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魔法少女はメタルを聴く 第一話「かぼちゃ女にだまされた」

===あらすじ===
佐々木ほのか(26)は大学時代、本物の魔法が得られるという秘密結社「魔法少女研究会」でライバルと切磋琢磨していた。その修行方法はなんと、ヘヴィメタルを聴きこむことだった。彼女はライバルとの戦いに勝ち、魔法少女になる権利を手にする。だが魔法の秘密を知ってしまい、以後、頑なに魔法少女になることを拒否する。心を閉ざし、やる気のない派遣社員として日々を過ごす彼女だったが、ある日唐突に職場の男性に恋をする。そこに同期の魔法少女が現れ、「だったら魔法を使えばいいじゃない」と誘惑する。ほのかは魔法少女になり、願いをかなえることができるのか――。
===

ぶすっと頬杖をついている。
この席からかなり距離のある壁際は、一面がガラス張りになっていて、わたしの目線からは、パーティションや天井に切り取られて、小さなガラスの長方形に見える。
長方形には空が映っている。ただ、空である。今日はほんのり白っぽい青。それはなんだか、水晶のようにすべてを見透かす、知的インテリア体のように見える。じっと見つめていると、遠い日のわたしの声が聞こえてくるようだ。
だいじょうぶ、だいじょうぶ、恋愛なんていつでもできるじゃない。みんな急ぎすぎなんだよ、と。
――はじめて男の人とつき合ったのっていつなの?
――それがね、ちょっと遅くて、十九なの。
とか言ってみたい。
そのほうが完全に可愛いからだ。
大人っぽく見えるらしい長めのストレートヘア、本当は楽だから着ているシックなカジュアルスーツ、今の恰好からは想像がつかないだろうが、かつてのわたしは夢見がちな少女であったのだ。

その彼女はこうも考えていた。
……でも、できれば二十歳までには経験したいかな。うん、だいじょうぶでしょ。だってこのあとに控えているのは、巷で「確実に人生の最盛期となる」と言われている、出会い多きキャンパスライフなんだから(それはそれで悲しくもあるけれど……)。
わたしはそのことを疑いもしなかった。そう思って、ここまできた。思えば遠くへきたもんだ。
目の前の電話が鳴る。とる。
「はい、DBJでございます。――えっと、どちらの佐藤でしょうか? ――申し訳ございません、佐藤はただいま外出しております。――ええ、ええ、失礼いたしまふ」
切る。
ちょっとかんだ。まあいいや。わたしにプロ意識はない。
ここは都心の一等地にある高層ビル。その、高層階のワン・フロア。そのフロアに入っている株式会社DBJのオフィスに、わたしはいる。
大きな会社ではない。きて半年になるが、いまいち何をしている会社かわからない。事務用品の販売なのか? まあどうでもいいけど。
ここでのわたしの役割は、ひとことでいえば雑用。けど骨の折れる仕事はたいてい男性社員がやってくれるので、やることといえば、電話を取り次いで、パソコンで簡単な作業をして、お客様がきたときにはお茶をもっていって愛想よくするくらい。五時半にさっと帰る。
さて――、

そんなわたしは魔法少女である。正確には、その一歩手前。

…………。

もう一度言おうか? うん、魔法少女だよ。聞き違いじゃないから。
……なにか、文句があるだろうか。ええ、二十六歳ですとも。それが? 

ここまでを整理しつつ自己紹介すれば、わたし佐々木ほのか二十六歳は、現在、魔法少女の一歩手前のステージにいて、その、魔法少女の一歩手前は、都会感あふれる職場で派遣社員をしており、それを言い換えれば、高層ビルの高い場所でだらだら事務作業をしているのだが、わたし魔法少女の一歩手前は……、いや、いいや。面倒だから以後たんに魔法少女と呼ぶ。
続けよう。

