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きょうは良い日だった。

ああ、今日はよく眠った。

最近休みの日は、散歩に行くようにしていた。
晴れた昼間、を歩きたかった。

わたしにとって歩くことは必要だし、
“昼間に歩いたわたし”という免罪符は、いつでもわたしを肯定してくれる。

仕事から帰った夜も、「すぐに眠らないこと」をひとつ目標にしていた。
それは必須項目ではない、それはほんの、ささやかな気持ちだった。

仕事終わりの数時間は、「散歩・日課・家事・仮眠」で終わってしまっていた。
ということは、「起きているあいだは、常に何かのタスクを抱えている」ということで、
「起きてぼおっとする時間」というものは、わたしの場合、意図的に生み出す必要があった。
仮眠の時間を、それに宛てること。

今日は仕事も休みで、雨も降っていたので昼からたっぷり眠った。
どうしても眠りたかったし、この眠気を圧してまでやりたいことが、あるだろうか。
そんなに頑張らなくたっていい。
今日のわたしはすなおにそう思えて、久しぶりにソファーに沈み込んだ。

気がついたときには、「仕事終わりで家に帰ってくる時間」に近づいていた。
せっかく休みだったのになあ、なんていう気持ちもあったけど、希薄だった。
わたしには、こういう日が必要なんだと気づいている。

そして、このあとの時間で日課と家事を終わらせられるということも知っている。
だって、いつも仕事終わりにやっていることだし。
なにも焦ることはない。

もう一度眠ろう、という気持ちにだけ蓋をして、わたしは煙草に火をつけた。

8ヶ月間の無職を経て、新しくアルバイトを始めるとき「昼間に寝ている時間、働くだけだし」と、気軽に捉えていた。

それは事実でもあり、無職のあいだの大半は寝ていたと言っても過言ではない。
「眠気を圧してまでやりたいこと」なんて、ほとんど存在しなかった。
だって、明日でも構わないんだし。
いまは寝ちゃおう、というわたしを、誰が止められるだろうか。
わたしが止めようとしなければ、絶対に止まらないものだと知っている。

そしていま、「昼間に寝ている時間に働くだけ」というのは事実でありながらも、実際はちょっと違ったな、と思っている。

昼間にたっぷり寝た日と、忙しく働いた日だと、夜が違う。
たくさん眠ったあとは「仕方がない起きるか」と思うし、仕事で疲れて帰ってきたら「もう寝よう」と思う。
当たり前だった。

仕事は、当たり前だけど疲れる。
きっとそれはどんな仕事でもそうで、その内容がどれほど「やりたいこと」だとか、「負担が少ない」と言ったって、
あるいは「今日はたのしかった。良い日だった」と思えても、絶対に疲れている。

わたしはそのことを、きちんと抱えながら生きている。
わたしはひとよりも、「寝ること」と「歩くこと」が必要なのだと、自覚している。
たぶんひとそれぞれ、必要なことがあって、それはみんな違って、比べる必要なんてどこにもない。

ああ、今日はよく眠った。

最低限の日課と家事をこなして、
ああ、少しだけ動画の編集も進めちゃおうかな。すきま時間の10分でいい。
たくさん眠りたいときは疲れているときだろうから、しっかりごはんも食べよう。

そんな今日を、わたしは良い日だったと思っている。


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