午後のパレード
なんだ、そういうことか。
と、思った。
よく晴れた、四月の午後。
これから、駅まで友達を迎えにゆく。
空は、季節をすっ飛ばしたことも素知らぬ顔で、能天気に晴れ渡っている。
「この家が残るといいね」と、彼女は言った。
このまま仕事に復帰できなくて、収入がなくなって、家賃を払えなくなったらどうしよう。と、ずっとずっと思っている。飽くことなく。
「それが難しいんだよ」とは、言えなかった。
「そうだといいんだけどね」と、他人事みたいに笑った。
本当に、そうだといい思った。
「お金はある方が出せばいいんだよ」と、家族は言った。
「そっちだってないくせに」と泣き喚けたら、どれほどよかっただろう。
唇を噛んで、静かに泣いた。
血の繋がらない人からもらったお金を思うと、今でも泣きたくなる。
「これで元気になってね」と言ってくれた。それに答えられるかわからなかった。もらったお金は、家賃に消えた。
「残るといいね」と言ってくれた家に、今でも住んでいる。
傷病手当が入ってくるのが遅くなって、先月の家賃は払えなかった。金融機関にお金を借りた。手続きをしたら、翌日には20万円振り込まれていて驚いた。
と同時に、口座にお金があることに安堵した。
そしてまた空っぽになった。
それでも、「残るといいね」と言ってくれた家に住んでいる。
実家が嫌とか、二人暮らしにこだわっているとか、そういうことではなく「意志とは違うところで物事が決まってしまうこと」をわたしは恐れていた。
そして「実家へ帰る」を、意志のもとに決定することもできなかった。たぶん、そういうことなのだと思う。
一昨日は、友達と話した。おうちのチンチラを撫でさせてもらった。可愛くてあたたかくて、友達夫婦もずっといつも通りで優しかった。
昨日は、友達と遊んだ。シュークリームを食べて、お皿にお菓子を盛って、ゲームをして、ベランダに寝転がっておしゃべりをして、それからまたお菓子を食べてゲームをして、ケーキを食べた。
今日は、病院に行った。先生に「声にハリが出てきたね」と言われて嬉しかった。「ひとりで映画を観るのはさびしい」と言ったら、友達がすぐにきてくれた。
そのひとつひとつが、充分すぎるくらいに幸福な出来事だと思えた。
物事は、何も解決していない。
貯金もないし、元気に動ける身体もない。
だから、最初となんにも変わってない。
だけれど少しだけ健やかになって、視界が晴れて、春は初夏のように強く無邪気な熱さで襲いかかってくるいま
差し伸べられた手の、いくつものあたたかさを思い出して、握り返して
ずっと、友達がいてくれた。
みんながそれぞれの人生を、謳歌したり落ち込んだりしながら、機嫌を取ってなんとか過ごしている。
幸福の形も、常識も幾つもあって、思い悩んでない人なんていなかった。
だからこそ、ひとつひとつの悩みが瑣末というわけではなく、みんなが悩み傷つき真剣で、そして最後には笑い飛ばしていた。
わたしも笑おう。
ついに、そのときがきた。
「ごめんなさい、なんとかなると思っちゃう」
夏の日差しを乱反射させながら、スガシカオが歌ってくれたように。
何も解決していない。
何の安寧も、保証も、どこにもない。
ただ、きっとお金はある人に出してもらったらいいし、ダメになったあとに考えたらいいし、ポンコツではあるけれど、思ったより不自由ではないと、いまは思っている。
しんどいときには助けてもらうことで生き延びてきたし、わたしだって誰かの助けになってきた。
「わたしなんかが」じゃなくて、隣で笑ったあなたが教えてくれた。
だからいま、あなたのおかげで
夏の午後を駆け抜ける、パレードの準備を始めている。
▼明日が悪くてしんどい人は、このゆびとまれ
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