訳あって、魔法少女は英語に強い。その英語に強い魔法少女は、現在、時給いくらの生活を強いられている。その英語というのは、魔法少女ゆいいつの実践的な武器なのだが、いまの世のなか、英語ができるだけで就職できるほど甘くはなく――と、電話だ。とる。
「DBJでございます」
たまには他のやつらもとれよと思うが、そんなことはおくびにも出さない。
声に最低限の人間味を残しながらも、あくまで事務的に処理する。「課長ー、お電話でーす」
って、なんだっけ。まあいいや。
ほぼこんな感じでわたしの一日は過ぎてゆく。
――と、ポップアップ。めずらしい。パソコンにメールが来たようだ。いちおうわたしにも割り当てられたアドレスに、たまにメールがくる。
「佐々木さん! 今日もとってもきれいだね(笑顔マーク)」
三十代後半、独身、ある男性社員からの短い一文だった。
消す。
おまえに言われんでもわかっとるわ! うっとおしい。
自分の容姿のレベルを把握していない女子がどこの世界にいるだろうか。この手のメールは非常によくもらう。不思議なことに、どこの会社に派遣されても、必ずひとりやふたりいる。なぜメールなんだ? 怖くてそっちを見れなくなるだろう。まったく、気持ちわるいと思われるだけというのに。クエスチョンマークが十個も二十個もつく。

まあ別にいいけどね。わたしはすでにこのフロアを見渡す必要を感じない。似たりよったりの冴えない男たちがいるだけ。老いも若きもそう。全員が泥でできたゴーレムにしか見えない。この高層階に生まれた、長方形の純度百パーセントのお空、知的インテリア体を眺めていたほうがまだマシというものだ。

ちなみにあとは、泥人形に見合う、同じくらい冴えない女性社員たちがいる。社風なの? わたしとは別の派遣会社から派遣された子もひとりいるが、どういうわけかこの子も冴えない。磁場ってこと?

正社員の女子たちがわたしのことをよく思っていないのは知っている。断ったからかな――、女子会。そういうの苦手なんだよ、勘弁して。
わたしと彼女たちのあいだの溝には、別の理由もある。複雑な気分だが、さきほどの気持ちわるいメールが答えを代弁してくれている。――つまり、嫉妬。

しかしおまえら、実際あんなん欲しいか? やっかむ前に、陰口といか言ってないで自分を磨いてくれよ。
やれやれ。
眼中にない。わたしは組織の構成上、絡まざるを得ない三人の女子ことは、女子社員A、女子社員B、女子社員Cと呼んで区別している。

もう少し説明を加えるなら、表向き三人仲良しにみえて、A子とB子がとくべつ仲がいい。べったりくっついている様はまるで女子校のノリのようだ。A子B子にくらべれば良識派に見えるC子は、二人とやや毛色が違い、彼女が歩み寄って合わせている感がある。そんなところ。
そうだ、忘れていた。もうひとりの派遣の子。彼女は、三人にお近づきになろうとする努力が見てとれるのだが、仲間に入れてもらえず、だいたいひとりでいる。やだね、女の人間関係って。まあどうでもいいけど。

いま、まだ午後三時……。わたしのデスクの周りだけ、時間の流れが滞っているような気がしてならない。こうしてわたしを見つめる水晶のようなお空が、時を止めてくれているのかしら。ほのかはいつまでも若くいてねっ、て。うふふ。
よし、時間もあることだし、魔法少女のことをもう少しはっきりさせようじゃないか。

なお、二十六歳と、魔法「少女」が両立しないという意見は却下する。たとえば、女の子と言った場合の言葉の幅。そういうのを、生物学的な年齢で考えようとする発想がそもそも間違ってると思うのよね。
…………。
いえ、違います。いえいえ、そんなんじゃないです。内面だなんて痛いことは言いません。ずばり外見。そんなの見た目ですよ。だから年齢なんて付帯的な情報はどうでもよくて、ぱっと見の一発勝負でいいと思うのね。みんながそう思ってくれれば、どんなに素晴らしいことか。
ホノカハ、ワカクテ、キレイデス。
あら、ありがとう。
おっと、おかまいなく。わたしは水晶的な空と対話しているのだから。今日、彼の青はとてもきれいだ。
ん? どこがどう魔法少女なのかって? 
仕方ない。無知な者たちのために説明すれば、魔法少女は「メタル」を聴くのだ。
…………。
いや、実際そうだから。
メタルな。メタル。ヘビメタって言い方はかんべん。そういうのは完全にしろうとだね。ヘヴィ・メタルでもまあ間違いではないが、ひとことメタルと呼んだほうがおしゃれな気がする。

それは――、サタンだの、死人のような白メイクだの、よくパロディにもされる鞭を使ったSMの人みたいな恰好だの……、その音楽性よりも、ショウとしての要素、おかしな偏見ばかりが前に出てしまった、悲しき音楽形態である。
だがその実態は、ひとつの思想、ひとつの小宇宙。いや、ビッグバンと言っていい。

