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この一年。

毎年、誕生日当日に必ずメールをくれる人がいて、故郷を離れたりしているうちに10年以上会っていないように思うのだけれど、年に一度、彼女は誕生日を祝う言葉とともに短文で近況を知らせてくれる。

私は彼女の誕生日に同じことをしていない。彼女だけでなく、ほとんどの人の誕生日を知らないか忘れて日が過ぎてしまっていることが多い。

いつもは「ありがとう」と軽い近況を伝える返事をして終わるところを、今年はこう書いてみた。

「誕生日って自分のも家族のもうっかり忘れてしまっているくらいなので、来年からはもういいよ、今までありがとう〜」と。

するとこう返事が来た。

「生存確認のために送っているだけなので、これからも送らせてね」と。

彼女はわたしの「安否」を知りたいのか自分の「生死」を毎年伝えたいのか、どっちだろう。

ユーモラスな人で、だけど毒舌にたじろいだ事も多々あったし、それでいて繊細で思いもよらない事を気にする人でもあって、私のようなマイペース人間には、その言動の意図がわからない。

だけど、たしか、彼女のお身内は私たちくらいの年齢で他界されていたんだなぁ。

関係というのは不思議なもので、遊ぶ人、飲みに行く人、美術館やライブへ一緒に行く人、その人の作品を好きで見に行くという関係、相手は自分を知らないのに一方的に好きで遠くから応援している人、など色々だけれど、彼女が私を気にかけてくれるのは、もしかすると、たとえばかつて近所でよく見ていた桜の木に対して「ああ、今年も咲いたのかな」とか、「あそにあったのにいつの間に伐採されたの?」と思うような感じに近いのかもしれない。そう思うと、なんて風流な関係だろう。

最近の話だからというのもあるけれど、それが今年印象的な出来事の一つだった。

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さて、引越しと同時に仕事場の一角で小さなギャラリーショップをしようと思い立ち、実行してから一年。

店は仕事との兼ね合いから週に二回ほど開けることで落ち着いてきたのだけれど、開けている日に誰もこなかったり、看板ものれんも出していない日にインターフォンを押して「お店、見ることできますか」と仰る方が結構いたりする。

突然の来店に戸惑いつつ、「じゃあ、まぁ開けましょうか…」と埃除けの布を外す間、後ろで歓声が上がることもある。

「わー嬉しい!」「よかったね。本当に来てみてよかった」

なんでそこまで、と思うほど喜んでくださるので、何やら社会貢献をしているような気がしたりして…

この前、デパートの食品売り場で行列のできているチキン&ポテトの店と、その向かいでお客さんが誰もいないドイツソーセージやキッシュのお店の間を通り過ぎた時、「嫌だろうなぁ、こんなの。自分の店は素通りされるのに、お向かいで行列があんなにできてて店員さんがあたふたしている様子を見るなんて…」と思っていたところ、一周して戻ったら、今度はソーセージのお店に人だかりができていて、チキンの店には誰もおらず景色は逆転していたのだった。

私の小さな店も、開けていても誰にも見向きされてないなぁと思う日が多いけれど、まるでここはUSJか?というほどオープンを待ち望んでいる笑顔に出会えることもあり、世の中って不思議だなぁ、何事も一瞬では判断できないものだなと、つくづく思う。

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ここからは、今年のお店にまつわることや出来事を、画像があるものに限って振り返ってみる。

1〜3月。クラウドファンディングに挑戦して、自分がお店をしているエリアのガイドブック(お散歩ルートナビ)を作った。多くの方にお世話になった。赤字もいっぱい出た(笑)。来年ものんびり、最後の一冊まで丁寧に配りたい。

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4月。不織布マスクが品切れになり、マスク不足で困っていた時期、タイの縫製職人さんたちも現地で仕事を失って困っていると知り、その方々とマスクを作り始めた知人から仕入れることに。

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パッケージデザインをして個包装は姉と二人がかりで行い、卸したり通販などもしたものの、一個売れても70円程度の利益なので、幾つもミスをしたり追加で差し上げたり交換しているうちに何が何やら…

たくさんの方に購入していただいて、今でも地道に販売中だけれど、結局、自分で買い取る数が一番多いかも…

4〜10月。今年、高校生の頃に集めていたマッチへの興味が再燃し(古民家で暮らすようになり、古いものに関心があるせいかと)、ご近所の方にも分けていただいたりヤフオクで入手したりしつつ…

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レトロ風マッチ作りに挑戦した。いろはにほへと順に、47種類。目指したのは「点取り占い」のゆるさ。でもつい「可愛く」「ちゃんと」描こうとしてしまうので難しい…

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よく、「この猫のをください」などと希望の絵柄を手に取られるのだけれど、一個ずつ売っているのではなくて「マッチくじ」(200円)で、箱の中のおみくじごと「引いて」もらうスタイル。おみくじとは別に「当たりくじ」が出たら、お好きな柄のマッチを一個プレゼント、というもので、お客さんにこの一連の説明をするのがなんだか難しい。そしてこれ、(手先が不器用なので)ラベルを箱に貼るのが実はとっても大変(笑)

10月、地元の中学生の方に授業の一環でうちの店を見ていただいたり、奥の部屋で私の人生(中学生から今現在に至るまで)をざっくりお話しする機会があり、自分には原稿代わりに、中学生にとってはレジュメのようなものになればと、「自分すごろく」を制作(画像は一部伏せたもの)。

