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琺瑯のミルクパン

「ほんとうに、いろんなことを知っているねえ」と言われて、驚いた。

そもそも、「ネイル塗るのが上手」と言われて驚いた。
たぶん、今集まっている5人の中で、わたしがいちばん、或いは4番目に不器用なはずだった。
「最近のネイルは、むかしよりずいぶん早く乾くようになったんだよ」
ただ、それだけのことだと思っていた。
ハタチくらいーーー今から15年ほど前は、ネイルを塗るのって一大行事だった。
ムラになるし、乾かない。
ネイルを塗るっていうのは、半分くらい落ち込むことと同居していた。
昨今のネイルの、手軽さたるや
300円のネイルだって、爆速で乾く。

「手だってきれいだし」と言われて、また驚いた。
自分の手の形を、美しいと思ったことはない。
わたしは、「ネイル友達」の、すらっとした指を長い爪、緑色の血管の、その手を、ずっと羨ましく思っていた。
わたしの血管は青く、相反するように肌は赤く、身長のわりに手は小さくないほうかもしれないけれど、「すらり」の対極みたいな手だった。

「わたしも、ネイルオイル頑張って塗ったりした~」なんて言ったら
「ナニ使ってるの?」「どんなのがいい?」と聞かれて、ukaのネイルオイルを勧めた。
あと、友達からもらった、ロクシタンのやつもよかったよ、なんてね。

ついでに、アイシャドウの色も褒められた。
これは去年の、ジルのクリスマスコフレだった。
冬生まれのわたしは、毎年誕生日に「クリスマスコフレをひとつ買ってもらえる権」を持っている。
「でも似合ってるよ」と言われて、
「クリスマスコフレって、ブルベに合いそうな色味多いからね~単純にラッキーだよ」と答えたら、
「ブルベとかイエベとかわからない」と言われたので、ゾゾグラスを勧めておいた。
自宅で計測できる、それも無料で。
それによると、わたしのパーソナルカラーは冬だった。
ヘモグロビン量多めの、赤み肌。

そして冒頭に戻る。
「いろんなことを知っているねえ」

でもそれはたぶん、
みんなが一生懸命に働いているあいだ、SNSを巡回しているからだと思う。

今日は、SNSーーーインスタか、インスタから飛んだ楽天で、琺瑯のマグを見ていた。

琺瑯って、どうしてあんなにかわいいんだろう。
質感もさることながら、「おばあちゃんち」みたいな柄が可愛い。
「おばあちゃん」或いは、「スイマー」みたいな可愛い花柄。

ああ、憧れるなあ、と思う半面、どこかで違和感だった。
琺瑯、琺瑯、ほうろうーーー

ああ、そういえば、ミルクパンを持っていた。
持っていた、というか、ミルクパンと暮らしていた。

「これ、どうしたの?」
シンクの下で、見知らぬ小さな片手鍋を見つけた。
それが、琺瑯のミルクパンだった。
外側が深い青、内側がクリーム色の、可愛いミルクパンだった。
こんなの、持ってたんだ。

ああ、これで紅茶を淹れようか。
友達みたいに、牛乳をぐつぐつやって、茶葉を泳がせて
世界一しあわせな、ロイヤルミルクティーを作ろう。
というか、ミルクパンってそれくらいの用途しかない。
サイズ的にも、なかなか難しい。
限られたキッチンというスペースの中で、ミルクティーを作る以外の用途を持たないミルクパンって、自分ではなかなか買わない。
もし、日常的にミルクティーを作ったり、牛乳を温めていないのならば。

尋ねられた相手は「知らない」と顔を歪めたあと、「ああ」と言って頷いた。
「れいちゃんから、もらったんだ」

れいちゃん。
むかし、この男が好きだった、女の名前だった。
たぶん、すごく好きだった。
わたしがこの男をうんと好きだったとき、わたしはれいちゃんを嫌いだった。
れいちゃんは可愛くて、強い女の子だった。
「わたしと仕事、どっちが大事なの?」と言ったのが、れいちゃんだった。
わたしには、天地がひっくり返っても言えないせりふだった。
それは、強烈な嫌悪と嫉妬を孕ませてしまうような、強すぎる輝きだった。

結局、そのミルクパンが使われることはなく、気づいたら部屋からいなくなっていた。
引っ越しのときに捨てたのか、とにかく今の部屋の、わたしの見えるところにはない。

やっぱり、使用頻度のスペースの問題だったのだ。
あれは、贅沢な品物だ。
あってもなくてもよくて、あると邪魔で、特別で、存在感があった。
とびきりにかわいかった。
紅茶か牛乳を沸かすしかできない、という限られた用途も魅力的だった。

2wayとか、利便性を愛している。
2wayになるピアスとか、取っ手が取れるフライパンとか、ワンピースにもなるスカートとか、リバーシブルのジャケットとか
そういうものも、大好きなのだけれど

それでしかないものの、美しさたるや。
花しか入れられない花瓶
コーヒーをドリップするときにしか使わない、クチの細いケトル
どちらもなくても平気なのに、他のもので代用すると、魅力がぐっと下がってしまうもの。
代えの利かないものの、美しさと気高さたるや

琺瑯を見ると、れいちゃんを思い出す。
れいちゃんを嫌いだったころの、わたしを思い出す。
だからきっと、琺瑯は買わないと思う。
琺瑯よりも、ポケモンの絵のついたマグカップを、新しく買うと思う。

もし僕が、
あるいは君が、
ひとりでこの部屋を出ていくならば、何を持っていくだろう。

わたしはきっと、自室にある本と、お気に入りのポストカード。
譲ってもらった電子ピアノと、nord electro2
10歳になったiMacと、お気に入りのSONYのスピーカーと、Rolandのアンプ。
それから、花瓶と、コーヒー用のケトルを持ってゆく。

もし君が、この部屋のどこかに琺瑯のミルクパンを隠しているならば、忘れずに持っていって欲しい。

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