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魔法少女はメタルを聴く 第6話「だって、癪じゃない」

「さち子もよくやるよねー」と、これもまた、女子社員AとBが陰で言っているところを通りすがりに聞いた。「あんなの、ばればれじゃん」
ある休憩時間のことだ。

ビルの各階には、フロアを真ん中で分割する通路があって、その通路の端にテーブルと長いすが据えられた、共有のリラクゼーションスペースがある。そのあたりを通りかかったときに聞こえてきた。

さすがに立ち止まるわけにはいかず、音を立てないようにゆっくりと立ち去ったのだが、そのわずかな間に、たいへん有益な情報を得た。
なるほど、こういう情報交換の場は意外に大事なんだな……。

さち子というのは、株式会社DBJに派遣されたわたしとは別の派遣会社の子で、女子社員A、女子社員B、女子社員C、そしてわたしとともに業務上同じセクションに所属している。小柄な存在感のない子で、実際、彼女の存在は、普段からほとんど頭にない。
その子が、ハルキのことを好きだというのだ。

そういえば、仕事中もなにやら書類を手に持って、ちょくちょくハルキのデスクに話しかけにいく。てっきり、仕事上そうしているのかと思った。けど言われてみれば、他の同僚に対しては無口なのに不自然な気がする……。
思い出せば思い出すほど、うわさに信憑性が加わっていく。
とたんに彼女が存在感のある生身の人間となり、その様はたとえるなら、気体が充填され、大きく膨れ上がっていくアドバルーンのようだった。

これは困ったことになった。角を曲がってドン! の瞬間から、わたしの世界は一変してしまって、ぼんやり頬杖をついていることすら許されなくなった。
独特の緊張感が漂う。オフィスがまるで、人生の明暗をわける就職の面接会場のような気がしてくる。
モノクロ映画がカラー映画に変わったかのような生の感覚。

この頃のわたしはいったいどうしたというのだろう? 世界が変わる直前まで、からっぽは、たしかにあった。それはいつもわたしの胸にあって、何度でもわたしを吸い込んできた。不安になり、探ってみる。きっとある。消えるはずがない。消えるわけがないのだ。

記憶の、ある場所を突いてみる。
ほら、感じる。――今でもわたしはあの日を忘れていない。

運命の日はきた。予想よりもひと月ふた月早かったが、その日だと直感した。
リカさんから、八月の某日を指定されて、夏休みの、ひとけのないキャンパスにくるように言われていた。レイとふたりで。大切な日だから、と。結果はすでに決まっているのかもしれないし、そこで最終の試練があるのかもしれなかった。

とにかくわたしは、朝、「柱」と最大限にシンクロできるように、アイアンメイデンのバンドTシャツを床に並べ、どの柄にするか悩み、そうして『キラーズ』のジャケットのものを選んだ。

アイアン・メイデンの、(たぶん)人類史上もっとも可愛くないマスコットキャラ――干からびたゾンビにしか見えないあのエディは、アルバムによって宇宙服を着ていたり、ファラオの恰好をしていたり、いろいろとコスプレをする。
だがわたしには、『キラーズ』の、余計なものを一切まとわず、歯を剥き出しにして怒りに顔を歪め、凶悪なゾンビです、人も襲います、といった率直な態度をしたエディが、決戦の場にはふさわしい気がした。

なお、この夏のわたしは、メイデンのバンドTシャツのみを、ローテーションして着まわしていた。もちろん、すべてにエディが描かれている。すべては今日この日のため。
人間慣れるものだな……とつくづく思う。キャンパスで視線を感じても、わたしを見ているのかエディを見ているのか、もはや判別がつかない。

午前中のまだ早い時間帯、キャンパスの待ち合わせ場所に到着すると、レイもすぐにやってきた。
「おはよう、メイデン」
余裕なのか、気負った様子は見られない。
彼女は、入学当初と変わらないふりふりの恰好をしていて、すうすうと涼しげに見えた。すこし太ったかもしれない。幸せ太りとはよく言ったものだ。

「ふたりとも魔法少女になれたらいいね」レイは無邪気に言う。抜けている彼女でも、今日のことには気づいているようだ。
「……そうだね」
けっきょくレイには、おぎわらさんから聞いたあの話は告げずじまいだった。魔法少女になれるのは、どちらかひとりだけ、というあれだ。

