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だからわたしは、線を引く

「だってさあ」
そのあとに続く言葉は、わかっている。
酔っ払って、終電に乗ったとしても帰りが遅すぎるこの男の、口癖だった。

「良いヤツなんだよォ」

バカだなあ。と思う。
そして、無責任だなあ。と思い
それが良いところでもあるから困るというか
一概に否定できない。

むかしは、敵キャラの行動が理解できなくて
「なんで世界滅ぼそうとすんの!??」と怒ったりしたけれど
敵には敵の正義と愛があって
純粋な破壊衝動だけで世界を征服するひと(人じゃなくても)は、あまり多くない。
それに気づいてしまったら、やっぱり一概に否定はできないのだ。

でも、何度も言ったよなあ。
バカだなあ。とは思う。

「世の中に、”本当に悪いヤツ”ってのは少ない」
わたしはその感覚と言葉を、大切に抱えている。

不良だって、ダンボールの猫に傘をさしたりするわけだ。
良いところがないヤツとか
世界中の誰にもやさしくしないヤツとか
そういうひとって、本当は少ないのだと思う。
誰かに対しては
何かに対しては
刹那的でも、「良いヤツ成分」っていうのをみんな持っているのだと思う。
人それぞれの積載量とか、外に出る割合っていうのが違うだけで。

だからわたしは、線を引く。

「良いヤツだけど」と言って、次の言葉を紡ぐ。
それでも、許せないことは許すべきではないのだ。
良いヤツだけど。

もし「好きなヤツ」だったら、そりゃあもう何でも投じて抱きしめてくれ。と思う。
放っておけない、というならばそれも仕方がない。
でもそれはきっと、「良いヤツ」かどうかは関係ない。

すべてを大切にできないことを、薄情だと思うかもしれない。
大切にできないことが、寂しいかもしれない。

寂しい、という感情もまた
わたしの心臓を容易く支配する。
失うことは寂しい、その瞬間の痛みに耐えられない。

でも多くの痛みは刹那で
そののち長いあいだ共に歩める痛みというのは少ない。
だから、瞬間的な痛みという寂しさで、何かを決断してはいけない。
ということも、常々思っている。

「良いヤツ」と呼ばれる人種は世界に溢れ
「寂しい」という感情はわたしを満たしている

であるならば、支配されるべきではない。
その次の感情、
「良いヤツ」だけど一緒にいる時間は終わり、とか
「寂しい」けど、行かなくてはいけないとか

感情っていうのは案外上辺しか見えていなくて
大切にすべき本音は、皮膚の下に薄く隠されている。

「良いヤツ」という言葉を聞くたびに、思い出す。
バカだなあ、と思う。

君の本音を、僕はまだ見ていない。
まあどうせ、放っておけないんだろうから
ポケットの積載量には気をつけて
大切なものを、取りこぼさないように



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