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妖怪とわたし(その1)

はじめに

今年も蚊帳を出しました。
昔ながらの吊り下げ式じゃなくて、変なレースがついた安価なワンタッチドーム型の蚊帳ですが、毎年夏の夜は行灯風ライトで杉浦日向子さんの『百物語』や地方の民話、そして水木しげるさんの怪奇ものを読み返したりします。蚊を避ける目的にとどまらず、薄い繭の中にいるような安心感と異空間にトリップするような不思議な心地がするというか。

数ヶ月前、包装紙のお店Regaro Papiroさんで買ったハギレ千代紙の中にかわいい妖怪柄があって、小さいのでただ飾って眺めていたのだけれど、せっかくだから自分でもお化け柄を描いてみたくなって、今日はその前段階の話です。
きっかけになった千代紙はこちら。

Regaro Papiroさんの「ハギレチヨガミ」9×9㎝7柄×2枚 左がお化けの柄

全体をみたくてオンラインショップへ行ってみると、大きなサイズ(包装紙)はこんな感じでした。この柄のパジャマがあったらいいなぁ。

Regaro Papiroさんの妖怪柄包装紙(画像からオンラインショップへ飛べます)

描かれているおばけ(妖怪)は11種類。
1.ろくろ首 2.九尾の狐 3.提灯おばけ 4.河童 5.のっぺらぼう 6.猫又 7.ひとだま 8.唐傘(からかさ)おばけ 9.化け狸 10.一つ目小僧 11.一反木綿

有名どころの妖怪はだいたい揃っているようですが、この他に『遠野物語』(柳田國男著)に出てくる12.座敷童(ざしきわらし)13.天狗なども入れたいです。雪女は松本零士さんの描く美女みたいな印象があるので、頭身バランス的に入れるのは迷うところ。
また、一反木綿に「ぬりかべ」も追加したいところですが、『ゲゲゲの鬼太郎』シリーズでおなじみのキャラのあの姿は、九州の一部地域に伝わるヌリカベの伝承(夜道に行く手をふさぐ壁があらわれて先に行けなくなる)を紹介した柳田國男の『妖怪談義』をもとに水木さんが創作したものらしいので、もし自分が描くにしても©️水木プロのぬりかべ様のパクリになってはいけないのはもちろん、個人的にヌリカベは透明な壁なのでは?と思うので、ラインナップに入れるのは難しいのかなと。
水木さんは「妖怪は昔の人が残した遺産だから、その型を尊重し(怪獣なんかのように創作されるべきものではなく)後世に伝えるのがよい」とお考え(※参考1)だったようで、とくに江戸時代の鳥山石燕(後ほど(4)にリンクあり)の妖怪画を忠実に再現しておられて誠実だなぁと思います。

ここからは、上の13種類のうち九尾の狐猫又(化け猫)、そして最後に付喪神(つくも神)にズームインしたいと思います。約8700文字ありますが薄くて浅い話ですので、読み飛ばしつつ気楽にお付き合いください。


(1)九尾の狐

九尾の狐は中国に伝わる伝説の妖怪(霊獣)で、物語の中で登場するときは、殷王朝を傾けたとされる美女(悪女)妲己、日本では平安時代末期に鳥羽上皇の寵姫だったとされる伝説上の人物・玉藻前の正体として知られています。
もともと玉藻前伝説が成立した室町期には二尾の狐だったのが、江戸時代に九尾の狐となり中国の妲己とも結びつけられて歌舞伎や読み物などで人気を博し、ブームは今も続いているのか、実は私のPC内の本棚にも玉藻前伝説を元にした木原敏江さんの漫画『白妖の娘』(プリンセス・コミックス2016〜2019)と波津彬子さんの『幻想綺帖(二)玉藻の前 原作・岡本綺堂(朝日新聞社 2009)が入っています。
前者は九尾の狐が残虐で怖いけれど美しくて寂しげで、だんだん人間の方が醜く怖く感じられる作品、後者は怖さは少なめで人の弱さや人を想う切なさを味わえる読み切り作品で、玉藻前伝説初心者にも分かりやすいです。

