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友達とわたしは、似ていない

「買い物に行きたい」

家を出る前に、友達から連絡が来たので付き添うことにした。
今日は、友達の家に行く予定だった。
わたしは気が向くと、彼女の家に行くし
彼女は、ごくまれに気が向いたりタイミングが合ったりすると、わたしを買い物に誘った。

デパートの中を、ふらふらと歩く。

付き合いが長いうえに、彼女からの”お下がり”を大量にもらっているわたしは
彼女の好きそうなものには検討がつく。
「あれかわいい」と言えば、「好きそうだね」と答えるけど、
そのうち何割かは「そのスカート、わたしが履いたらチューブトップのワンピースになっちゃう」と返事をした。

彼女とわたしは、似ていない。

彼女は背が高いし、わたしは背が低い。
15センチは確実に違う。
もしかしたら、20センチくらい違うかもしれない。

彼女は典型的なイエベで、
わたしは典型的なブルベだった。

彼女の髪は、細くて猫のようで、茶色っぽい。
わたしの髪は、黒くて針金みたいで、子供の頃には「日本人形みたいね」とよく言われた。

彼女は、おしゃれなブランド物のバッグだったし、
わたしは、ポケモンのポシェットだった。

身長や身なりもあいまって、
彼女はおとなっぽく見えるし
わたしは、ずっとずっとクソガキのままだ。

出会った頃から彼女はずっとおとなっぽかったし、
わたしはクソガキのまま、おとなになった。

当然、姉妹には見えないし
一緒に買い物にくるような、友達にも見えないのかもしれない、と思う。

それでも、10年以上友達をやっている。



中学生の頃にも、言われたことがあった。
「おまえら、仲いいの?」と。

わたしは黒髪にメガネで、あんまり見た目を気にしていなかった。
成績もそれなりによかったし、生徒会長だった。

仲の良い友達は、典型的な「不良」のようなタイプだった。
スカートは短かったし(わたしたちの世代は、短いのがはやっていた)
髪の毛はいつも茶色かった。
ピアスも開いていたような、そういう子だった。

それでも、わたしは彼女のことが好きだったし
彼女も、わたしを好いていてくれたと思う。

中学時代、わたしの家で1度だけお泊まり会というイベントが発生したけれど
彼女は、泊まりに来てくれていた。

気が合う、というのだろうか。
詳細な言葉はわからないし、感情の繊細な部分は忘れてしまったけれど

間違いなく言えることは、
わたしは、彼女のことを好きだった、ということだ。



人相、ってあると思う。

人の顔、
伴うしゃべり方や、立ち振舞に、
人の正確は、乗ってくると思う。

そういうので、なんとなくわかる。
どういう人なのか。
仲良くなれそうな人なのかどうか。

見抜ける。
なんとなく、わかる気がする。

人の”外側”
見えるところ、聞こえるところ、でわかる、その人の中身っていうのも
絶対にあるのだと思う。


でも、仲良くなる人って
べつに、”外側”が似ている人とは限らない。
そもそも、外側が似ている友達っているのだろうか、て思ったけど
やっぱり、あんまりいないような気がする。
種類の数が多すぎて、分別できないし
やっぱり、他人はわたしより、まぶしく見える。
似ているなんて、到底思えない。


それでも、
“どこか似ている”ところを、見つけてしまうときがある。
とっておきの、糸みたいなやつを、持っている人がいる。
“もっと知りたい”とか”もっと話したい”と思って、手繰り寄せてしまいたくなる。
そういう相手に、出会えることがある。

そうして、いろいろ手繰り寄せた結果、
「なんでも話せる」と思えるような相手と、
付き合いが長くなったり、深くなったりする。
最近の言葉だと、”心理的安全性”が高いってことだと思う。
会うたびに、安心する。


わたしたちは、みんな違う。
ときには、「なんで友達なの?」と思われてしまうくらい、違う。

それでも、世界の一部分を共有して
安心して意見を述べて、安堵して
背伸びしない時間を、過ごす。

そういう友達を、これからも大切にしていきたい。

わたしが何も持っていなくても、
友達のことは、大切にできる人で、ありたい。

ずっと、あなたの友達でいたい。と思う。




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