天地創造の瞬間は、空に不吉な予兆の漂う、ある金曜日だった(らしい)。
はじめ、それらの元素は、ただぼんやり宙を漂うのみであった。
時代のうちにある不穏さ、退廃、やり場のない怒り……、そうした淀んだ負のエネルギーをたっぷりと帯電した粒子は、形を持たぬままうごめいていた。が――、
やがて意志をもって動きだす。渦を巻き上昇気流に乗り、雲を突き抜けたとき、それは、天啓の雷へと形態を変化させ、激しく地上を貫いた。屈強な、選ばれし四人の男たちを刺し貫く。強大な、しかし形なき声なきものは、こうして生命を得た。
……って、ついてきてる?

――暗黒元年は1970年。斜陽の鉄鋼都市、英国バーミンガムにて、のちにメタルの帝王と呼ばれるボーカルのオジー・オズボーン、彼と同じく街のはみ出し者であったギターのトニー・アイオミらからなる、いちロックバンドが、はじまりの曲「黒い安息日」とともに、文字どおりの突然変異を起こしたのだ。
以降、彼らはブラック・サバスと名乗った。このサバスの出現こそが、メタルという音楽形式の発芽だと言われている。

……本当についてきてる?
……いま、モテない理由がわかったとか思わなかった?
……わたしと暇を分かち合ってくれよう。

いったい彼らに何が起こったのか――? 
答えは人智を超えている。ただ言えるのは、当時最新のアンプ技術により増幅されたサバスの音は、既存の音楽の概念を根底から覆す、まさに重金属――ヘヴィ・メタル――としか呼びようのない音であった。
なぜ、サバス? たとえば彼らよりデビューの早い、伝説のハードロックバンド、レッド・ツェッペリンは違うのか。
そう問われれば、ノーと言わざるを得ない。彼らはタフで素晴らしい音楽を作りもしたが、その態度はあまりに享楽的、退廃的であった。
比べて、サバスの持っていた悪魔主義的なダークネスは、いわば伝道師の信念のたまものであり、混沌の時代に望まれ、現われるべくして現われた予言者の性質を帯びていた。
彼らの生み落とした音こそが、世界樹となりメタル世界を支え、そして、今日まで育んできた。

……えっとまあ、とにかく激しい音楽だと思ってください。

そういうわけでか、そういうわけでもなくか、わたしは今もこっそり、名盤と呼ばれるアルバムのレビューを、会社のインターネットでチェックしている。ウィンドウをなるべく小さくして――。
仕事中だからというよりは、たとえ上司から自由なインターネットの閲覧を許可されたとして、わたしが恥ずかしいからだ。
しょせん世のなかの偏見に勝てない小市民。繊細な乙女にとって、男性の筋骨隆々な肉体美を思わせるメタル世界への積極的な関与を知られることは(実際、アルバムのジャケットにもその手のものが多い)、男子中学生がわいせつな雑誌類購入の瞬間を目撃されたときくらいに恥ずかしいものなのだ。ねえ、水晶さん?

――成長し、しかも二十歳を過ぎてから、こんなにもわたしがやさぐれてしまうだなんてこと、いったいだれが想像し得ただろうか。
ほのか。その名にふさわしく、幼少の頃からわたしは、だれからも可愛いと言われ育ってきた。それは外面に限らない。
かつてのわたしは、ほんわりとした、夢見がちな少女であった。外で友達と遊ぶよりは、内面のメルヘンチックな世界を旅して楽しむ、内向的な子供であったのだ。

中学に上がり、高校に上がった。だが、本質的な部分は何も変わっていなかったと思う。けっして綺麗なだけではない、恋愛のあれこれを先延ばししたのも、そういう理由があったからかもしれない。
そんなわたしの胸を、小中高一貫してときめかしたもの――それは、テレビのなかの「魔法少女」だった。

その名のとおり、彼女たちは魔法を操る少女であり、特別な使命を帯びている。魔女や魔物、戦うべき悪が存在する。テレビの前のわたしは、可愛らしくも強く、傷つきながらもなお戦う、彼女たちの活躍に胸を躍らせた。
と、ここで注意しておきたいのは、一般の人が「魔法少女」と聞いてまずイメージするだろう、華麗なコスチュームや変身シーンは、作品の魅力のほんの一部に過ぎないということ。

