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「教師」の生き残り競争。

教師の低年齢化が進んでいる。

僕は、現在の学校で4校目だ。定年まで3校異動に留まる教師もいることを考えると、割と早いペースで異動している。初めての学校は、僻地の中規模校。冬は、マイナス20度になるような極寒の地だった。地方の片田舎、隙間風が吹きすさぶ教員住宅で3年間過ごした。冬場の冷蔵庫が温かく感じたときは、家の中で凍死してしまうのではないかと思った。赴任すると、「20代の若者が来た!」とちょっとした話題となった!田舎に引っ越してきただけで、奇跡を起こした人のように扱われた。その位、地方教師の年齢層は、偏っていたのだ。

それから、点々と学校を変わった。今は、政令指定都市の中規模校に勤務している。今の学校で年齢を上から数えると、トップ5に入ってしまう。地方教師では、やっと「主任」という立場を任され、一人前として扱ってもらえる世代が、都会では学校をまわしている。それだけ、若者が多い学校。「まだまだ、先輩から学びたい。」と思っている世代が、「ミドルリーダー」と呼ばれ、後輩に教えていかなければならない。教師は、この状況を危機として捉え、本気を出して自ら学習していかなければならない。もはや、自分の学校の中に留まっていては、教えてもらえない。自分の学級を早いうちに安定させ、外へ出て学ばなければならない。

しかし、現実は真逆だ。子どもたちのニーズが劇的に変化したことにより、若手だけでなく、ベテラン教師の学級が荒れるという事態が起き出した。それだけではない、明確な教育観をもち、誇りをもって指導にあたっていた教師たちから療休に入っていく状況が見られる。子どものニーズに教師の教育観が合わないのである。

学級経営は、集団で考えないといけない。どんな学級でも、教師の考えに対して支持者100%はあり得ない。しかし、支持者を増やしていかなければ経営はできない。教師の考えに賛同している支持者が、アンチより多い場合は、なんとか学級はまわっていく。支持者を増やしながらアンチを追い込んでいくことで、教師が理想とする学級は少しずつ出来上がっていく。もちろん、逆もあり得る。教師のマニュフェストや実績が伴わなければ、政権交代が起きるのだ。

そんなことを言っている自分も危なかった。もうだめだと思った。僕は、いろんなものを捨てた。捨てたことで生き残った。だからこそ言える。生き残るためには、捨てていかなければならない。

経験年数
理想の学級像
理想の子ども像
得意な授業スタイル
「しなければならない。」という思い込み
「人は変えられる。」というおごり


こんなものは捨ててしまえ。「自意識過剰になって目の前の子どもに合わせようとしないと、いつか気持ちが折れてしまう。」僕は、折れかける最後の最後で、全て捨てた。そして、生き残った。

あれから1年間が経とうとしている。今年は、何とか安定したメンタルで最後まで走れそうだった。しかし、非常事態により、若干の休憩を余儀なくされた。1年前の僕に言ってやりたい。

「お前がどれだけ準備して理想を語ったって、どうしようもならない事態が起きるときだってある。理想を固めすぎるから変化に対応できないんだ。生き残りたいなら適応しろ。適応できるやつが生き残るんだ。」

教師は、1日中「人」を相手にする職業だ。教師が思い描いたイメージなんて関係なく彼らは生活している。考え過ぎても意味はない。その考えの中に、目の前の子どもたちはいないから。「今、ここ」を生きながら、彼らとともにつくりあげていけばいい。

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