ネット上の本棚はこんな感じ。左4冊:木原敏江『白妖の娘』4巻完結(現在改訂版6巻完結発売中)
右:波津彬子『幻想綺帖(2)玉藻の前 原作・岡本綺堂』

漫画を読んだきっかけは、2018年に宝塚歌劇の『白鷺の城』という日本物レヴューを観たことでした。陰陽師・安倍泰成と人心を惑わす妖狐・玉藻前が千年にわたって転生を繰り返しながら対決しつつ心惹かれ…という構成で、途中、泰成の先祖・安倍晴明の出生説話から母の葛の葉(正体は狐)も登場するなど盛り沢山な演出で。ただ肝心の九尾の狐は尻尾が映像で表現されていて、それも一瞬だったので怖くはなかったです。
「玉藻前伝説」で検索するとWikipediaには九尾の狐の経歴が載っていて、1.殷(中国古代王朝)の最後の王の后→2.天竺(古代インド)のある国の王子の夫人→3.周(再び古代中国)の幽王の后→4.その後若藻という少女に化けて吉備真備の乗る遣唐使船に同乗し来日→5.玉藻前として鳥羽上皇の寵姫に、という流れのうち、宝塚版では1と4、5の場面が入っていたことでSF的な流れに興味を惹かれつつ「???」となって漫画を読んだのでした。
ネット上の古典資料でも安倍泰成が照魔鏡(妖怪の正体を暴く鏡)を玉藻前にかざしたり、九尾をあらわにする様子が確認できます。

左:「安倍泰成調伏妖怪図」(2/3枚、部分)香蝶楼豊国画(国立国会図書館デジタルコレクション) 
右:『今昔畫圖續百鬼』鳥山石燕画より/九大コレクション(九州大学図書館)

余談ですが、安倍泰成が持っている照魔鏡は『ゲゲゲの鬼太郎』の「鏡合戦」前後編(※1)に登場する雲外鏡(うんがいきょう)という恐ろしい鏡の妖怪(国書データベース「百器徒然袋」に収録)を調伏・退治するときに正体を暴く目的で使われていて、「ああ、これがアレだったのかぁ」と嬉しくなりました。

上の「安倍泰成調伏妖怪図」とほぼ同じ場面だけど、少し狐度が高い絵も発見。これは、このあと九尾の狐が逃げた先で退治され石に姿を変えて、だけどその石が毒を発して鳥や人など生き物の命を奪い続けたため殺生石と呼ばれて…という「殺生石伝説」を描いた読み物の後半ページです。

「せっしやう石」[鱗形屋],[江戸中期]. 国立国会図書館デジタルコレクション

陰陽師たちの祈祷を受け鏡に正体をうつされ、大きな狐となって九尾を振り立てた玉藻前(右肩あたりに「玉」と印がある)は「我は三国伝来の古狐。天竺では斑足太子を惑わし、大唐では殷の紂王をたぶらかし、今この国で帝を死なせようとしたがこれまで」的なことを叫んでいて、遠山の金さんばりの勢いで自らの経歴を読者に披露しています。

最後に玉藻前が完全に消え、金毛九尾の狐の姿で描かれたものもありました。尻尾がかっこいい!

「古今こん悪狐退治」部分 歌川芳虎 文久3.7(1863.7)  出典:日文研デジタルアーカイブ

少し話がそれるんですが、上の画像の背景の狐さんたち、切迫したシーンなのにのんきな感じが面白いです。とくに右上の狐さんの、のほほんっぷりたるや。

(2)猫又(化け猫)

水木漫画には猫が出てくる作品が結構あって、その中で「猫又」(※2)という話は嫌な汗が出るほど怖いです。また「猫又の恋」という作品もあって、そちらは怖くなくて不思議でちょっといい話。
それから、子どもの頃好きだった『悪魔(デイモス)の花嫁』(プリンセスコミックス/あしべゆうほ絵・池田悦子原作)6巻の「闇の中の瞳」という化け猫にまつわる話が怖かったことを思い出し、今回、久しぶりに電子書籍を買って読みました。年老いた飼い猫が姿を消した頃から武家のお姫様が行灯の油をピチャピチャ舐めたり手を使わず食事したりするようになり、ある晩、化け猫を追って火を放つも逃げられ、直後に姫が手に火傷をしているのを見て当主や家臣たちがゾッとして…という展開。
九尾の狐が「世界征服をもくろむヒーローものの敵の幹部」だとすると、化け猫は個人的な恨みを果たしたり飼い主の思いを継いで復讐する、例えば松本清張作品『霧の旗』の主人公女性(冤罪の兄を見捨てて死なせた弁護士を執念で追い詰めてゆく)みたいなイメージでしょうか。怖さの質が違うような。
上に挙げた二つの漫画は著作権の関係で転載できないので(それ以前に載せるのにためらう怖さでもある)、ここでは江戸時代の双六の可愛い猫又を載せます。

