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HANICAMU History 01 Shino Wada

HANICAMU project 誕生のHistoryとして、projectメンバーの方々にインタビューをする企画を立ち上げました。

第一回は、HANICAMU project の生みの親とも言える岡崎商工会議所の和田さんにお話を伺いました。

project 誕生のきっかけともなった、岡崎商工会議所で開かれた「YG(わいがや)プロジェクト」。
今回は、このYGプロジェクト誕生のきっかけから、今日に至るまでの和田さんの思いを掘り下げさせていただきました。

YG(わいがや)プロジェクトの立ち上げ。 そのきっかけとは?

株式会社Edge Creators 坂本さんとのお話がきっかけでした。
坂本さんからトヨタ時代に、ワイガヤ会議という会議があったことを教えていただいて、異業種の方と就労時間内に、わいわいガヤガヤと談笑ベースにアイデアを出し合いながら、イノベーションを起こしていた。というお話を聞いて、素敵なことだな。って思ったんです。

それで、早速やってみようと思ったんですが、せっかく岡崎商工会議所でやるなら経営者のためになるような会議にしたい。そしてただの会合で終わらないようにビジネスに繋がるような。そんなプロジェクトにしたいと思ったんです。

YG(わいがや)プロジェクト第一回の印象はどうでした?

率直に言って個性的な人が集まったなと思いました(笑)
Edge Creators 坂本さんはもちろんのこと、岡崎市内でニッチな事業をやられている人が集まってくれたなって感じました。
日本の産業がこのままでいいのか? って危機感を持っていた方も多かったように感じます。

規模感としては予定していた人数だったんですかね?

いろんな人に意見を聞いて、10人くらい集まらないと会議が盛り上がらないよって言われてまして、当会議所の副会頭(当時)、岩月さんにも10人くらいの規模感から始めないと。とご意見伺ったので、まずは10人集めようと。公募して声掛けして、10人でスタート! って感じですね。

第1回目の手応えはどうでした?

自分で言うのも何ですが、すごい手応えがあって、何かが生まれるかもしれない! ってワクワク感がすごくあったことを覚えています。
個性がある事業主さんばかりだったので、意見をぶつけ合って化学反応が起こるって感触を持っていました!

回を重ねて、化学反応はどんな感じで起こったんですか?

実は、この後マンネリ化してしまうんです…。
回を重ねるごとに、どんどん熱量が下がってしまって。
実は私はこのYG(わいがや)プロジェクトの期間中に3回辛いと思ったことがあったんですが、一番最初の辛いは、プロジェクトの会議3回目あたりくらいでしたね。

辛かった理由を聞いても良いですか?

先ほどお話ししたみたいに「マンネリ化」をすごい感じていて。
私が、進め方のビジョンをしっかり持っていなかったのが、原因なんですが、手探りすぎて同じことを繰り返してるなってすごく感じていたんです。

プロジェクトが「マンネリ化」してしまって辛いが「1回目」。
この「マンネリ化」の原因が自分の設計不足だと気づいた時が「2回目」の辛かったです。

打破するきっかけは何だったんでしょう?

会議の中で「自分が今、困っているコトを書き出してみよう!」ってことを株式会社オーケーエスの太田さんが提案してくれたんです。
それがきっかけでディスカッションっぽくなって、課題解決の方向性が生まれた感じでしたね。
この課題解決というテーマが自分の身の回りから、世界の問題になって、そうして生まれたのが自宅で野菜を育てる菜園キットってアイデアでしたね!

HANICAMU project ついに誕生ですね!

そうです! そしてHANICAMU projectが始まったことで、最後の辛かったが始まるのです(笑)

3回目の辛かったエピソードですね?

そうなんです。HANICAMU project 自体はアイデアを出せる人、カタチにできる人、未来をイメージできる人がどんどん生まれてどんどん加速して進んでるんです。
でも、そんな中で控えめな方と、アグレッシブな方との温度差というか、歩幅とか距離感とか、いろんなものが乖離してしまっているのを感じて、どうしたらこの距離感が埋まるのだろう? って考えている時期がすごく辛かったですね。

結局LINEグループを作ったり、株式会社イーダの佐藤さんがSlack作ってくれて、クラウド上でファイルで情報やデータを共有してくれたり、栗崎さんがペアで課題や人間性を理解し合うのはどうだい? って提案してくれたりして、皆さんが意見を出してくれて、私の悩みは解決したんですけど(笑)
本当に勉強になりました。

HANICAMU project が和田さんの勉強にもなったんですか?

すごく学ばせてもらいましたよ。
私は、今まで自分が解決しなくちゃいけない。自分が旗を振らないといけない。ってすごく思っていた人間だったんです。
でも、それぞれに考えがあったり、アイデアがあったりして意見を聞いて、カタチにすることもすごく大事だなって思うようになったんです。
このプロジェクトで学んだことは、職場でも意識するようにしていて、今は仲間の潜在的な能力を見つけて押し上げる。私は縁の下の力持ちになる。って意識を大事にするようにしています。

今回、HANICAMU菜園ポットがようやくお披露目できたワケですが、今の気持ちを教えてください。

率直に言って、すごく嬉しいです。
今まで取り扱ったいろんな企画がありますが、その中でもとってもいろいろ学ばせてくれたプロジェクトなので、HANICAMU菜園ポットは、めちゃめちゃカワイイんです。
HANICAMU菜園ポットもこのポットが出来上がったHANICAMU project も私は同志だと思っています(笑)

ありがとうございます!
それでは最後に同志「HANICAMU project」に叶えてほしい未来を教えてください!

先ほど、縁の下の力持ち発言をして、舌の根も乾かないうちに言いますが、私目立ちたがり屋なんです(笑)
立ち上げに関わったこのHANICAMU菜園ポットが日本一の製品になってほしいですし、世界一の製品になってほしいって思っています。
スポットライトを浴びる製品になって、一家に一台菜園キットが当たり前になるような世の中を実現してもらいたいです。
そうして、私たちの思いがいっぱい詰まったこのごった煮みたいな、だけど素敵なビジョンを共感して、理解してもらって、社会問題の解決につながる一歩になってほしいと心から思っています。


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