不確かな情報を与えることで――よくも悪くも――純粋で信じやすいレイを、混乱させたくなかった。と言えば、聞こえはいいが、おそらくは違う。油断させたかったのだ。三年の月日のあいだに、わたしは随分とひねくれてしまったものだ。
それでも、正直、勝てる気がしなかった。

天才に感じる、秀才の嫉妬というものだろうか。レイに感じる脅威は、入学当初からずっと変わっていない。頼みの綱は、わたしの努力、費やした時間と犠牲の総量、そしていつかリカさんの言った、「あなたなら――」という、真偽を疑う言葉だけ。

約束の時間をわずかばかり過ぎたころ、キャンパスのはるか向こう側に、魔法少女研究会の先輩であり、指導者であり、審査官でもあるリカさんが歩いてくるのが見えた。この場所は見通しがいい。加えてキャンパスには、ほかに人影がない。

遠くのリカさんの姿は、光の加減のせいなのか、あるいは解放した魔力のせいなのか、その輪郭がぼんやり揺らいで見える。いつにない真剣な面持ちだった。
……やっぱり。
泣いても笑っても、今日が最後の日――。

そう、審判の日。わたしのなかに、荘厳な鐘の音とともに、メイデンの壮大なメタルバラード「審判の日(原題、Hallowed Be Thy Name)」が流れる。まるで映画を観ているときに流れるBGMのよう。意識せず、すっと流れた。つまりそれだけ柱が血肉になっているということ。彼女は、成長したわね、と誉めてくれるだろうか。

やがて彼女はわたしたちの前に立つ。
「もう三年ね」
その胸には十字架のペンダント。変わらない姿のリカさんが言った。かつてわたしを魅了した、力みのない、優雅な立ち姿で。

「ふたりとも、よく頑張ったわね」
その台詞を合図にして、彼女はいつもの笑顔に戻った。
「今日がそう。その日。魔法少女になるための、最後のステップに進む日」わたしは思わず、ごくりと唾を飲み込んだ。
「まあ、ステップって言っても、あとは魔法を決めるだけなんだけどね」
彼女は微笑む。
が、「人目につかないところに行きましょう」次の瞬間には、また真剣な顔つきに変わっている。優しいだけではない、魔法少女の厳しさをも知ったリカさんの本当の顔。

わたしたちはリカさんに続き、キャンパスのメインの通りを逸れた。それから、食堂のある少し低い場所に下りるのに、十段ほどの石段をくだった。
その場所は、キャンパスでいちばん大きな食堂の脇にある休憩所。自動販売機といくつかの木のテーブルがあって、そのテーブルのまわりには、丸太を横にして作った椅子が固定されている。食堂が閉まっているため、ほかに人はいない。

リカさんは立ち止まり、振り返った。
「さっそく本題に入るわ」同時に足を止めたわたしたちに、向きなおって言う。「この先の秘密を知っていいのは、魔法少女になれる者だけ。契約書の記述のとおり、資格のない者には退場してもらわなければならない。いいわね?」
有無を言わさない迫力。
「はい」
このとき、めずらしく、わたしとレイの返事が同じ響きで重なった。

八月のよく晴れた空。音のないキャンパス。心臓が高鳴る。沈黙がある。この沈黙のあとに出る言葉は分かっている。それは、わたしかレイ、どちらかの名前。
いつかリカさんは、わたしのことを、最強の魔法少女になれるかもしれない、と、そう言ってくれた。けど、身も心もどっぷりメタルにはまっているのは、レイのほう。
この期に及んで、弱気な言葉があふれてくる。どうしたって、好きには勝てないのだ。これまで何度思い知らさせられてきたことか。けど、それでも願わずにはいられない。
お願い、わたしを選んで! わたしは魔法少女になりたいの!