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話のポイントとしては、「思い通りにならない事ばかりの人生を、脇道に逸れたりしながらどう進むか」というもので、後日いただいた生徒さんからの感想には「王道な生き方、型にはまった生き方ではなく、自分を持ち、自分らしく生きておられるのだなと思いました。それはきっと大変なことだろうと思います。」と書いてあった。

私自身、人生を客観的に振り返る機会になって新鮮だった。

11月。ご近所さんに頂いたアケビの蔓でカゴを編んでみた。世の中で売っているカゴがいかにすごいかを痛感した。両親が亡くなり親戚とも会う機会が少なくなった今、親世代の方とのさりげない交流にいつも励まされる。

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そして、最後に来年にかけての話を。

昨年末、小さな店をオープンするときに福島県相馬市の「工房もくもく」さん(歌手・アーティストのバッジや、Tシャツ、相馬のお土産やオリジナルグッズなど、多くの素敵な品を制作されている)にお願いして作っていただいた缶バッジ。

「一年経ったから、また新しい柄でバッジを作ってもらおうかな」と思っていたら、同じ頃に「工房もくもく」さんからひょっこりご連絡をいただいて、相馬のグッズ制作のイラストやデザインを担当させてもらえることに。


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福島県は会津若松にしか訪れたことがなく、「浜通り」(福島県を二つの山地で三地域に分け、東から順に浜通り、中通り、会津と呼ばれる)の風景を実際に見てみたいと思っていたので、秋の終わりに現地を訪れてきた。

どこか今自分が暮らしているところに似て、時空や地形に奥行きがある街だと思った。なんだか見るもの、会う人に何度もふわっと心が揺れる感じ。あ、ときめき、ってこれだった、と思い出させてくれる場所だった。

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グッズを作るためだけならそこまで必要ないのかもしれないけれど、図書館を訪れて資料をコピーしたり、分厚くて重い『原町市史』を買って帰ったりした。何しろ急ぎ足だったので、今度はゆっくり訪れたい。

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そうして実際に目で見たこと、感じた魅力をイラストやデザインに込めているので、来年そのグッズが完成するのが待ち遠しいし、自分でも欲しいし店でも売りたい、と思う。

思えば、一年前に自分が暮らし始めた町のガイドブックを作りたいと思った時と同じような、「ここ、いいっ」と誰かに言いたくなる気持ちなのだった。今年の年始と年末に似たような熱い気持ちになれて、普段テンションが低いだけに、自分の心の動きが嬉しい。

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来年やりたいことは他に3つあって、一つは真言宗のお寺さんとのコラボで、おみくじを作ること。

今、お店に置いているのは数年前に作った「はにほみくじ」で、元三大師みくじをベースに、いろはにほへとで47種類、47番までを作ったもの。イベントなどに持っていく関係もあって、内容は江戸時代に流行したみくじ本の流れを汲む明治・大正期に刊行された本に従いつつ「凶」という表現を避けて作ってある。けれど今度は本格的に100番まで、凶も入れたものを現代版で作って、せっかく知り合いの僧侶の方とご一緒に作るので、凶を引いた方のための解説や受け止め方のヒントをいただいて、裏面に「おまけ」っぽく書き添えたい。

あと二つは、4ヶ月ほどかけて作る予定のZINEと、木工作家さんとのコラボ。準備をしてコツコツ進めてから発表したい。

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…と、あれこれ書いてみたものの、ここで触れていない本業の方が不調だったので、今年はずっと、うちにいるはずの貧乏神をどうやって出て行ってもらうかを考えてばかりの一年だった。

ある時期、仕事が途絶え、何をする気もなくなって、店も開けずに表の部屋で窓の外を眺めながら本を読んで、鹿が前を通り過ぎたら追いかけて、1日鹿とともにボーッとする、と決めて「張り込み」をした週があった。そんな時に限って鹿は前を通らなかった。

ある時期は、1日中、夜中まで動画を見て過ごしたこともあった。

そして、持病が悪化して、痛みとともに布団に丸くなるだけの日も多かった。

私の仕事の不調が感染症拡大や緊急事態宣言以降の行動制限から来ているのか、私自身の問題から発しているのかは微妙なところだけれど、デザインやイラストの仕事においては、何事につけても「人のせい」「時代のせい」にできない部分があり、そこが辛かった。仕事が来ない事より、せっかくいただいた仕事に対して結果を出せない事がもどかしかった。

だけど、霧はいつの間にか晴れて、テニスでいうと、ずっとサーブが入らずに試合が終わってしまうような感じだったのが、ようやくサーブが入ってラリーができて試合らしくなってきた気がする。

そのきっかけになったのは、友人から仕事を始めて十周年記念に名刺のデザインを発注された事や、ネットで私の作品を知って遠方からお店に来られたり、その後名刺のデザイン依頼をくださった事だったかもしれない。

今年気づいたのは、自分で創作して発表したり店をしたりするのも好きでやっている事だけれど、それと同じかそれ以上に下請けの仕事が心底好きなのだろうということ。好みのものばかりやっているのは案外退屈なことだし、自分の思いつくことは変化に乏しい。やりたい事、行きたいところというのは、何かしら制限されて初めて思いつくものだし、誰かに頼まれて思いがけないことに手を出すからこそ新発見があるんじゃないかと。

そんなわけで、振り返ってみると他者との関わりによって、また孤独な時間のおかげで、己(おのれ)の気持ちをいつも以上に知る一年になりました。

読んでくださりありがとうございました。

また来年〜