haniho_kum
考えていることを、言葉で伝えようとしたアレコレ。
両親の介護を終え、その後どうしよう…と思いをめぐらせ、思い立った引越しと小商いの話。
資料整理を兼ねてまとめた、自分が集め保管している細々したモノたちの画像。
1974年〜2018年まで、大阪・阿倍野の路地裏にあった珈琲店『力雀』。店主・雀さんが大切に残した44年分のお客さんやスタッフの猫・ミミィちゃん(三代目まで)との愛すべき日々を、そしてそれぞれの時代を、お店のカウンターで綴られた「お客さんノート」(大学ノート172冊/欠番数冊あり)やスナップ写真から知ろうとする試み。
おみくじについて調べたり、お経を絵にしたり、素人が仏教の世界についてあれこれ近づこうとして何かを創作したりまとめたりします。
先日、一泊二日の旅をしてきました。思いがけない出来事があるという点で、旅は人生に似ていると実感したので、忘れぬように振り返ってみます。 1.出発まで 福島県を初めて訪れたのは2016年。会津若松への旅だった。 2010年の終わりごろから、旅の本「ことりっぷ会津・磐梯」を買って旅を計画していたところ震災が起こり、泊まりたいと思っていた東山温泉の旅館が営業を休止して福島第一原発の付近から避難した方々を受け入れられることになり、おかみさんが日々発信されるブログを見に行くようにな
頭の中で「こんな感じ」と思い浮かべたり、自分が好きな感じの絵がいつまで経っても描けない。 世の中には好きな絵や立体作品がいくつもあるのに、自分が何かを描いたり作ろうとするとどれにも全く近づけないというか、こうしたい、こうありたいと思う何かに気持ちは近づこうとするのに同極の磁石が反発するように寄っていけない。 なぜだろう。 冷蔵庫の中の材料でチャーハンや親子丼を作る時なら「想像通りか、想像したより結構美味しいorイマイチ」と誤差は少ないのに、絵や物づくりでは頭でイメージしたこと
段ボールや紙の束で雑然としている部屋のあちこちに、赤いものを置いています。分量で言うと部屋全体の2割くらい。大きな面積を占める布はベージュやグリーン系だけど、赤のラインが入ったリネンやタータンチェックのトランク、真っ赤なウールのストール、赤べこやこけし、だるまに小ぶりの凧など、赤いものがあると、なんとなく全体を人懐っこく、可愛くあたたかく見せてくれている気がして良いのです。赤には人情味があるというか。 赤いフェラーリや赤いハイヒールは遠い存在だけど、小さな鉛筆削りになった赤い
新しい年が始まりました。 年末、隣の駅の大きめの文具店は大勢の人で賑わっていて、年賀状づくりのための版画板を探す人、孫のためのキャラクター文具をその場に居合わせた客同士で「うちは4年生で」とか「女の子はこういうのがいいかも?」などと盛り上がりつつ選ぶ人々、お年玉用ぽち袋を買う人などの様子に、〈自分は年賀状も出さなくなったしもらうこともなくなったし、両親が亡くなって親戚付き合いもほぼ無いし、帰省しなければきょうだいにも会わないし、普段通りだなぁ。むしろ年末って普段よりちょっと寂
今年は世界のことを意識する場面が多いというか、世界地図を目にすることが多い一年でした。 今回は世界地図をおともに2023年を振り返りながら、最後に自作の世界地図イラスト(トップ画像はその一部)を載せるので、終わりまでズズッとご覧いただけたら幸いです。 ・コーヒーまずは、先日訪れたカフェ(京都市動物園併設)の壁にコーヒー豆の産地を示した世界地図がデザインされていて、「赤道付近に産地が集中しているのが分かりやすいな」と写真を撮ったつもりが保存し忘れて残っていなかったので、自分で
小学生の頃、こたつでテレビを見ていると、目の前をねずみが横切り、ふすま 沿いに走ってゆくのをよく目撃した。 夜の飲食街の裏手で目にするドブネズミとは違い、彼らは小さくて白くて顔はシルバニアファミリー風だけど、その可愛さが却ってこわい。 家族が寝静まった夜間に何かを(食品に限らず電気コードなども)ちょっとずつかじっていく、その痕跡を朝見つけるのがまたこわい。 母は当時、彼らの話をするときは盗聴器でも警戒するように「ネー子ちゃんが」と声をひそめた。とくに駆除剤については本人(人で
理不尽なできごと1回ごとにスタンプを1つ押してもらって、ある程度たまったら何か小さな幸せに交換できるシステムが人生にあったらいいのに。 ***** 昔、仕事関係の団体で海外出張に出かけた時のこと。 私はその団体に所属しておらず、単発で関わるだけのフリーランスだったので、その場にいる人に満遍なく愛想よく、かつ控えめに振る舞おうと気を張っていた。 その中の一人が空港でパスポートを忘れたと気づき、後の便で追いかけてくることになり、その人のお仲間さんと(一人参加の)私が隣同士で