魔法少女は、ひたすらファンタジックな正統派のものから、戦闘シーンをひときわ重視したものだったり、魔法、すなわち奇跡の代償としての苦悩を描いたダークファンタジーだったりと、バラエティに富んでいる。
幼いころからの熱心な視聴者であるわたしは、心身の成長に応じて作品の見方にも変化が生じ、制作者側の情熱や、作品の持つメッセージの奥深さに感動を覚えたりもした。

しかし心の奥底にあったものは、それでもやはり、幼いころに感じた、純粋なそれだったと思う。
あんなふうに可愛くなりたい、自分を特別な存在だと思いたい、ああ、わたしにも魔法が使えたら――と。

だが、いつまでも夢見る少女のままでいられるはずもなく、人生最初の厳しい現実として、大学受験の壁が立ちふさがった。さすがにその頃には、わたしの魔法少女熱もなりを潜めたと思っていた。
魔法なんてない。魔法少女も魔女もいない。いるのは人間、あるのは現実だ。もう大人にならなくてはならない。
しかし! 中心部に熱を隠した炭火のように、それはまだ、わたしのなかにくすぶっていたのだ。
春の陽気、新しい生活の香り、そして、まぶしいキャンパスの活気を触媒として、それはある日突然はじけた。ある人物との出会いが、そうさせた。
 
……おっと。不可思議な音が耳に触れ、われに帰る。
安っぽいクラシック音楽だ。わたしとはまるで無縁の音。それは、定時五分前――現在、五時二十五分であることを意味する。こいつがフロアに流れ出したとき、わたしはいそいそと帰宅の準備をはじめるのである。かすかな夕暮れの気配を反映して、色を濃くした知的水晶体にうやうやしく別れを告げる。それから、
「お先に失礼しまーす」最低限の人間味を残したぎりぎりの声。
女性社員ABCも、三十分も違わないんだけどね。

その日の晩、古い友人から電話がかかってきた。その言葉のニュアンスに、懐かしいといった意味はまったくない。三日前にかかってきたばかりなのに、と、ややうっとおしく思う。何コールかおいてから出る。「……はい」
「わあ、メイデン! おひさ」
おひさじゃねえよ。
その友人はレイという。まずなにより、彼女に対して、「その呼び方やめてよ!」とがつんと言ってやりたくなるが、彼女はけっして聞かないことがわかっている。それどころか、あんまり言うと泣く。わたしと多くのものを共有して過ごした学園生活のことを、彼女はとても大切な思い出にしているのだ。――わたしと違って。

メイデン。訳せば処女という、今となっては嫌がらせでしかないものがわたしのニックネームなら、レイは彼女のニックネーム。
彼女は大学入学当初からの友人であり、同じサークルで切磋琢磨し、競い合った仲である。そしてこれらニックネームは、そのサークル内でのみ通じる。

最初彼女を見たとき、まず、その大きな、平らな顔が目についた。同じくらい大きなものは鼻くらいで、他のパーツは、妙に小さくアンバランス。そのくせ、つぶらな瞳がやたらときらきらしており、それはなんだか、盲目的な印象を与えた。
お世辞にも可愛いとは言えない、いわゆる、仲間の引き立て役になるような子であったのだが、彼女はまったく気づいていないというか、強気というか、ぐいぐいとマイペースだった。
ああ、痛いな……、と思うと同時に、いつだったか、こういった子が案外、普通の幸せをつかむのかも、と、直感的に感じたことを覚えている。そしてその直感のとおり、彼女は幸せをつかみ、現在、着実に家庭を築いている。

「このまえ送った動物園の写真、見てくれたかな?」
「え……」ややあって、あたまに像が結ばれる。
メールに添付されてきたやつだ。瞬間的に開いただけなので、なんの動物かは分からないが、檻のまえで、レイと旦那が頭にかぶりものをしていて、そのあいだには、彼らに片方ずつ手をつながれて、小さな子供がいた。
……どうか彼女には、みんながみんな、貴女の子供に同じだけ興味を持っているわけではないと理解してほしい。
「返信がないから、どうしたのかなあって」
「ああ……、ごめん」そんなんでいちいち電話してくんなよ。「仕事が忙しくてね」
「いいなあ。キャリアウーマンって感じ! わたし、卒業と同時に結婚しちゃったじゃない? だからあこがれるんだよね。わたしも一度は働いてみたいけど、小さい子供がいるとねえ。それに、お腹の子ももうすぐ――」
待て待て、わたしのどこがキャリアウーマンだ。ただの派遣社員だって。世間知らずのお嬢様が。
「子供は、三人欲しいねって、しんちゃんと話してるんだ。だから若いうちに――」

