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いまは、ここで

 新宿に来たついでに、どこへ寄って帰ろう。
 IKEAを徘徊して、明日会う友達に手土産を買った。(フリーザーバッグ。外さない手土産だと信じている)
 スターバックスでコーヒーを飲もうと、裏手を目指す。すぐ隣はバルト9で、上映中映画のポスターがたくさん飾ってあるので、ついつい見てしまう。

 そういえば、狂ったように映画を見ていた年があった。
 慢性的に具合が悪く、体力もお金もない暮らしで、時間ばかり持て余していたので、よく仕事帰りとか、病院の帰りに映画館に寄った。あるいは、仕事に行こうと思ったその足で。責められても、信じられなくてもいい。ただ、あの絶望的な身体を引きずりながら仕事に行くことがどうしてもできず、それでもまっすぐ帰ることがあまりにも情けなく惨めで、もう逃げ込める場所は映画館しかなかった。

 お目当てのスターバックスは満席だったので、次のスターバックスを目指す。ここからなら、新宿3丁目店がいい。靖国通り沿いだけれど、新宿駅からは少し離れていて、ここよりも人通りが少ない。
 ひとり掛けの席をなんとか見つけて、コーヒーを飲む。月曜日のお昼も過ぎたこの時間にこんなに混んでいるだなんて……こいつら何者だろう、と思わないと言ったら嘘だけれど、自分も同類なのだ。それぞれの事情がある。重いとか軽いとか、暗いとかそうではないとか、そういうことは瑣末だと思えた。同じ時間にコーヒーを飲むすべての人に、優しい時間が訪れればいいと思う。

 コーヒーを飲み終わって、靖国通りをそのまま歩いて新宿駅に戻る。そういえば無印に行きたかったんだと、思い出せてよかった。
 無印の隣はピカデリーで、やっぱり映画のポスターが並んでいるのを、ひとつずつ見つめてゆく。そうして、「もうだいじょうぶ」と思う。
 もう、逃げ込むように映画館に行かなくても大丈夫。

 映画だけが、わたしを遠くへ連れて行ってくれたときがあった。
 友達は旅行をしたり、子供を育てたり、楽しかったり大変だったり忙しそうなのに、わたしは部屋でひとり、痛みに耐えたり、情けなく思ったりしていた。気を紛らわせるために見たアニメのヒーローは眩しくて、暗転した画面に映る自分がひどく惨めに思えた。誰かのヒーロにもなれなくて、何者かになりたかったわたしは、"普通"すら遠いところにいる。

 何も考えたくなくて、映画館に逃げ込んだ。
 強制的に物語に引き込まれて、映画館を出るときには「仕事に行けなかったわたし」ではなくて、「映画を見たわたし」に生まれ変われるような、少し胸を張れるような気分だった。

 あれから何年か経って、今のわたしが何者になれたかとか、待望の"普通"を手に入れたかと言われたら全然そうではない。今日も通院帰りで、休職している。先立つものもない。生きてゆくだけで借金が増えてゆくみたいだ。そのことがつらくて、もう生きていることがつらいと思うこともあった。ロックマンみたいに、パーンッと跡形もなく消えられるならば、とっくに消えていただろう。
 今がつらくないかと言われれば、シンプルに「情けないなあ」と思うくらいで、わたしの人生はずっと情けないのだ。そういう感じの人間なのだ。友達が持っているものを、同じように持つことができない。
 けれども友達は友達のまま、変わらず隣で笑っている。みながそれぞれの事情を抱えながら、それぞれの痛みに優しく微笑みかけている。時には、一緒に戦ったり、怒ったりしてくれる。そしてみんなが、自分の足りないものを探していた。

 足りないものも多い日々だけれど、決して不幸ではなかった。寂しくもない。この先の日々や人生も足りないものばかりで、なんとかならないかもしれないけれど、「なんとかならなくてもいいか」と思っている。
 今まではあまりにも、なんとかしようとし過ぎていたのだと思う。
 不安はある。けれども不幸ではない。その事実を、噛み締めている。

 だから、最近は映画館に頻繁に行かなくても大丈夫になった。
 今では見たい映画があるときだけ、ひっそりと訪れている。



▼なんとかしたかった夜

▼あのときのこと

▼now playing




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松永ねる
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