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魔法少女はメタルを聴く 第9話「愛なんて幻想なんだから」

わたしたち、魔法少女の魔法とは――。
自分の柱――魔法少女研究会との契約の前に、直感で選び取ったメタルバンド――の楽曲のひとつ、そのタイトルが魔法となる。
頭のなかでその曲を再生させながら、ボーカルが「タイトルと同じフレーズ」を歌ったところで、術者も実際に口にだして唱える。(つまり、タイトルが歌詞に現われない楽曲は、魔法として選択できないことになる)
また、魔法は、解釈の余地が多分にあり、どういう効果が得られるかは術者次第というところがある。

ディーパさんを例にとろう。彼女の柱は、ディープ・パープル。魔法はパープルの代表曲「スピードキング」だ。
彼女は競泳の最中に魔法を使う。水中で手足を必死に動かすと同時に、頭のなかでは活きのいいメタルナンバー「スピードキング」が流れているというわけだ。厳しい修行の成果として、わたしたち魔法少女は、耳のなかにスピーカーが備わっているかのように楽曲を再生することができる。そして、「スピーーード、キング!」と、ボーカルのイアン・ギランが叫んだタイミングで、ディーパさんも「スピードキング」と唱えている。実際には、水中のなかでごぼごぼいわせている。
すると魔法の効果により、ディーパさんのスピードは、ごくごくわずかながらアップするというわけだ。

だが、魔法の効果は、そう簡単な話でもない。たとえば、パープルの他の代表曲「スモーク・オン・ザ・ウォーター(直訳、湖上の煙)」をとってみても分かるように(想像してみてほしい。「湖上の煙!」と呪文を唱えたとき、いったい何が起こるのか)、曲のタイトルというものは、直感的に意味がつかめない、あるいは、それだけ言われても、だからなに? となることが多い。いや、ほとんどがそうだ。
幸い、魔法の効果を解釈する際に、客観性はそれほど重要でなく、本人が、こういう意味なのだと強く思えればいい。だけど心から! 偽りの心は、楽曲とのシンクロ率を著しく妨げる。

……こうして考えると、魔法選びはむずかしい。希望する効果の得られそうなタイトルが、柱の楽曲にまったく見当たらないというケースもあるだろう。
話をディーパさんに戻せば、もともと彼女には競泳の素質があり、加えて、柱の楽曲に「スピードキング」という、あきらかにスピードを向上させてくれそうなタイトルの曲があった。つまり彼女のケースは、偶然が味方をした稀なる好例なのである。

わたしはこの魔法について、これまで何度か考えてみた。
ディーパさんは、いかにもアスリートらしい発想というか、それが暗示によるパワーであるようなことを仄めかしていた。
その線も考えたが、やはり違う。リカさんの魔法「バッテリー」を説明することができない。あれは自己暗示でどうなるものではなく、奇跡の存在をわかりやすく示している。
魔法はほんとうにあるのだ。

研究者ロウィンは、かつて自分を捨てた男が愛した音楽、ヘヴィメタルを偏執狂的に研究しているうちに、この魔法の原理を発見した。そしてわたしたち魔法少女とは、彼女の研究のサンプルに過ぎない。「魔法少女」研究会だけに。
――なんて妄想したことを、ひさびさに思い出した。
あながち見当外れとも思えないところがまたなんとも……。

○  ○  ○

昨日の場面が妙にひっかかっている。
グッバイ・トゥ・ロマンス――通りがかりの謎の女の子が残した台詞。それは考えるまでもなく、あの曲名だろう。すなわち、メタル界の帝王オジー・オズボーンの1stソロに収録された、切なくも温かみのあるバラードナンバー。
バラード……、しかもパワーバラードでさえない。もし彼女が魔法少女だとすれば、その選曲は意外だと言わざるを得ない。

彼女はほんとうに魔法少女なのだろうか。
あの出来事は偶然で、たまたまあの場所でそうつぶやいたとか。
……いやいや、たまたまで、グッバイ・トゥ・ロマンスとか言うか? 訳せば「さよならロマンス」だぞ。
彼女が魔法少女だとすれば、その「柱」はオジー・オズボーンということになる。オジーといえば、当然、彼がソロになる前にいた、あの、ブラック・サバスを連想させる。そう、一時期うわさになった最強の魔法少女、彼女の柱である。
しかし、オジーとサバス、これらふたつのバンドは、ボーカルはオジーその人でも、音楽的にはまったく異なる。サバスから離れたオジーのソロは、洗練され、すっかりアメリカナイズされてしまっているのだから。

