見出し画像

友達は、100人もいらない。

未だに入学式で、「100人で食べたいな~♪富士山の上でおにぎりを~♪」のあの歌を歌うのは恒例なのだろうか。

個人的な見解だけれど、あの歌スタートはよくない。無邪気に振り付けをしながら精一杯歌う最高に可愛い姿に大人は騙されてしまっている。みんな気付いていないが、「友達は多い方がいい。」とか「友達とは、仲良くしなければならない。」という刷り込みだ。

悩みの「質」の変化。

「人間の悩みは、人間関係からしか生まれない。」と言われるように、大人の職場でさえ、悩みの原因として多くを占めるのは人間関係だ。ましてや、人間と接した経験の浅い子どもが、もめない訳なんてない。もう、もめまくり。しかし、もめないことが良いことではない。小学校時代は、大いにもめまくればいい。そして、教師や両親、相談できる大人の力をかりて悩めばいい。それが、小学校生活の意義なのだから。

「もめ事」と一言で言っても、小学校生活6年間で「質」が変化してくる。高学年になるにつれ、「より高度な」というか「深い」というか、大人のアドバイスがあれば「はい、解決!」とは、いかないものとなってくる。その悩みが生まれる要因に、「友達は多い方がいい。」とか「みんなと仲良くしないといけない。」というような正しくない価値観の刷り込みがある。

小さな社会を「より良く」するために。

「あなた」の先生は、「あなた」がけんかをしたとき、どのような支援をしただろうか。僕が、教員向けの本を読み漁っていた時代は、「喧嘩両成敗方式」が流布していたように思う。簡単に言うと、最終的には、お互い謝って終了という方法。しかし、これが通用するのは、小3まで!高学年には、もっとリアルで、人間臭い支援をしなければならないと僕は考える。教室は、小さな社会である。その社会の一員として、自分で考え、判断して行動できる子どもを育てなければならない。そのために、より良い人間関係を築くスキルを高めることは、学校教育の使命である。

まず、人間関係をアドバイスしていくための前提として、

「学級の中には、いろんな考え方の子どもがいる。」

ということを教えなければならない。この概念を理解できていないと、「みんなが同じ考え方をするものだ。」「みんなが同じ方向へ進まなければならない。」という、他者意識をもたず、自分さえも分からない子どもを育ててしまう。一人ひとり違った考え方があるから面白い。ときには、対立してしまうかもしれないが、対立するから新しい価値観が生まれるということに気付かせる必要がある。さらに、並行してアドバイスしないといけないのは、

「友達の考え方を無理やり変えさせてはいけない。」

ということだ。多様な価値観の良さに気付くということは、「他者の考えを受け入れた上で、自分の考えを主張できる。」ということだ。たとえ、考えが違ったとしても「互いに理由を述べて議論を進めることで、より良い答えを導き出す。」ことができる子どもに育ってほしい。そのような目標に向かって進んでいく過程において、子どもたちが人間関係に悩んだときに、効果的なアドバイスは、

「みんなと仲良くする必要はない。」

ということだ。真面目に悩む子どもほど、誰にでも頑張って合わせようとしてしまう。そのような努力ができることも立派なスキルだが、頑張りすぎて悩んでしまう子どもには、

「苦手だったら、少し距離をとってみるのもいいよ。」

と言ってあげるべきだ。

僕は、「みんなと仲良くしましょうキャンペーン」をかなり前に打ち切った。そして、感じるのは、

「子どもは、大人が考えている以上に距離感の設定がうまい!」

ということだ。「距離感を見つけましょうキャンペーン」にしてから、不要なもめ事はなくなった。それだけ、子ども自身が考えて行動できる力があることを実感している。従来のキャンペーンのをしつこく続けている教師は、気が合わない子同士を敢えて一緒に行動させて、「乗り越えていくこと」を指導だと思い込んでいる。確かに、逆境に強い子どもなら成長につながるだろう。しかし、全員が乗り越えていく壁を与えられる必要はない。「自分と他者の『違い』を意識すること。」さらに、「違う価値観の人がいる小さな社会の中で、どのように自己実現をしていくか考えて行動すること。」が、学校が子どもたちに教えるべき、重要なスキルである。

「社会」を創る子どもに、大人がすべきこと。

時代が変化することに伴い、学校で起きる人間関係のいざこざも複雑になってきた。しかし、昔に比べれば、自己実現の選択肢は多くなっている。教師を含めた大人は、「今」という時代を敏感に察知し、子どもに多くの選択肢を提示してあげなくてはならない。それが、子どもの充実した人生づくりにつながるのだから。


いただいたサポートは、地域の「居場所」へ寄付させていただきます!