連休中は、どこも人でいっぱい。 土曜日に用事で出かけたところ電車がとてつもなく混んでいたので、日曜日は人混みを避けて徒歩(帰りはバス利用)で世田谷美術館(砧公園という東京ドーム8個分ともディズニーランド程ともいわれる広い緑地の一画にある)へ出かけてきました。 現在開催中の『土方久功と柚木沙弥郎ー熱き体験と創作の愉しみ』では、土方さんのブロンズ彫刻(人物ものや、人間と爬虫類の組み合わせの作品など、気に入った作品のポストカードを売っていなかったので画像なし)や、柚木さんの「なら
※後半に追記(10/25)あり。 普段、noteは取引先の方に画像を交えながら提案するときや、メールで伝えづらいことをやはり画像を並べて誰かに説明する際に、下書き保存した記事を「共有用リンクをコピー」して相手に伝えて見てもらう形で使うことが多い。 ただ、数日前、通知欄に「8/31までに記事を書くことで、連続投稿12ヶ月を達成できます!」とあったので、せっかくだから何か投稿しておこうか、と思ってはみたものの、さて何を書こう。 最近知人から「Twitterは登録者以外の閲覧
たとえば粘着コロコロクリーナーが売り場で複数あって安い物を選んだら、そちらにはカットラインがついていなくて斜めにビリビリになって使いづらく「高い方を買えばよかった」と落ち込んだり、安さにつられて買った食品用ラップが薄くて破れやすくうまく引き出せず斜めに切れて何周も無駄にしたり。 何かの値段にはそれなりの事情があるとは想像できるものの、謎は多い。なぜその値段なのか。本当はどの程度が妥当なのか、自分はどの値段の何を選ぶべきなのか。今回はそんなことに思いをめぐらせてみた話を。 1
3週間近く、毎日昼食後から日暮れ近くまで、リビングの畳の上で横になって過ごしていた。 14時頃からテレビ朝日でドラマの再放送があり、西村京太郎原作のものや「おかしな刑事」などの2時間ドラマ、または「科捜研の女」や「相棒」シリーズなど(もう何度も見た話ばかりだけど)を昼食をとりながら見始めて、食後に寝転んでしばらくすると俳優さんの声が遠くなり、気付いたら夕方に…という繰り返し。 仕事は午前9時から13時半ごろまでと夕食後から深夜0時ごろまで行い、買い物や図書館へは日が暮れて
壁の一か所に、水色コーナーを作ってみた。 日常生活の中で水色のものに触れる機会はたくさんあって、事務封筒(ねんきん定期便やNHKからの書類など)だったり、洗濯物を干すピンチハンガーやバケツ、水撒き用ホース、現場で働く方の作業着、Twitterのアイコンだとかアイスのガリガリ君とか、あげるとキリがない。 どんな色でもそうなのだけど、その色をまとう何か(誰か)が素敵に見える場合と、そうでなくてただ「これは○色だ」と感じるだけで終わる場合があって、水色の場合は特に、ポリバケツや公
雨の季節になった。 今住んでいるアパートは小さな二階建てで、一階ごとに一部屋しかないため、私ともうお一人だけで満室状態だけど、敷地内にある大家さんのお宅(外階段があるアパート風)の二階にも住んでおられるようなので、店子は3人ということになる。 入居の順は、下の階の方→、私→大家さんの二階の方なのだけど、以前、その二階の部屋には赤い傘を使う女性が住んでいた。 姿を見たことはないけれど、私が引っ越してきてわりと間もなくその人が退去して空き家になって、郵便受けの名前を外して「のっ
まだ日があるので変更があるかもしれませんが、今週末5/20、21(土日)の東京は、晴れ時々雨と、曇りのち晴れのようです。 5/21には昨年私も参加した文学フリマが開催されるそうで、そちらの会場へも多くの方が訪れるでしょうし、各地へ行楽に出かける方も多いでしょうが、私は数年ぶりに東京ビッグサイトの「 DESIGN FESTA vol.57」に出展します。 一応途中でブースを抜けて客としても会場を回るつもりですが、会場が広くて(西&南ホール各1階+4階)全体を見ることは不可能だろ
1.おみくじ のこと 2019年にこんなZINE(お寺などでよく見かける、ある系統のおみくじを全種類載せて自己流にゆるく解釈したもの)を作った。 きっかけは、2014年か2015年頃のお正月に、身内が下の画像とほぼ同じ挿絵のおみくじを引いたのをチラッと目にして、だけど本人がすぐに結び所に行ってしまって詳細が見えなかったので、以来ずっと「なんであんな物騒な場面の挿絵がついていたのか。あのおみくじには何が書かれていたのか」が気になって、その時引いたのと同じ系統のおみくじを探そ
先日京都に帰省して、大阪、兵庫、奈良にもちょこっと寄ってきました。 どこも人混みがすごくて、あまり身動きは取れなかったけれど、静かなお寺の内陣に入って鎌倉時代の運慶・湛慶親子の作だという大きな仏像を前にしたり、樹齢800年と伝わる神社の大楠に再会したりして(大枝がいくつも切られていて、かつての姿とは違っていたけれど)、自分が10回輪廻転生しても届かなさそうな、はるかな時代に思いをはせたり、何気ない風景に「ああ、あんなこともあったなぁ、あの時はああだったなぁ」など個人的でささ