「第十期の魔法少女はただひとり――」
来る……。思わず目を閉じた。
「レイ」
衝撃がわたしを襲う。
「……ごめんなさい」
そのあとリカさんは、残りの言葉を静かに放った。「あなたはここまでよ」

目をあける。静寂。リカさんの、眉根を寄せたつらそうな顔。
直後、「なぜですか?」レイが取り乱した。
「なぜなんですか!」まわりを振り回してばかりいた、あのレイが。
「わたしは、こんなにヘヴィメタルを愛しているのに!」
「そういう問題じゃないのよ」リカさんは寂しそうに笑った。
そして振り切るように言う。鋭い声で。「行きなさい」
「でも」
「行くのよ」
「ああ……」
「だいじょうぶ、あなたには別の道が開けてるじゃない」そうして彼女がたむけの言葉とばかりに微笑むと、
「メイデン! わたしのぶんまで幸せになってね」レイが背中をむけて駆けだした。彼女は、どたどたと、泣きながら去っていった。
「レイ!」
ああ、胸が痛い……。こんなにも後味が悪いなんて。

歓喜の気持ちが、胸の奥に引っ込んでしまう。そのときレイの消えた反対側の方向から、ふっとこんな小声が。「ち、リア充が」
「リカさん……?」彼女を見る。そのときの一瞬の彼女の表情。見たことのない表情が、そこにあった気がした。
「え?」いつものリカさんだった。
「彼女、駄目なんですか」
どうして。なぜ。なぜ、魔法少女はひとりじゃないといけないの――?

リカさんが首を振る。「彼女に魔法は操れないわ」
そんな……。今のわたしにはまだ、魔法がどういうものなのか分からない。けど、「レイが駄目だと、なぜわかるんですか」
「彼女は、メタルの本質を履き違えた」
リカさんの瞳の光は強い。
「その力のベクトルとまるでずれてしまっている。それに、典型的なのよ。特徴がよくでてる」
「特徴」
「ええ、これまで魔法少女になれなかった者の特徴。定めと言ってもいいかもしれない」
ひとつ、と彼女は言う。「メタルを普通に楽しんでしまい、ただのヘヴィメタおたくになる」
たしかに!
「ふたつ。彼女たちの多くは、時代遅れのメタルふうの男をつくるの」「う」
リカさんは、ほらと言って、どこからかわたしに一枚の写真を差しだした。このにきび顔! インギー、レイの彼氏だ。
「いつ調べたんですか」
「魔法少女研究会を甘く見ないでちょうだい。あなたたちに関する写真は他にもたくさんあるわ」
「ええー」目を白黒させるわたしに、彼女は、「ロウィンに報告しなくちゃいけないからね」と、少し決まりが悪そうな顔を見せた。

なに、彼女はわたしたちのことを監視していたの?
そういえば、思い当たる。キャンパスでたびたび感じていた視線。あれは彼女のものだったの? というか、どんだけヒマ……。たしかに電話すればいつでもつながったけど。

わたしの心の声が聞こえたのか、「感謝してほしいくらいだわ」と彼女は声を張った。「わたしがこうしてしっかり調査をしてきたから、あなたは、あの悪魔……、いえ、ロウィンと接触せずに済んできたのよ」
「それは……」
「まあ、今この話はやめましょう。問題はこういうこと」彼女は写真を指差し、ずばり言う。「あなた、この男とつき合える?」
「無理ですよ!」わたしはコンマ一秒で即答する。「勘弁してください」
「つまりそういうこと。そこが越えられない壁なの」
越えられない? 引っかかる。まるでわたしが越えられなかったような言い方だ。わたしは試練をクリアしたんでしょ?

「あなたにはプライドがある。しかも並々ならぬ」
「ええ、プライドというと少し語弊があるかもしれませんが、アレは無理です」わたしはあの会見以来、レイにいくら誘われても、インギーとの接触を避けつづけている。
「きっとアレだけじゃないわ。あなたはもう、そのへんに転がっている男じゃ満足できないはず」
どうだろう――、適当なところで妥協するには、あまりにも長く貞操を守ってしまったけれど、でも――、

「なぜ、そんなことが言えるんですか」
「わたしがそうだからよ」
言い切った!
そこまで断言されると、言葉がでない。
「今こそ秘密を打ち明けるわ」
リカさんはゆっくりと、いまいる場所の奥にむかい、歩きはじめた。

間隔を保ち、わたしも後につづく。強いのどの渇きを感じる。
建物の角まできてそこを曲がると、奥にむかって、これまでよりもずっと狭いスペースが先に伸びていた。しかも薄暗い。建物の壁の逆側には、緑いろの金網のフェンスが張り巡らされ、そのきわに、背丈の高い、葉の茂った木々がたち並んでいる。光をさえぎり、視界をふさぐ。

リカさんはさらに進み、建物の一辺の中央まできたところで、ようやく振りむいた。木の葉の影が、彼女にまばらにふりかかる。
わたしは、彼女と、先輩魔法少女と向かい合う。
ついにきた。ついにここまで――。
やけにのどが渇く。望んでいた場面だというのに、わたしの不安は増すばかり。

と、リカさんが突然口を開いた。「魔法なんて本当にあると思う?」
え、なにを? わたしは一歩後ずさった。
「二十歳をすぎて、無邪気に信じてたの?」
そんな、いまさら。彼女の目は笑っていない。どっちが本当のリカさんの顔なの――?