疑問はまだある。「グッバイ・トゥ・ロマンス」とは、どういう効力を持った魔法なのか? 術者がそのフレーズをどう解釈しているかによって、そうとう幅がありそうだ。
彼女は何者? なぜわたしの前で魔法を使ったのか? 考えれば考えるほどに、霧が深まってゆくのを感じた。

――しかし、
霧の、ずっと奥にあると思っていた本体の輪郭は、あまりにもくっきりとしていた。
駅からオフィスへと向かう途中、それから帰り際、警戒するわたしの視界に、なにやらちらちら入るのだ。そちらを見れば、さっと顔を背ける。
――なんだか見たことがある気がする。
そして、もしも彼女が問題の魔法少女なのだとしたら、ぜんぜん怖くない。
また、別の謎も解ける。
こいつが女子社員ABの言っていたストーカーだったのか……。そりゃ、こんだけちょろちょろしてたら、うわさにもなるわ。
これまで気にならなかったことのほうが不思議なくらいで、わたしはどれだけ注意力がないのだろうと嘆かわしくなった。

ある帰り際、わたしはビルのエントランスを出て、駅へ向かう連絡通路をゆっくりと歩き、近くに障害物のない場所を見計らって、突然振り向いた。すると女の子は、だるまさん転んだのようにぴたりと止まり、そのあと、さっとあっちを見た。いや、もう遅いから。
「わたしになにか用?」

歳は、中学生か、せいぜい高校生のように見えた。このへんのビルには商業施設も多く入っているため、とくべつ珍しいことではない。黒の地に白のラインがいくつか入った、ロリータふうのファッション。ふわりと広がる短いスカートに見覚えがある。さらには、長い黒髪と、百五十センチ前後の背丈。ハルキのそばを通りかかった子に間違いない。こんなに幼い子だったのか。

彼女は、こちらを見て、腰に両腕をあてた。
「ふん! あんた、ずいぶん浮かれてるじゃない」
声も幼い。丸みを帯びた可愛らしい顔が、生意気そうな表情で言った。こいつ、開き直りやがった。
「見つけたの、わたしのほうなんだけど……」なるべく冷淡な声をだす。地の声ともいう。「なに話しかけてやりました、みたいな感じにしてるの」
「そ、そんなことないよ」女の子は動揺する。
やっぱりこいつ、ぜんぜん怖くない。
わたしは歩み寄り、彼女のぷにぷにしたほっぺを引っ張った。「お姉さんのことをつけて、どうしようっていうのかな」
「いてて、はにゃせ」
獲れたての魚のように活きがいい。手をじたばたさせる彼女は、そんな仕草も可愛かった。「あんた、わはしが誰だかわはってるのか」
手を離し、わたしは、周りに聞こえないくらいの声量で、「魔法少女でしょ」とささやいた。すると、
「わかってんじゃんか」
声が大きい! 抑えつけていたぜんまいのおもちゃのように、彼女は勢いを取り戻した。また腰に両手を当てる。そして、でっかい声で言う。「メイデン! あんたと同じ魔法少女だ」
おい、こら!
恥ずかしくて、彼女の腕をつかむ。
夕刻になり通行人の増えた連絡通路を、端に向かって移動した。大きな柱の影に連れてゆく。

「なにすんだ!」
わたしは声をひそめる。「常識ってもんがあるでしょ」
「ん」と彼女は素の顔になった。大きな目。お人形のような顔は、しゃべらなければびっくりするほどの可愛さだ。
「ええっと、あなたは、学校の後輩なのかしら? OB訪問?」
大学生にはとても見えないが、魔法少女というからには、そうでも考えないと辻褄が合わない。「申し訳ないんだけど、わたしは魔法少女じゃ――」
「学生じゃねえよ」女の子は眉根をよせる。
「へ」
「二十五歳!」
その直後、「いてて」と言う。わたしはまたほっぺを引っ張り上げていた。こんな二十五歳がいるか! 中学生でも通じそうなのに。
「いてて、本当だって、社会人だって」
そんなことがあり得るのか? 半信半疑ながら、とりあえず手を離すと、またでっかい声。「わたしはオズ! 最強の魔法少女と呼ばれた女よ」
「しー、しーっ」
頭痛がしてくる。本当に恥ずかしい。
ともかく、こいつをまず何とかしなくちゃ。
「とりあえず、喫茶店にでも行きましょうか」この界隈は飲食店ならいくらでもある。「パフェおごってあげるから」
「居酒屋がいい!」
「は?」
「仕事がえりはビールだろ」
……この子供を、いったいどうしたものか。

