新型コロナウイルス濃厚接触者の日記 1日目・2日目・3日目

1日目 2022/02/21(月)

 珍しく目覚まし時計が鳴る前に起床。居間へ向かうと前日から軽く咳き込んでいた母が縮こまって座椅子に座っている。申し訳なさそうに小さい声で「熱が出たんだよね」と報告してきた。寝ぼけていても、ああ、これはダメかもな、という予感があり、すぐさま職場に連絡をした。

 一日自宅待機の許可が出たため、オンライン診察とPCR検査の予約を手伝う。もうこの時点で彼女の使った物や場所にはしっかりと触りまくっているが、同居している以上感染は免れないだろうとわかっていたので、ただでさえ落ち込んでいる相手をあまり不安にさせないためにも敢えて母のスマートフォンを使って予約をした。
 社会というのは凄まじい早さで時流に適応しているもので、調べたところすでにオンライン診察専用のアプリがリリースされていた。救急安心センターに問い合わせて今後の動きと検査可能な病院を教えてもらい、アプリにて個人情報の入力と予約に移る。話は逸れるが、救急安心センターに電話をかけて自動音声の指示に従っていたら最終的に通話を切られるということが何度かあり、大変多忙なのはわかるが自動音声を使うなら「ただいま電話が大変込み合っております」の一言くらいアナウンスがあってもいいだろうと思った。

 午後2時、診察開始。アプリの不具合や機器の操作を助言するため、会話の内容が聞こえる程度の距離で待機していた。
 担当してくれた医師は大変物腰柔らかく、実直そうな話し方をする中年の男性である。一通りの問診を済ませると、すぐに検査が必要と判断したのか間を置かず実施場所や時間の説明をしてくれた。とはいえ母は車の運転ができず誰かが送迎をしなければいけないのだが、この日動けるのは自分だけであり、また仕事柄病院周辺の地理をたまたま把握していたので、運転手を務めることになった。この時点で仮に陽性なら感染は確定的であろうと覚悟はできていた。振り返ると、今回の件では不思議と初めから腹が据わっていたように思う。
 この日、外は猛吹雪であった。風が非常に強く、停車中に横揺れを感じるほどである。視界不良の中、やや長距離の移動になったが、無事病院に到着した。建物の横に大きなテントがあり、そこに入って検査を受けるらしい。母は髪をぐちゃぐちゃにしながらテントに行き、10分後に戻ってきた。さらに5分後、薬剤師の方が車のそばに来て処方薬を渡してくれた。調剤した薬に関しては説明の義務があるとはいえこんな嵐の中でやるのか、と驚いたし余程車内に招き入れたかったのだが状況が状況のため、心を鬼にして薬剤師を見守っていた。説明と会計(手渡し)を終えて戻っていく彼の後ろ姿はさながら雪崩にでも巻き込まれたようであり、改めてこのような未曽有の状況下で職務を遂行する医療従事者の偉大さを思い知った。

 結果の通知は早くても翌日の午後ということであったため、とりあえず母を寝かせて自分も小休止。予約の手伝いや送迎のほかにも洗濯物を干したり雪かきをしたりといった家事はほとんど自分が行っており、専業主婦でないとはいえ母が普段どれだけの仕事をこなしているかを思い知らされた。
 一服してまったりしている際に喉の違和感に気づく。煙を呑んで傷めたという感じではない。しかし最早覚悟している身である。さらにもう2本ほど煙草をふかして、この記録を打ち込み始めた。

2日目 2022/02/22(火)

 前日から降り続いた雪の処理とゴミ出しの必要があることは把握していたため早めに起きる。外に出ると積雪は40センチほどで、冷え込みのため水分は少なめであるが一人で除けるには絶望的な量である。
 頭を抱えていたら、弟が手伝いに来てくれた。前日の段階で学校に連絡をとり自宅待機とオンラインでの受講を許可されていたのだ。久しぶりに二人で戯れながら除雪を進める。ガンダムネタで盛り上がったり互いを雪で埋めようと小競り合いなどしているが、ともに成人しているという事実を鑑みるとかなり異様な光景かもしれない。