のどの渇きにあらがい、声を振りしぼる。「あるって言ったじゃないですか! まさかあれはインチキだったんですか!」
彼女を睨んだ。すると、影のあるほうの彼女は、すっと内側へ引いた。
「なんてね。冗談よ」
…………。
心からほっとできない。

「そんなに怖い顔しないでよ、メイデン。せっかくのきれいな顔なのに。だいじょうぶ、魔法はほんとうにあるの。安心して」
神経がざわつく。彼女の顔が作りものに見える。本当の顔が、その奥にあるように思える。
「意図的に奇跡を起こす。自然法則をねじ曲げることができるんだから、それは驚異的なことだと思うわ」
そして彼女は、ポケットからスマホを取りだした。
「たしかめて」とわたしに手渡す。
神妙にそれを受け取った。ところが、ボタンをいじっても、画面は暗いまま。操作しようにも電源が入らない。
「貸してみて」と彼女はまた手を伸ばす。
その言葉に従った。これって――、
まるであの日の再現だ。どういうこと? 意図がわからない。
「あなたに真の魔法を見せてあげる」
彼女の言葉は力強い。わたしは身がまえる。

彼女は携帯を両手で包み込むようにして、胸のあたりに置き、目を閉じ、それから、静かな厳粛な空気のなかで、ひとこと、「バッテリー」と唱えた。三年前の春と、なにも変わらない。
「はい、操作してみる?」
「いえ……」
わたしはその結果を知っている。「これは以前に見せてもらいましたけど」
「まだわからない?」
どういうこと……。「はい、わかりません」
「それがすべてなのよ」
「は」
「わたしの魔法の名は、『バッテリー』」
そのまま! 
それから彼女は、はじめて自分の魔法について語りだした。
「その効果は、バッテリー、つまり電池の残量を、ほんのすこしだけ引き延ばすことができる。充分に充電されたあとで、次に充電されるまでのあいだ、一回だけ使える。それがわたしの魔法のすべてよ」
「そんな! たったのそれだけ」
「あなた、いま本音がでたわね!」
今までにない表情で、リカさんが睨む。迫力にわたしは怯み、また一歩後ずさる。
「けど、それはそのまま、あなたにも返ってくるのよ。いい? すべてのものごとはバランスがとれているの。以前そう話したのを覚えているわよね。奇跡なんてものは、通常あり得ない。それを可能にする魔法だってそう。だから魔法って、本当にすごいことなのよ? 価値でいうなら、とびっきり純度の高いダイヤモンド。それを1グラム買うのに、いったいいくらかかると思う? たかが1グラムをよ」
わたしは答えられない。
「本質的には同じこと。もともとの資質に加えて、絶えざる研鑽と時間という名のお金を費やして、あなたはそれを買った。正確には買う権利を、だけど。そういうことなの」
「わ、わたしたちの魔法とは、つまりなんなんですか」口のなかが恐ろしく渇く。かろうじて言葉をしぼりだしている。
「効果は人によって違うけど、そうね……、あえて言うなら、0.01パーセントをどうにかする力」
わからない。必死で考えを巡らす。
しかし彼女はわたしを待たなかった。「たとえば、二十四時間使用できるバッテリーがあるとする。わたしたち魔法少女がそれをどうにかできるとすれば、二十四時間を分に換算して……、まあ、あとで計算してみるといいわ。その、0.01パーセント――つまり引き伸ばせるのは、約一分半ってことよ」
「そ、そんな……」納得できない。「それは、わたしがまだ三年しか修行してないからですよね? もっとがんばれば、きっと」
「だったら、わたしがこんなざまなわけないでしょう」彼女はもはや、棘を隠そうとはしなかった。「ロウィンによれば、その奇跡の壁は、急カーブを描いて高くなるの。放物線のイメージ。ゆるやかな坂の先に、垂直に近い崖があると思ってちょうだい」
…………。
言葉が出ない。