○  ○  ○

おごってあげるだなんて言わなきゃよかった。彼女をなめていたわたしは、報いとして、終電近くまでつき合わされることになる。最初は、周囲の視線が気になった。どう見てもあきらかな子供が、生ビールのずっしりしたジョッキを持ち上げて、それを美味しそうに飲んでいるのだから。

話は一杯目にまで遡る。
店員がやって来て、ビールをわたしの前に置き、オレンジジュースを彼女の前に置いたところ、わたしたちは何も言わず、それを交換して飲みはじめた。店員の彼は、離れぎわにテーブルを二度見して、その後も離れた場所からドキドキした様子でこちらの様子をうかがっていた。居心地が悪い。さっさと訊いて、確認してくれればいいのに。

ぐいっと、その一杯を飲み干すと、彼女は派遣会社の登録カードを見せて、こう言った。「にこにこ派遣よ」
「……へえ」
何を言うにも、なぜか自慢げな彼女は、口元に泡をつけている。そして、なにをやっても可愛らしいのだが、本人はそういうイメージではいないんだろうな、となんとなく分かる。
「あんたがこのへんで派遣社員をしてるってうわさを聞いて、うちの営業マンから情報を訊きだしんだ」
いやいや。「会社が違うじゃない」
「け、甘いな」彼女がびしっと言う。「派遣会社の情報漏洩なめんなよ」
すごいこと言うな、こいつ……。
「それで、あのビルの職場を派遣先として希望したってわけ」
「だからなんで」
「なんで? あんた、有名だよ。東で最強の魔法少女なんだろ。だからどんなやつかと思ったんだ」

ああ、そうか――。
どうやら彼女は、リカさんの話していた、関西支部の魔法少女で間違いなさそうだ。
彼女のコードネームは「オズ」(オジー・オズボーンからとっているということは、こちらにサバスとオジーが混同して伝わったのだろうか)。いつかリカさんが「ビッグニュース!」と告げた、西に現われた最強の魔法少女(候補)である。同じように彼女も、わたしのことをなんらかのルートで聞かされていたのだ。だから一時期のわたしのように、こいつもわたしのことを意識していた。……しかもずっと忘れずに。

「それがなんだよ。男の前ででれでれしてさ。馬鹿みたい」
みるみるうちに顔が赤くなる。
「ビールくださーい」彼女が舌ったらずな声で店員に言うと、彼はびくっと身体を動かし、わたしが、「ふたつ」と言うと、「あ、はい」と言って、厨房のほうへ引っ込んでいった。だから、気になるなら訊けばいいのに……。

はじめ、こいつの酒につき合うつもりはなかったのだが、ハルキのことを指摘され、気が動転したわたしは、アルコールの力を借りて対抗することに決めた。
さらには、早めに話題を転じる。
「あなた、関西の大学にいたのよね」
「オズでいいぜ」
無視して続ける。「なんで関西弁じゃないの?」
「うっ」と表情が動いた。こいつわかりやすい。
「ふん、あえて標準語を使ってきたんだ。魔法少女的に考えたら、関西弁キャラが主役になるなんてこと、まずあり得ないだろ」
それはまあ、分からなくもないかな。
馬鹿らしいと感じるよりも、覚悟の強さとして伝わってきた。そしていっぽうでは、「ああ、こいつも真剣にやっちゃったクチか」と同族意識を持った。
「浮かなかった?」
「浮かないわけがないだろ」
ジョッキをどんと置く。目が座っている。
「関西の真ん中で関西弁を使わないなんて、自殺行為だぞ。お高くとまってるなんて言われて友達ができねえんだ。寄ってくんのはアニメおたくか、変な男ばっか」
「かわいそう……」感情移入して、目が潤んでくる。
「同情すんなー!」
そんなの、同情もするって……。
「だって、わたしも似たようなものだもの」と、喉もとまで出かかった。
「あ、ビールくださーい」
彼女は無邪気ににこっとし、店員はまたびくっとする。

