見出し画像

ホワイトソースのきのこ

フライパンの中で、きのこが踊っていた。

お鍋の代わりに使う、深いパンの中は
真っ白な海になって、ぐつぐつと煮えていた。

「なにをしているの?」と問われて、驚く。
何をしているって、そりゃあ
「見つめている」

ぐつぐつと踊り、泡が揺れる
揺れて、呑まれて、繰り返してゆく。
わたしはそれを、見ている。
ただ、静かに
見ているだけだった。

「シチューになるの?」と訊いたら、「ホワイトソースだよ」と返ってきた。
シチューとホワイトソースの違いが、よくわからない。
隣から現れたロールキャベツが、白い海になだれ込んでゆく。
「ホワイトロールキャベツになるの?」
「そうだよ」と頷かれ、「食べるかと思って」と言われたので、「食べるよ」と答えた。

ホワイトソースの海を漂うきのこは
しあわせ者だと思う。

生まれ変わったら、そんなきのこになりたい。

晴れた日の午後
ぴんと干されたシーツを眺めているときにも、同じことを思う。

いつも、最初に暮らした家を思い出す。
おふとんだけがあって、ソファーもベッドもなかったあの部屋。
お気に入りのひつじのシーツ。
芝生の緑に、ひつじが一匹。
ごろりと転がって、足元のベランダに浮かぶ、シーツを眺める。

生まれ変わったら、干されたシーツになりたいと思っていた。

たぶん、そういうことだと思う。
「人間は変わる」と言ってくれた人も
「根っこの部分は変わらないよ」と言ってくれた人も
どっちも本当だと思う。

ただ、わたしは変わらない部分として
ホワイトソースのきのことか
干されたシーツとか
そういうものになりたい、というのが
根っこの部分なんだと思う。




※now playing



スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