素直に「知らない。」ということの大切さ

「先生」という仕事は、学生時代に実習があるものの、3月に卒業したての若者が、4月1日からは、「先生!」と呼ばれる不思議さがあります。

学級担任になったのなら、「先生1日目」の人も「先生10年目」の人も基本的な業務は同じになる。

人間を限界に追い込んで能力を開花させるシステムとしては優れているのですが、限界に追い込まれた先生の授業を受ける子どもたちはどうでしょう。

「いや、それは…」と言いたいところですが、「むしろいい!」なんてことが起こり得るからおもしろい。

人間を前にしてビギナーズラックなんて言ったら不謹慎ですが、「新人だからこそいい環境づくりをする」なんてこともあるのです。

きっと、いくつも要因はあるにしろ、確実にこれはプラスに働いていることは、

「ごめん。分からないんだ!」

と、素直に子どもたちに頼ろうとする姿勢でしょう。

そんな話を書いてきますね。

▼「分からない。」といえる大切さ

僕自身は、「先生!」と呼ばれる立場になって大いなる勘違いをしたタイプ。「先生は、何でも知っていないといけない。」と、厳しいゴールへ自分を追い込んでいきました。

その結果、理想の先生像に近づけない自分の実力のなさを痛いほど実感し、今のスタイルになったのです。
#今のスタイルを知らない

そんな大きな挫折を経験し、最近の若者先生の子どもとの接し方から学んだ結果、やっぱり「分からない。」と言える先生って強いなぁと思うのです。

もちろん、授業をする内容は、事前に勉強をして準備しているので、教えるべき内容は対応できるでしょう。しかし、相手は子どもたちなのですから、自分が準備した授業プランにぴったりハマるなんてことはありません。

ときに、大きなプラン変更を求められることもある。

そこからは未知の領域。もはや、子どもたちの言葉に耳を傾け、おそるおそる進むしかありません。
#見た目は堂々と

そんな手探り状態ですから、子どもたちの「気づき」や「疑問」に対応できないこともある。そんなときに、「分からないや。」「一緒に調べよう。」「次の授業まで待っていて。」とか言えた方が何だか余裕ありますよね。

ちょっと話は飛躍しますが、「先生は、何でも分かっている。」なんて子どもたちに思われていた方が嘘になるじゃないですか。

授業のために勉強をしていても、分からないことだらけ。今、記事を書いている「パーソナルコンピューター」なんて、毎日お世話になっていても、全くしくみを理解することなく使わせていただいております。

そんな状態で生きているのですから、子どもたちの学びに対応できなくても、「分からない。」が本当に素直な対応だと思うのです。

ちょっと、過去にも目を向けると、「医療」なんてのは分からないまま進んできました。

流行病に襲われたら、祈ったり、捧げたりしていたじゃないですか。そこから、何やら「血を入れ替えたら治る」とか「ダチョウの卵の湿布をすれば治る」とか、様々な方法が提案され、患者さんは、大真面目にその治療を受けていたのです。

だって、「自分では治し方が分からない」から、「ダチョウの湿布が効くよ」と言われたら「そういうもんか…」って思っちゃいますよね。

ただ、ダチョウの湿布を激押しした医師も、「絶対に効く」と確信していたから勧めた訳で、ふざけていたのではありません。

何が言いたいのかというと、

「分からないことに対して、分からないんだけど、自信満々に分かったつもりでいると、大きく間違えるよ。」

ということ。

先生も同じじゃないですか。

世の中の変化に合わせて情報をバージョンアップしていかないと、「知らない。」ということに気づかないまま、堂々と時代錯誤の情報を教えてしまう。もちろん、悪気なく。

子どもたちは、「先生の言うことだから」なんて素直に聞き入れると、もしかしたら大きく間違った方向へ進んで行く可能性だって無きにしも非ず。

だからこそ、教える側は「分からない。」と言える勇気をもち、その代わり「学び続ける」ことが必要だと思うのです。

先生の学ぶ姿は、きっと子どもたちにも伝わるでしょう!

▼まとめ

本記事では、「素直に『分からない。』と自覚して学び続けることが子どもを育てること!」という内容をまとめました。

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