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そうしてまた、わたしの速度で歩いてみる。

歩けない、と気づいたときには愕然とした。
「うそだろ」
「うそだよね?」
悲劇のようにささやきながら、
「まじかよ」と、笑わずにはいられなかった。
よもや、自分の身体にそんな異変が起きているとは、気付きもしなかった。
わたしというのは、たいていまぬけな生き物なのだ。

10日間の療養生活を明けた、朝のことだった。
会社に行こうと家を出て、すぐに気づいた。
いつもの速度で、歩けない。
やろうと思えばできたかもしれないけれど、大変に困難なことで、やっぱりできなかった。

たくさんのひとが、わたしを追い抜いてゆく。
追い抜いた人は、信じられないくらい遠くへ行ってしまう。

わたしだって
わたしだって、進みたいのに。

進んでいるのに
誰かとくらべれば、ずいぶん滑稽な歩みだった。

ああきっと、
わたしはもう、あなたの隣を同じ速度で歩くことができない。
みんなわたしを置いてゆく。
わたしのまわりだけ、ずしりと重たい空気が横たわる。
悲劇を歌う、不幸の香りがした。

ゆっくりでも、進めているだけいいじゃないか。
まぬけなわたしが笑う。

「ねえ、気づいた?」と、賢いわたしが言う。
「アンタが、”追い越されてた”って思うのはさ、トーゼンのことなのよ」

「だってアンタ、自分の後ろなんか見てないじゃん」

そりゃあ、アンタの前にいる人はさ、全員追い越していったかもしれないけど。
ただ、それだけのことよ。

「そうだよ」と、まぬけなわたしが頷く。
まじめな顔で、もう一度言う。
「ゆっくりでも、進めているだけいいじゃないか」


わたしは、
得意げな顔をしている賢いわたしと
世紀の大発見をしたかのように誇っているまぬけなわたしの頭を撫でた。

そうしてまた、わたしの速度で歩いてみる。



【photo】 amano yasuhiro
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