――で、その流れから、なんだか話が愚痴っぽくなり、いつの間にか二時間が経過していた。
うわさをすれば影。震災は忘れたころにやってくる。何年も忘れていたというのに、ここにきて姿を現わした、最後の魔法少女オズ。
わたしのひとつ下の学年で、歳はそんなに変わらない。
その彼女は現在、管を巻いている。非常にたちの悪いタイプに思えてきた。早めに核心をつくのがいいだろう。今なら、酔った勢いで、べらべら喋ってくれるかもしれない。
「ところで、あなたの魔法、あれはどういうこと」
「魔法?」
「とぼけないで。あなたの柱はオジー・オズボーン、そして魔法はグッバイ・トゥ・ロマンス。違う?」
「おいおい、あたしのこと聞いてねえのか。柱はブラック・サバスだって」
でも……、と言いかけてやめた。「グッバイ・トゥ・ロマンス」は、オジーのソロ曲であり、サバスの曲ではない。けど、そこを言い出すと、きっと話が進まない。
「……そうだったわね。けど、魔法は合ってるでしょ。それって、いったいどういう効果があるわけ」
「ふん、あたしはみんなに気づかせてやってるんだ」
顔が赤い。そのしゃべり方から、だいぶ酔いが回っているのだと分かる。「どいつもこいつもチャラチャラしやがってさ。愛だの恋だのって、馬鹿みたい」
「愛……」なんとなしにわたしは繰り返した。すると、
「愛なんて幻想なんだから!」
噛みつくように彼女は言った。

暗い――。
本当はうらやましいのに、強がって反抗している。そんな感じ。言葉に出さずにわたしは続ける。「で、それが魔法とどうつながるの」
「ああ」と彼女は言う。「浮かれたやつらの熱を冷ましてやってんだよ。百年の恋も醒める、だっけか。よくあるだろ? ふとした拍子に、相手に醒めるような感じ。だから魔法の意味はこうだ。『わたしの安っぽいロマンス、さようなら』ってな、けけ」
「あんた!」わたしは腰を浮かせかけた。「魔法をそんなものにしたの!」自分のためでもなく、他人のためでもなく、ただ、他人を邪魔するためだけのもの――。
「そうだよ、わたしはカップルの横でささやいてやるんだ。あんたらの『安っぽいロマンス、さようなら』ってな、けっけ」
く、暗い……。こいつはとんでもない根暗だ。先天的なものなのか、魔法少女になるプロセスを経て歪んでしまったのか。

彼女は、いちゃつくカップルでも思い描いているのか、宙を見て、「け、反吐がでる」
言わずにはいられない。「あんた、たんに嫉妬してるだけじゃないの」
「嫉妬? 違うって。幻想だって気づかせてやってんだよ。なにが悪い」
……あきれた。
オズに出会ってよくわかった。
これまで、断言できなかったが、ストイックに過ぎるディーパさんを除けば、リカさん、わたし、このオズ……、みんな性格がねじまがっている(自分をそう言うのもなんだけど)。それに例外のディーパさんは、魔法少女としては弱い部類だと、自ら語っていた。

向かいにいるオズを見ていると、鏡に映った自分の姿を見ているようだ。けど――、
「さすがに、貴女みたいにはなりたくない」
するとオズは、わたしを指さして笑う。「けけ、なにが違うってのよ。あんただって呪ってるんでしょ」
うっ――。
「あたしはシロクロつけたいだけ。どっちが最強の魔法少女かをね」
「興味ない。それに、わたしは魔法少女じゃないのよ」
「それって、どういうことだ?」オズがしらふの顔になる。
「まだ魔法を決めてない」
「はあ。だったら決めればいいじゃん」
これ以上の議論は時間のむだ。わたしは取り合わない。
「あなたの目的はわかった。とにかくもう、わたしにかまわないでちょうだい」
問題の場面を思い描いた。
ただでさえハルキは、自分に自信がないようなところがある。彼のうしろをオズが通りすぎたあと、わたちたちの会話が尻すぼみになったのは偶然だろうか。たしかに魔法の効果は微々たるものである。数値にして、せいぜい0.01パーセントを左右するくらいのもの。だけど、揺れ動く心理に関して、特に、恋愛感情に関していえば、0.01パーセントの数値は馬鹿にできないのでは。

「とにかく、わたしの前であんな魔法は使わないで」
「あんた、勘違いしてないか? あたしたちは敵同士なんだぞ。なんでおまえの言うことを聞く必要がある」
なにを? 目の前の敵をきっと睨んだ。
「あいつのこと好きなのか」そう言って、口元をにたりとさせる彼女は、完全にセクハラのおっさんだった。
わたしは答えず、伝票を手に取る。席を立った。
「ちょっと待てよ」
「なに」振り返る。
「あのお、もう一杯、いいですかあ」にこりと彼女は、恐ろしくかわいい顔をした。
……いろんな意味で恐ろしいやつだ。