こんなふうに彼女は、聞き手にかまわず話しつづける。
彼氏もいない独身女をつかまえて、なにを言ってるんだか。悪意はないのだろうが、いつものことながら、かちんとくる。たまにわざと言ってるんじゃないかと思うくらいだ。
そして極めつけは――、
「もうメイデンったら、わたしの欲しいもの、ぜんぶ持っていっちゃうんだから!」
ああ、殺意が。
「それで、魔法はどうなっ…」
「ごめん、バッテリーもう切れる」
そう言って、ぶつっと切った。
暇だからっていちいち電話してこないでよ。

ぐったりしてしまう。とぼとぼと部屋の隅、パソコンの置いてある小さなデスクのほうへ向かった。まあ、わたしも暇だけどさ……。
暇は暇でも、あっちの暇は完全にブルジョアの暇だ。
レイは現在、郊外に建てた一軒家に旦那と子供と暮らしている。旦那はそこから大手電機メーカーの研究所に通っているのだとか。なんせ東大出。あとは、週に何度か家政婦もくるらしい。

そういった、経済上、社会上の格差のこともあるが、彼女の電話が本当に嫌なのは、わたしに思い出したくもないことを突きつけるから。魔法、魔法って。それに、「バッテリー」とか。あ、これ言ったの、わたしか。

机の椅子には座らず、上から覗き込むかたちで、パソコンの画面のコントロールパネルを操作する。手持ちの膨大な量の音源は、パソコンでなければ管理できない。
再生ボタンを押す。わたしの出っぱった気持ちを叩いて引っ込めるように、超人ドラマーが力の限りスネアドラムを連打する。いや、彼は粉砕しようとしている。

激しいメタルの音をシャワーのように浴び、ふう、とベッドに横たわった。なに、わたしのこの状況……。呪いなの? 前世の呪いなの?
考えないでおこうとは思うのだが、どだいそれは無理な話で、わたしは壮絶に暗い気持ちに落ちていく。そしていつもの手順に沿って、最初にまずこう思うのだった。「かぼちゃ女にだまされた」

あのとき、違う道を選んでいたら……。ああ、あの瞬間に戻りたい。
白く光る天井を見つめ、この後に襲ってくるだろう、忌まわしい記憶のことを思った。

――天井にいるもうひとりのわたしが、わたしを見つめる。
彼女のすがた恰好は、あの日々となにも変わらない。以前は一日着ていたものを、今は部屋にいるときだけ、パジャマの代わりに着用している。それは魔力を保持するための儀式のようなもの。
とはいっても別に、呪いの言葉が書かれているわけでも、五芒星が浮き上がっているわけでもない。ただのバンドTシャツである。
まあ、五芒星のほうがずっとお洒落だけどな! 彼女の姿に冷静に突っ込むわたし。

彼女のバストに押し上げられたそのバンドとは! 
ブラックサバスの登場から十年後、八十年代初頭にメタルシーンはひとつの大きな山場を迎えることになる。その代表格とされるバンド。
怒濤のツインリードギターをはじめ、複雑な曲構成とリフ、キャッチーなメロディラインを引っさげて、人々を新たな世界へと導くべく、尾を引き夜空を駆ける彗星のごとき存在感でメタル界を牽引した!

そして、彼女のTシャツ前面に大きくプリントされた絵柄は、一度見たなら、忘れることは不可能だろう。夢に出る。それは、至極写実的な筆致で描かれた凶悪な面がまえのゾンビ、にしか見えない。ずっとそう思っていた。
その彼、もしくは彼女は、肌はミイラのようにしおれ、長いぼさぼさの白髪を逆立てて、まぶたのない大きく見開かれた目は、赤くぎらぎらと、攻撃的に光っている。
こちらを睨みつける表情は殺意に満ちており、友好的にはとても見えない。キル! キル! と叫んでいる。たぶん。(調べればそいつは、エディという名の悪鬼であるらしいが、ゾンビでも悪鬼でもたいした変わりはない気がする)

その強烈なキャラクターとともに描かれたバンドのロゴは、アルファベットでこうある。
――アイアン・メイデン。

【次回予告】巴マミっぽい人、登場!

【おまけの曲】


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