「先に進んでもいいかしら? まだ魔法を使うための方法論に進んでないわ」
わたしはただうなずいた。力なく。
「柱、つまり、自分の中心となる音楽は最初に決めたわね」
それにもうなずくのみ。アイアン・メイデン……。答えるまでもない。
「魔法として選べるのは、その楽曲のなかのひとつ。タイトルがそのまま魔法になるの」
(……なにを言ってるの)「そしてその使い方。魔法として選んだ楽曲を、まるですぐそばにスピーカーがあるかのように、頭のなかに流しながら……、いまのあなたなら容易よね」(……だから、なにを)「再生中、その魔法となるフレーズがやってきたときに、そこに重ねるようにして言葉を出す」(……いったいなにを)「だから、意味のあるタイトルを選ばなきゃね」
「ちょっとなに言って」無意識に足が動いたところ、
「じゃあ、わたしの話をしましょう」リカさんが身体のまえで人差し指を上に立てた。わたしはぴたりと止まる。
「わたしが〈バッテリー〉と唱えるとき、わたしの頭のなかには、メタリカの名盤、『メタル・マスター』の一曲目、まさに〈バッテリー〉が流れているの。サビで、ジェームズ・ヘットフィールドが、バッテリーと何度も叫ぶわよね。そのタイミングでわたしは呪文を唱えている。強力なメタルアンセムよ。十八歳のわたしは、この曲を聴いてノックアウトされたの。まあ、それはいいわ。ちなみに、わたしの本当の名前はよしこ。リカは、あなたのメイデンと同じく、魔法少女研究会のコードネームよ」
あ、メタ「リカ」。
「ほら、ちゃんとアイテムだって身に着けてるでしょ」
え――?
「この十字架のペンダント」リカさんは、胸元にあるいつものアクセサリーをつまんで言った。
「『メタル・マスター』のジャケットに描かれているものとほぼ同じ形状よ。以前、それとなくヒントを出してたんだけどね」
ああ、メタリカの元ベーシスト、クリフ・バートンの話のとき……。

たしかにジャケットには十字架の墓標が並んでいた。わたしはそれを見て、ただ、外国の墓地だとしか思わなかった。
頭がぼうっとする。「けど、あれには気づいていたんです」
なぜだか、目の前の人物に対して、弱々しい敬語になる。焦点が定まらない。
「ロウィンのかぼちゃのマーク……。ロウィン。つまり、ハ『ロウィン』ですよね。彼女の柱は、ジャーマンメタルの代表格、ハロウィン。だからアイテムとして、衣服にかぼちゃのワンポイントが入っていた」
なのに、なのに、なぜリカさんのことは気づかなかったのだろう――。

「彼女の魔法もそうなんですか」あんなに恐ろしい魔女に見えたのに。「そんな、微弱な静電気みたいなものなんですか」
彼女は首を振る。「ロウィンの魔法は見たことがないわ」その様子は嘘をついているようには見えなかった。「けど、『守護神伝』の曲はすべて使えるっていううわさよ」
アルバムを丸ごと? しかもそれは二枚に分けてリリースされている。
「魔法って、ひとつじゃないんですか」
「さあ、魔法少女マスターだからじゃないの」
ぞんざいに応える彼女は、ほんとうにロウィンのことは知らないようだった。

「まあ、その先があるのかもしれないし、なんせ最初の魔女、おっと、魔法少女だから、わたしたちの魔法とはそもそもが別ものなのかもしれない。でも大差はないはずよ。その魔法がなんであれ、0.01パーセントが、0.02パーセントになったところでどうだっていうの? 定期預金の金利のほうがまだ高い。お金を増やしたいなら、魔法なんて使わず貯金しとけって話よ。もっとも、お金を増やす魔法なんてものがまず見当たらないけどね」

途中から、わたしは聞いていなかった。聞こえていなかった。
だまされた――。
だまされた、だまされた、だまされた。
レイ、泣きたいのはわたしのほうだよ。

「嘘はついてないわよ」リカさんの声に、わずかながら後ろめたいものがちらついた。「そうでしょ? わたしは話せる範囲で話してきた。わたしの話に誤りがあったなら言ってちょうだい。それどころかわたしは、魔法少女になる厳しさを警告した」
「それは……」
「これであなたは魔法が手に入る。いつだって奇跡を起こせるのよ」
奇跡……、そんなものが。

