメント欄にも沢山「目が滑る」というコメントを寄せてもらえば、この文章は完成するのだ。さあ皆かけ!書き込め!「目が滑ります!」と!何がしたいのか私も分からねぇ。大丈夫だ、みんな目が滑るから最後まで読んでないはずだ。


※いくつかの出来事をつなぎ合わせたりしているので、事実を元にはしているけれど事実ではないかもしれないお話です。

投げ銭を頂いたりしたら、嬉しさと興奮のあまりワタクシの鼻毛が伸びる速度が上がって大変な事になることでしょうね…。