一寿斎芳員『百種怪談妖物双六』,和泉屋市兵衛,安政5. 国立国会図書館デジタルコレクション

数年前に買った『猫づくし日本史』(※3)によると、「猫の姿で人前にあらわれる時の化け猫は、頭に手拭いをかぶり、2本の後足で立ち、その長い尾は二股に分かれている」そうで、確かにこの双六上の猫さんたちも頭に手拭い+二本足立ち+二股の尾です。上がりが「猫又」なので、妖怪の中でもトップ級の人気&怖さなのでしょうか。こんなに可愛く描かれるのも、実は猫の本性が怖すぎるがゆえの逆転現象なのかもしれません。

一寿斎芳員『百種怪談妖物双六』部分。出展:国立国会図書館デジタルコレクション

『猫づくし日本史』の〈江戸時代の人びとが怖れた化け猫・山猫〉というページに、「年老いた母親と暮らす男が、実はその母は猫が化けたものとうすうす気づいているのにどうすることもできず、ところがある日、母が猫の姿をあらわしたので(やはり化け猫だと確信して)男が斬り殺したところ、猫は母の姿に。後悔した男は切腹しようとしたが友人に引きとめられ、少し待っているとやがて母の姿は猫の死骸になって安堵した」という話が紹介されています。
先述の漫画『悪魔の花嫁』の化け猫の話も似ていて、身内の姿をした化け物を退治しなければならない辛さが特徴のようです。
歌舞伎でも「化け猫もの」は人気で、有名な「鍋島の猫騒動」という演目は昭和期に映画にもなったとか。もともとは鍋島藩の御家騒動に化け猫伝説をからめたもので、国立国会図書館デジタルコレクションで明治期の読み物を見ることができました。いくつかの系統があるようですが、今回は鍋島猫騒動の考察をしている論文(※参考2)を頼りにあらすじを想像してみました(正確ではありません)。

扉絵と冒頭。鍋島家の当主(佐賀藩主)は後継ぎをめぐり臣下の龍造寺又七郎と碁で勝負していたが、その際のいざこざで腹を立て殺してしまう 『鍋島猫騒動』,豊栄堂,明22.7.
出典:国立国会図書館デジタルコレクション  
又七郎の母は恨みを抱えて自害し、その血をなめた飼い猫は姿を消す。それからしばらくして、佐賀の庭園で夜桜を楽しむ宴席に化け猫があらわれ当主に襲いかかるも、退けられる 出典:同上
当主が佐賀の太守(大名)として江戸の鍋島家と佐賀を行き来する間、猫又も旅をして怪異を起こす
 出典:同上
今度は奥方に取りついて当主を苦しめる猫又。当主は病に伏せっていたが、ついに正体を見破った家臣の伊藤左右太らが猫又を退治する 出展:同上

猫が誰かに化ける=食い殺される、なのでそこがとても怖いのだけど、絵が細部まで美しいのと、参勤交代についていって(参考2の論文によると側室の長持ちに隠れていたり、家老の肩に取り付いていたりする場合もあるらしい)旅をする猫又はちょっと可愛くて面白いです。

(3)付喪(つくも)神

九尾の狐と猫又というスター妖怪のあとは、近年人気の付喪神(つくも神)について少し触れたいと思います。
付喪神とは、長い年月を経た道具などに精霊(霊魂)が宿ったもの(Wikipediaより)。
15年前に国立歴史民俗博物館で百鬼夜行絵巻を見て「面白いなぁ、好きだなぁこういう世界」とポストカードをたくさん買ったり、また一昨年、ゲームなどで人気の『刀剣乱舞』の(設定を取り入れた)新作歌舞伎を観て、刀剣男子とは刀の擬人化ではなく「付喪神」なのだとその時知って親しみを覚えたものの、とはいえ付喪神や百鬼夜行についてはあまり調べたりしないまま今に至ります。

今回「妖怪柄を描きたい」と思い立ってネットであれこれ検索して、その過程で京都大学貴重資料デジタルアーカイブで「付喪神絵巻 」(2巻)とその解説を目にして、ようやく少し事情が分かりました。
下に、その絵巻(室町期に成立したお話を江戸末期に彩色模写したもの)の一部を転載します。以下は私が雑にまとめたあらすじなので、実際の解説ページもぜひ。

①その昔、作られてから百年経った道具には魂が宿って「つくも神」となって災いをもたらすと考えられていて、人々は新年になると古道具類を捨てていました。

新年のすす払い(大掃除)で路地に捨てられた古道具たち 『付喪神絵巻2巻』1巻より部分 
出典:京都大学貴重資料デジタルアーカイブ 

②長年つとめを果たして主人の役に立っていたのに捨てられるなんて…と腹を立てた古道具たちは、人間へ仕返しをしようと相談します(すでにこの時点で上の場面とは違い、目鼻がついています)。