 弟が講義のため一度戻ったあと、さらに2時間ほど雪と格闘した。弟がいる間は晴れるのに、自分一人になると途端に視界が真っ白になるほど風が吹き始めるのが腹立たしい。人間だけでなく気象にまで嫌われているようだ。
 ようやく一区切りつき、室内に引っ込んだら母親がストーブの前で項垂れており、検査の結果やはり陽性であったと教えてくれた。予想がついていたため別段驚くことではなかったのと除雪の疲労でいっぱいいっぱいだったため「そうか、とりあえず俺もストーブあたっていい?」とだけ返事をして、あとは何も言わずに並んで背中を炙った。1週間の臨時休暇が確定した瞬間はそんな感じである。

 前の日の夜に友人たちがゲームに誘ってくれていたり、この後23時からは大学の同期と突発的に通話をしたりと楽しいイベントが幾つかある(あった)ため、あまり落ち込まずに過ごせてはいるが、それでも部屋に一人ぼっちでいると急に心細くなってしまう。また除雪で無理をしたのがいけなかったのか、咽頭痛はないものの喉仏より下に詰まった感じと息苦しさを覚えている。とりあえずビタミン剤と葛根湯とモンスターエナジーを飲んで寝る。

3日目 2022/02/23(水・祝)

 母の症状は大分軽快したが未だ微熱が続いている。また前日の日記をしたためた後に父までもが発熱し、急遽PCR検査を受けにいくことになった。
 ただ早起きして外に出てみると、昨日あんなに頑張って除けたのが夢か何かだったのではないかと疑いたくなるくらいの見事な雪景色が眼前に広がっており、北の大地に暮らす醍醐味を無理やりに味わわされる。前述したように両親ともに発熱しており、助力を頼めるような状況にはない。加えて自分は立ち会っていなかったのだが、昨晩弟が母親に『俺の単位認定試験や就活が台無しだ、どうしてくれるんだ』と当たり散らした挙句、天照大神よろしく自室にお籠りあそばしているようで、呼んでも部屋から一切出てこない。経緯を聞くに(詳しくは書けないが)両親から自宅待機中の家事手伝いを頼んだら拒否した上で上記のお気持ち表明をされたとの事なので、彼の心情も察するに余りあるのだが単純に余裕が無いというか、自分のことで精一杯なんだろうなという感じで、それ以上同情する気も起きなかった。
 愚弟の事情はどうでもよいのだが、問題は今日の除雪においては彼の協力を得られないという点にある。これは非常にまずい。ひとりでやりきらなければいけないのだ。しかも父親のPCR検査で昼過ぎに車を出すから、それに間に合うように終える、という時間制限まで設けられている。目の前の現実と寒さのために誇張抜きで涙が出た。
 それから5分ほど雪に埋もれたまましゃがみこんでいたが、諦めてスコップを手に取った。

 午後2時。
 きれいに均した軒先にへたり込み、煙草に火を点けた。結局5時間ほどスコップを振るい続けて、今ようやく片付いたところである。すぐ横には除けた雪を積んだ山がそびえており、これは元々1メートル強だったものが今や3メートルに届くかという高さになっていた。日本神話かよ。さながらスコップが天沼矛といったところか。家に戻れば天照大神もいるしな。でもこの記録を書いていて気づいたのですが、天沼矛で作ったのって山じゃなくて島だった。
 途中何度も心が折れてしまいTwitterに遺言を投稿したり、知人から来ていたLINEに
 『今までありがとうございました。先日頂いたプレゼントのお返し渡したかったです。お世話になりました。さようなら』
 みたいな最悪の返事を書いて送ったりしてしまい反省したのだが、作業が終わった時には疲労と全身の痛みと達成感でぼんやりしており、あまり気にならなくなっていた。こういうところで自分の発言から逃避するんで嫌われるのだろう。

 ふらふらのまま飯も食わずに布団に入って寝て起きて、今これを書いている。体調はゆるやかに悪化しており、Twitterでは遺言にたいしていいねもつかず、知人からの返信は途切れ、パソコンを開けばフレンド数名がDiscordで楽しそうに通話している。メンツを確認したら数か月間音信不通だった友人もしれっと参加しており、こいつ何してんだよと多少腹が立っている。
 どうも明日あたり熱が出るような気がしている。ここ数日無理をしすぎた。息苦しさはますます強くなっており、過去の豊富な病歴から気管支炎ではないかと推測を立てている。こういう時に心配してくれる人を大事にしようと常日頃から思って生きているのだが、気を遣って連絡をくれたのは現状祖母だけである。ばあちゃん、長生きしてくれ、俺の分まで……

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