「わたしだってショックだったわ」
悔しそうな、そして翳りのある表情。隠していた彼女の半身。
角度を上げた太陽と、まだその直射をカバーできる高さを持った木々が、彼女に、光と影の粒をまだらに投げかける。

「けど、こんなのって!」最後の力を振りしぼる。「どうして最初からもっとはっきり説明してくれなかったんですか? たしかに嘘はなかったかもしれない。だけど、もっと詳しく説明することだってできたはずです」

――だって、癪じゃない。
「え」
聞き取れない。声が小さい。

「だって、癪じゃないの! わたしだけがこんな目に遭うなんて」
風に木の葉が揺れる。
揺れる影が、わたしたちを黒く埋める。

怒りに荒ぶる声だ。彼女がはじめて本音を語った。「わたしが学園生活すべてをかけて得たものは、携帯のバッテリーをほんの二、三分長持ちさせられる力。それだけなのよ! この悔しさがわかる? 彼氏だっていない。友達だってできなかった」
笑えない。わたしはどんな表情をも作れない。額に冷たい汗がにじむ。けど――、
このひと歪んでる!

「あなたはまだマシ。魔法を選択できるんだから。わたしのときは、研究の初期段階とかなんとかで、魔法になるチューンまで指定されてて、わたしの魔法は、最初から『バッテリー』だったのよ」
きつい!

彼女の口調がもう一段階変わる。「まあ、あなたなら、最強の魔法少女になれるかもしれない」皮肉のこもった、険のある言い方……。「わたしたちチューターは、新入生に質のいいメタルナンバーを聴かせて、彼女たちが選んだ柱でその才能を見抜くの」
ああ……、昨日のことのように思い浮かぶ。

「まるっきり受け付けないって子は問題外だけど、どの曲も好きだって子もあまり見込みがない。他のメタル曲は駄目だけど、柱の音楽にはぴくりと反応する。そこが素質のポイントね。あとは柱になるバンドのキャリア、格、どれだけ後世に影響を与えたか、そういったものも大きい。時期でいえば、暗黒元年の1970年から、八十年代初頭のNWOHMまでがベスト。アイアン・メイデンなら文句ないわ。それにそのTシャツ、ぷっ。わたし、なんだかんだ、女を捨ててないしね」
その言葉でわれに返る。なんでわたし、こんなの着てんだ? 
痛い! 完全に痛い人だ。

恥ずかしさと怒りが、ほぼ同時に湧き上がる。怒りの矛先が対象を求めて、回転をはじめたとき、「この件に関して文句があるなら、直接ロウィンに言ってちょうだい」リカさんは鋭い声で言った。「わたしだって、命じられてそうしてるだけなんだから」
魔女ロウィン! 
ホラー映画を思わせる真っ白なハリウッドメイクが、あたまにきらめいた。

無理、それは無理……。気持ちがしぼんでゆく。吸い込まれていく。わたしの胸には、まだそのころ名前を持たなかった虚無が、からっぽが、その口を開けていた。

「あとは、魔法を選択したらロウィンのところに行ってちょうだい」リカさんが静かに言う。「契約書にもそう書いてあるわ。また会いましょう、メイデン」
彼女はわたしのいる反対側を向こうとして、「そうそう」と身体を戻す。
「曲名がそのまま魔法になるって言ったけど、効果に関してはある程度、術者の解釈が必要になるの。たとえば、そうね、メタリカの〈ワン〉を選んだとして、それだけじゃ何のことかわからないでしょ? 〈バッテリー〉なら、電池類に力を与えるものだとすぐ想像がつく。少なくともわたしは」

呆然と、彼女の最後のレクチャーを聞いていた。
「けど、こじつけは駄目。自分が心からそう思える解釈でないと駄目なの。よく考えてみて。魔法を選べるチャンスは一度きりよ。あなたはもういつでも魔法少女になれる。わたしの教えたやり方で、あなたの魔法を唱えればいい。それにしても」と彼女はわたしの姿をじっと見た。
あーはっはっは。
そして彼女は去っていく。わたしの憧れ……。理想の魔法少女……。

大きな音を立てて、わたしのなかの何かが崩れた。このときに、信頼や素直さ、純粋さ、多くのものが飛び散っていった。それは、わたしの胸のパンドラの箱。

そうしてわたしに残された唯一のものが――、魔法少女。

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