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【家族通信】20240408 人間らしい人間

 相変わらず、"ライザのアトリエ"ばかりやっている。

 実はゲームが、すごぉぉぉく好きで
 いわゆる「熱しやすく冷めやすいタイプ」であるわたしは、一度”熱中”してしまうと、もう寝ても覚めてもあなたのことばかり考えてしまう。
 そう、ちょうどいま。わたしの脳裏にはライザの太ももと、次に採取したい素材と、錬金術のレシピのことばかり。

 こんな感覚も、すごく久し振り。
 最近クリアしたものは、マリオRPG。これはスーパーファミコンのソフトのリメイクで、むかし何度もやったし、夢中になる前にサクッと終わった。(2回目のブッキーが倒せなくて泣いたけど、どうにかググらず攻略できた)
 物語も知っているから、「先が気になる」っていうのもないから。

 そう、「お話の続きが気になる」のよ。常に。
 だから、本当に気になる(好きな)アニメは、最終話を待ってから見たいの。
 RPGであれば、どんどん先を繰りたくなる。
 だって、時間が経てば経つほど、みんな(キャラクター)のことを好きになる。
 アンペルさんのドーナツの件については、近日中にアツく語りたい。あれはずるい。

 そんなことで、毎日アトリエと採取の行き来をしている。
 「アトリエなう」の暮らし。
 ああ、わたしってばダメな人間。
 けれどもそれも、心地いい。

 近年だと、ポケモンはSVも剣盾も本編のみで止まっている。
 もちろん楽しいのだけれど、自分が「ポケモン好き」を公言しているから、どこかで「やらなきゃ」って思ってしまう瞬間もあって。いや、やればもちろん楽しいんだけどね。「やってないの?」って訊かれるのが面倒と思ってしまうこともあったり……
 あとは、時間との兼ね合いの優先順位とか、アレをやらないでこれをやってしまってとか、ゴニョゴニョ……
 好きなことだってね、始める前は面倒だったりするの!
 そう、わたしがわがままな人間。人間らしい人間なのである。

 その前にクリアしたのはFF10で、これは1回目のコロナにかかったとき。
 もう眠ることもできない激痛で、アニメを見ているだけというのも苦しくて、「能動的に手を動かす」ということで、なんとか痛みを回避しようとした。
 あのときわたしは、ザナルカンドへ帰りたかった。
 ザナルカンドが唯一、わたしを救ってくれる存在だった。本当に、リアルな問題として。痛みから逃れる方法で

 そう思えば、シンプルに「ゲームたのしい」と、勝手にひとりでのめり込むのは、一体何年振りだろう。
 もしかしたら、10代のころ以来かもしれない。
 FFは9、テイルズはエターニアとレジェンディア、大学受験が終わったあとのキングダムハーツ……わたしは夢中だった。
 夢中だから断っていて、
 それを繰り返したら、「ハマり方」すら忘れてしまったような気がする。
 どちらかというと、新しいゲームシステムを覚えることと、時間の捻出の手間、タスク放棄の罪悪感みたいな、煩わしさと劣等感のほうが上位に来てしまっていたことを、いま反省している。

 またどこかで延々と語るけれど、「ライザのアトリエ」は、自己中心的な欲求から、周りの困りごとを助けて、世界を救ってゆくというような、かつて愛していた王道RPGの展開がたまらない。話の続きが気になる。
 だけど、村人の困りごとも助けて、錬金術も覚えていかなければいけないから、やることがたくさんある。
 ああ、忙しい。ああ、楽しい。

 なんだか、しょーもない現実逃避だなあ。と思っていたけれど、せっかく時間はあるのだし、こういうときは素直に熱中してもいいのかな。って、ここまで書いたら、そんなふうに思えた。


 けれども昨日時点のわたしは、「なんかよくわからんが、どうしようもない現実逃避をして、現実のタスクが溜まっているからなんとかせねば」と思っていた。
 もはや、何が溜まっているのか理解できていないけれど、「何もしていない」ということが、どこかで恐怖だった。
 「やらなくてはいけないもの」は、消化していないから減っていない。どこかに積まれている。部屋の隅、ホコリみたいに、どんどん見てみぬフリをする。
 そうやって生き延びることも得意ではあるのだけれど、いつか後悔することも……というか、結局それは”救われない”ことで、わたしはやっぱり救われたかった。心身ともに、健やかでありたい。


 そんなふうに思っていたら、「明後日に美術館にいこう」と連絡がきた。嬉しい。予定は有り難い。予定や締切があるからこそ、人間は能動的に行動することができる。
 千年を生きるエルフが怠惰なのは、当たり前なことだ。だって明日でも明後日でも、十年後でもよくて、時間はいくらでもあって、制約は何もないのだから。

 人間のくせに、エルフのような暮らしをしていたわたしだけれど、これでひとつ”制約”が発生して
 ということは、明日のうちにタスクと向き合いたいなあ。いやでも、めんどくさいのばっかり残ってるからツライんだよなあ。
 ということで、「頭を使わずにできるタスク」を受注した。
 「そんなことを頼んで申し訳ない」と言われたのだけれど、わたしには時間があるし、何より「締切と重たくない作業」があれば、パソコンに向き合うキッカケになるのではないか。と思った。

 そんな環境を作って、今日は起きてからアトリエに帰らず、現実世界にいる。
 起き抜けから溜まっていたLINEを返して、頼まれた仕事をして、ついでに締切がある自分の作業をして、コーヒーを淹れて、今日の分のエッセイを書いている。


 やっぱり、必要なのは多少のやる気。という名の、最低限の体力と行動。起き上がって、パソコンの前に座る状況を作れる身体を用意すること。
 そして、重たくないタスクでエンジンをかけて、そこから面倒なことに作業を広めてゆくのがいいなあ。と思った。
 そう、やる気はどこからも降ってこない。
 だからこそ、環境設定をすべきなのである。
 致し方なく、パソコンの前に座るという。

 そういえば、「こんなこと頼むの申し訳ない」って言われたんだけど、「こんなこと」かどうかは相手が決めるので、まず頼んでみるのがいいと思った。
 頼むことと、業務の棚卸し。

 わたしはその作業を、シュークリーム3個で引き受けてすごくハッピーだった。シュークリームは嬉しい。そして、ちょっと時間を割けば誰にでもできることであり、かつて経験した業務だったので気がラクだった。

「やらなくちゃ」のタスクから、そのうち「自分以外は本当にできないのか」を精査して、他人でもいいものは、どんどん手放してゆく。
 手放した業務は、他人への”負担”になる場合ではなく、「誰かの役に立てているという自己肯定感」や、わたしのように「自分の業務へと繋いでゆくためのやる気スイッチ」になったりもする。

 なーんだ、わたしもどんどん手放してゆこう。
 真摯的な手放し方をすれば、みんなハッピーだと思う。

 くるりくるりと、世界が回ってゆくといいね。
 あなたと一緒に。


 そしたら、合法的にアトリエに帰れる。



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