右画面では古道具たちが興奮しているところ。数珠がみんなをいさめたところ、近くにいた手棒に怒って打ちすえられてしまう(左の画面) 出典:同上

③その中にいた数珠は「これも因果であろうから(人を恨まずに)仇を恩で返せ」と口を挟むも殴られ、悔しがりながら去っていきます。残ったものたちは節分(陰陽が入れ替わる時)の夜に造物神の力にすがり、さまざまに恐ろしい妖怪に転生しました。

元の姿が何だったのか分からないものもあるほど変化していて、百鬼夜行絵巻などで見かける姿にも近い
 出典:同上

④彼らは都のほど近くに住み、時々山から下りてきて悪さをはたらき、捨てられた恨みを晴らすばかりか調子に乗って放蕩を尽くし、一方で和歌を詠んだり独自の神を祀ったりしました。ある日、妖怪たちの神事の行列が時の関白の車と鉢合わせになり一触即発。しかしそのとき関白のお守りから炎が噴き出し妖怪たちを追い払いました。
そのお守り(呪文)を書いた僧正が呼ばれ、帝から祈祷を命じられます。
祈祷の末、(不動明王が遣わした)護法童子たちが雲に乗ってあらわれて妖怪を退治しました。命だけは救うと言われ、改心する妖怪たち。
彼らは世を嫌って山奥に暮らしていた元・数珠(もとは彼らと一緒に捨てられた古道具仲間)の一連上人のもとを訪れ、懺悔して出家を願い出ました。

一連上人のお顔の輪郭は数珠。
右手前にいるのが昔、数珠を殴った手棒と他の古道具たちが変化した妖物
『付喪神絵巻2巻』2巻より部分 出典:同上
剃髪し出家する様子 出典:同上

この絵巻は「古道具などの心の無いものが成仏できるなら、どうしてわれわれのような心ある生き物が成仏できないことがありましょうか。この古道具たちが成仏したという話を聞いて、いよいよ真言宗の教えの深さを信じる気持ちが強くなるでしょう。即身成仏を願うなら、すみやかに真言の教えを信じることです」(解説分より)と伝えようとしたもので宗教色強めですが、同じ話が国立国会図書館のデジタルデータの方でも(別の写本なので絵柄は若干違う)閲覧できるので、結構広く読まれていたのだろうと想像します。
ここに出てきた付喪神の中で、お気に入りはこちら。

左:鍋 右:しゃもじ 出典:同上

(4)怪異に出会える本&参考にしたもの

おしまいに、今手元にある本のなかで今回話題にした怪異が登場するものをご紹介します。

【その1】
秋山亜由子さんの『こんちゅう稼業』から「つくも神」という短編。
中が載せられないので表紙だけ。

南伸坊さんの装丁も素敵なカバーと本体表紙 (画像から青林工藝舎アックスストアへ行けます)

具合が悪くなって寝込んでいる青年を幼なじみ女性が訪ねると、「寝ようとすると小さな侍が自分をつっつき回すんだ」と虚ろな顔。彼女は散らかった部屋を見て「長いこといろんな物がほったらかしになっているでしょ そうすると物の怪の類がつくもんなのよ」と片付け始める。するとやがて「ツクツク自分を突いてくる」モノの正体が分かり…という奇想天外なようで身近な、読後感爽やかなお話。こんなかわいい付喪神なら会ってみたい。

【その2】
残りはまとめてご紹介。本文中に触れたもの※1〜3も含みます。

左上から時計回りに
・(※3)『猫づくし日本史』武光誠 河出書房新社 2017
古代〜現代の歴史×文化×猫の話題が満載。カラーページも充実で大満足の一冊。
『怪談 民俗学の立場から』今野圓輔 中央公論新社 2005
足のある幽霊・ない幽霊、人魂の色・形・種類などの考察など読みやすくて楽しい。巻末の索引が(小豆洗い、九尾の狐、曽我兄弟などアイウエオ順で)便利。
『水木しげるの遠野物語』水木しげる・柳田國男 小学館 2010
残虐な場面や命を落とす結末が多いので水木さんご本人がキャラとして登場してホッとする。8話、神隠しにあった娘が30年後、その家の親類一同の集まる日に山姥のような姿で戻ってきて「中に入れ」とすすめられるも「皆の顔が見たくなって来ただけじゃ もう帰る」と去る話が切ない。
・(※1)『ゲゲゲの鬼太郎3』少年マガジン/オリジナル版 講談社 2007 
「鏡合戦」に雲外鏡や照魔鏡が登場する他、「のっぺらぼう」や人魂も収録。付録・日本の妖怪たち紹介のイラストが「百鬼」系の古典資料に忠実ですごい。
・(※2)『畏悦録 水木しげるの世界』水木しげる 角川書店 1994
恐ろしい猫漫画「猫又」収録。巻頭の「終電車の女」は怪談牡丹灯籠をモチーフにしている。「霊系手術」にも人魂や人魂天ぷらが登場。
『百物語』杉浦日向子 新潮社 1995
人に化けるやむじな、などの、ちょっと間の抜けた様子と正体を見抜きつつ相手する人間が良い。「ぬりかべ」ではないけれど「道を塞ぐもの三話」も収録されていて興味深い。
『百日紅』(下)杉浦日向子 筑摩書房 1996初版-2015第17刷
(上)も面白いけれど、ろくろ首仙女カワウソ、などが出てくるのはこちら。出色は最後の「山童」で、遠野物語8話とは違い、神隠しにあった娘の「その後」をポジティブに捉える結末に救われて本を閉じることができる。

