見出し画像

虹をつかもう ――逃――

21

その後、教師二人が簡易タンカーを使い、ビリーを医務室につれていった。しばらくして外に、悲鳴のような救急車の音がした。

翌日の教室、男子生徒のなかで、ビリー以外、欠けた者は誰もいない。傷害事件にはならなかった。昨晩、学校のSNSにアクセスすると、差出人不明のメッセージが届いていた。休むことは許されない。

短い言葉なだけに恐ろしい。他言しないことは当然だという迫力を感じた。今日、休んだ生徒が、女子一名だけのところを見ると、クラスメイト全員にその通知が行ったものと考えられる。

休んだ彼女は、きっともう学校に来ない。だけど、臆病者とは限らない。ある意味、勇敢で、英断だというふうにもとれた。

臆病なのはぼく。逆らうことが恐ろしい。さらには高二で学校をドロップアウトするだなんて、今いるレールを外れる勇気もない。

担任の教師から、簡単な説明があった。事情聴取の結果、ビリーは、彼の不注意で階段から転落し、それを目撃したクラスの何人かが教室まで運んだのだ、と。

怪我人は不用意に動かさないよう、全員に注意がなされた。素晴らしい冗談だ。ぼくが夢をあきらめるから、あんたがコメディアンになったらいい。

さすがにあの事件のあとだ。奴らもしばらくはおとなしいだろう。しかし、それも長くは続かない。ぼくはあの、元凶の存在を知っている。

次の標的はだれだ? 何人か立場の危うそうな人間もいる。だけど、ぼくが候補に入っていないわけがない。クラスの多くの人間が痣をつくっているなか、自分が無傷でいることが、かえって不安を掻き立てる。

頭の中でビリーの声がする。ビリーの悲鳴が、いまも脳裏に焼きついている。

七瀬。ビリーを見捨てたやつ。あいつはきっと何も感じてない。頭がおかしいんじゃないのか。もちろん誰もなにもできなかったし、見ないふりをした。

でも、あいつが前に出たとき、空気が変わったじゃないか。勝手だとは思いつつも、冷酷な人間であるという印象が拭えない。

ノートに書き殴ったランキング。そして、各人のレーダーチャートを見る。
ワンとツーの入れ替えはない。ぼくは買い被っていた。ワンのポイントを足す。あんたも充分〈イカレ〉ているよ。

その下の順位を見直そうとして、手が止まる。不良二軍とスポーティたちが、今どういう力関係にあるのか、独りでいるぼくにはよく分からない。

あきらめて飛ばし、「その他」を見る。17番。少なくとも七瀬の位置はここではない。正体不明な〈オーラ〉が群を抜いてる。

彼なら、本当に標的にならないのかもしれない。非人道的なレベルにまでに昇華された無関心。不思議な斥力を持った空気。

あれは、ただの空気ではなかった。あのとき彼は、たしかにワンに勝った。ワンは、それをどう捉えているのだろう。屈辱を感じ、やりかえすのか? 未知の存在として、これまでのように放置する?

最下位だったビリーが消えた。下から二番目の七瀬がどこかへ跳ね上がる。ぼくがその場所に行く。つまり、今は最下位。序列に従うならば、次はぼく?

もう学校なんて、どうでもいい。それがすべてじゃないだろう。

この前までのぼくは、ニュースで報道されるいじめの問題を、至極冷静に見ていたはずだった。――狭いよ、学校なんて。それを世界のすべてだと考えてしまうから、自分を追い込んでしまうんだよ。

きっとそのとおりだ。逃げたっていい。

頼りない足取りで、非日常へと続く迷路をゆく。塾に行くための住宅街。だけど、目的地はそこじゃない。

塾の先、坂道の途中で、いつもより多く汗をかいていることに気づく。時間が早いからだけではない。気温も夏にむけて確実に高くなっている。まだ雨の日は多くないが、梅雨入りも、もうじきだろう。

坂の下を振り返る。夕陽の光を欠いた街の景色は味気なくて、朱色の世界の女王も、やはりそこにいなかった。

現実逃避気味に、憧れのお笑い芸人――セイさんの家に向かっている。テレビのなかの温和な笑顔。何度も癒されてきた。

謎の男、七瀬との遭遇事件の件があるため、セイさんの家とは限らないのだが……、現実逃避にふさわしく、そう思いたかった。

七瀬のことは、今は忘れたい。それに、彼のことは、常識で考えるべきでない気がする。どのみち、ぼくにとってその存在は、空気や蜃気楼のようなものだ。

――今日こそ、思い切って扉を叩いてしまおうか。進学だけがすべてじゃない。もともと惹かれていたのはあの場所。常識に縛られて、それが足かせになっていた。

ひょっとしたら、七瀬もお笑いを志して? なんて、わけがない。第一、笑ったところを見たことがない。

またその影がちらついていたことに気づき、頭を振る。彼が何者に対しても興味がないように、ぼくのほうにだってない。

よほど考え込んでいたのか、背後から近づく人影に気がつかなかった。セイさんの家につづく小道を抜けたときのこと。

相手はすぐ近くまできていた。振り返ろうとして真横に、ぼくが教室でよく眺めた整った横顔があった。いい香りがした。一瞬ここがどこか分からなくなる。

木原。
ぼくには目もくれず、セイさんの家に入っていった。どういうことだ――? 
彼女にはヤクザの愛人という噂があった。セイさんがヤクザ? んなわけない。

回れ右をする。その扉をどうして叩く気になれる?

小道の入り口まで戻ったところで、一度立ち止まった。深呼吸をして、一度冷静に考えてみようとする。

直後、背中にギャーっと大きな音が鳴り、ぼくは弾き飛ばされるように、坂道へと駆け出した。それこそ、爆弾を連想した。 

なんだ、この家?
理解を超えている……。

===
クラスの力関係(数字は、何番目の権力者という意味)

不良一軍:人狼ワン(1)、ツー(2)、藤沢(3→リタイヤ)、
     オシャレ坊主(4)、5
不良二軍:ずんぐりナイン君(6)、7↑、8↑、9↑、10↑
スポーツ:フォー氏(11↓)、12↓、舟木(13↓)、14↓
その他:仙人七瀬(?↑↑)、ぼく(16→最下位)、ビリー(17→リタイヤ)


続きはこちらから。

有料記事がお得に読めるメンバーシップ。

木原氏が出没する𝕏アカウントはこちら。

ぜひサポートしてね! もっと面白いロックスターに育ちますよー!