【参考サイト・参考論文】下線がないものは上の記事中にリンクあり。
・国立国会図書館デジタルコレクション
・京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
・九州大学附属図書館/九大コレクション『今昔画図続百鬼』鳥山石燕画
国書データベース(鳥山石燕画・百器徒然袋)
・(※参考1)この発言は、人間文化第33号「水木しげる作品にみる民間伝承の利用と潤色」蛸島直(ネット上のpdfデータを閲覧)の中で『妖怪なんでも入門』第一章の冒頭から引用されている箇所を参考にしました。
・(※参考2)鍋島猫騒動の変遷:実録・講談と『花嵯峨猫魔稿』 早川由美 名古屋大学国語国文学 2000.07 名古屋大学学術機関リポジドリ/pdfデータで閲覧(タイトルで検索すると閲覧できます)

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おわりに

水木しげるさんの『妖怪なんでも入門』という本の冒頭にこんなメッセージがあります(小学館の試し読みページで全文を読むことができます)。

妖怪というのは昔の人から伝わったお化けで妖怪をみていると昔の人の気分とか気持ちがよくわかる。(中略)
妖怪はおそろしいとともに、われわれのおじいさんのそのまたおじいさんの時代の気分とか、生活の感じをよく出していると思う。おそろしい妖怪だってそうだ。
われわれは恐怖におびえた時、人の顔が妖怪に見えたりするようなもので、
昔の人もおそろしいことをたくさん味わったのだろう。だから、昔の人の気持ちがおそろしい妖怪をたくさん生ませたのだ。

『完全復刻版 妖怪なんでも入門』小学館p10-11「妖怪のあじわい方」より

令和の今、畳の上に煎餅布団を敷き、蚊帳で寝ているときに私がふと感じる不思議な気持ちも、これに近いのかなぁと思うのです。

一番怖いものはお化けでなくて人間。
それを教えてくれた作品の一つは永井豪『デビルマン』です。
政府側にたきつけられた人たちが同じ人間を「正体は悪魔ではないか」と疑って容赦無く殺戮する凄惨なシーンは今もトラウマ(特にヒロイン一家の運命に絶句、アニメ版と違いすぎる)。ただ、人の弱さ、愚かさは現実そのものだとしみじみ感じてしまう。
水木さんの漫画でもいわゆる「悪い妖怪」「外国からやってくる悪魔」と同じくらい、時の政府要人やメディアの上層部、大企業のトップやお金持ち、海外の要人たちの酷薄でエゴイスティックな姿が一貫してひょうひょうと描かれ、デフォルメされていると笑えないほどリアルです。
改心すべきは悪さをする妖怪ではなく、自分の利益しか考えずに他者を攻撃する人間の方ではないのか。そう思う私も長いものに巻かれ色々なことから目を逸らしていて水木漫画に出てくる無表情の人間の側にいる。
妖怪やお化け、幽霊は、本当に怖いものをどうにかソフトに受け入れるため、あるいは現実の不条理や恨みを世に訴えるために、人の心が生み出した仮想世界でのアバターみたいなものかもしれない。

てなことを思いながら、割り箸の先を削ってペンにして墨汁で妖怪を描いてみました。が、怖さがないのはともかく躍動感や人間味(妖怪に対して言うのも変だけど)が感じられないのです。妖怪でも何でも血が通っている(血が通っているのかどうかも謎だけど)ようにイキイキした姿に描きたいものです。

怖くない妖怪柄その1

次回はもっとゆるくてとぼけたお化け(付喪神)たちを探して、私の部屋の「付喪神予備軍」たちの話もできればと。そして妖怪柄その2も描きたいです。