翌日から、朝の通勤途中、それから、帰りに改札をくぐってホームに降りる直前まで、常にオズがそばにいる。もう隠れている必要がないということらしい。
ずっと、これに近いことをしていたのか……。火のないところに煙は立たないというのは本当だな。女子社員Aと女子社員Bのうわさ話のことを思った。
また、彼女は、「勝負しろ」とうるさい。
「興味ない」
適当にあしらってすたすた歩く。
日が経つにつれ、「勝負しろ」に次第に、「なあ、飲みにいこうぜ」が混じってきた。
「そんな金ない」わたしは相手にしない。あの日いったいいくら支払ったことか。
飲み代をたかられているのかと思ったが、
「割り勘でいいからさあ」
……そういうわけでもないらしい。

ともかくだ。会社の周辺が毎日こんな調子だし、自宅にいたらいたで、非通知の電話がかかってくるのだからたまらない。電話の回数は増えるばかり、フラストレーションは溜まるばかりだった。

ある日のこと、また非通知の電話が鳴り、これまでは相手にしたことがなかったのだが、わたしはついに、衝動的に電話に出た。そしてまくしたてた。「あんたでしょ? 嫌がらせばっかしてんじゃないわよ!」
通話がぷつりと切れる。
ふう、と息をつく。そろそろあの子供をなんとかしないと。そう思いながら、わたしはごろりとベッドに横になった。

○  ○  ○

思えばひさびさである。会社の近くの、おしゃれなCDショップを訪れている。今日はたとえ女子社員A、女子社員Bに目撃されたとして、何の問題もない。だってわたしの探しているものは――、

ハルキと連絡先の交換をしたあと、わたしは次の休みの日の晩に、彼にメッセージを送っていた。ジャズの初心者は、まずどういうアルバムから聴いたらいいですか、と。
わざわざ休日を待って送ったのは、言うまでもなく、連絡をする口実にしたかったからだ。最後のボタンを押すとき、指先が震えた。

一時間ほどして返信があった。
緊張が解き放たれる。不安が昂揚感に変わった。
わたしは、「ありがとうございました。参考にさせていただきますね(笑顔マーク)」と、くどい感じにならないようにお礼を返した。本当はもっともっとたくさん書きたかった。話したいことがたくさんあった。

そのハルキの返信にあったアルバム――ビル・エヴァンスの『デビー・フォー・ワルツ』を手にとって、レジに向かおうとしたところだった。
行く手を阻むように、オズが小さな身体で仁王立ちしている。それはある程度予想していたことだったが……、
「おい、あんた、魔法少女をやめるつもりか!」
怖い顔で彼女が言う。
わたしは怖気づいた。「部屋に飾っとくだけだって」
オズは黙ったまま、その姿勢を崩さない。彼女の顔は真剣だった。
わたしはCDをかざして、「ほら、ジャケットがおしゃれでしょ」と慌ててつけ加えたが、彼女の顔を見て、やがて観念する。「……今日はちゃんと話をしましょうか。先に外に出てて」
彼女はようやくうなずいた。
レジに並びながらわたしは、ぼんやりと何もないところを見た。どうわかってもらおうか。今日の彼女の表情……。あれはあれで真剣なのだから。

話し合いの場として、以前と同じ居酒屋を選んだ。安いし、店の位置からして、うちの社員はまず利用しない。
おたがいビールを一杯ずつ飲んだところで、「あのさ、そろそろつけまわすのやめてくれない」わたしはそう切り出した。「前にも言ったけど、わたしはあなたと勝負する気はないのよ」
この台詞に対する彼女の反応は、意外にも冷静なものだった。
「……よくわかんねえんだよな」
「わからないって」
「あんたが魔法少女になりたいのか、なりたくないのか。ならないって言うんなら、あたしにだって、どうにもできねえよ。勝負にならないんだからな」
「それは……」
思わぬところでわたしは、自分の問題と直面することになる。彼女の言いぶんはもっともに思われた。

その後、たどたどしくもこの複雑な心境を説明し終えるまでに、わたしはビールを二杯、彼女は四杯を必要とした。オズは途中で年齢確認された。ふがいないあの店員がついに勇気を振り絞ったのだ、と、そんなドラマもあった。
「あんたもそうとう歪んでるな」
まさかオズに言われてしまうとは。
「つまりそれって、悔しいからいっそなってやらない、ってことだろ」
「それは……、どうかな」言いながらも、鋭いひとことに凝縮されて返ってきたのを感じる。
「さっさと決めちゃえって。過去を帳消しにできるわけじゃないんだからさ」
「嫌!」鋭く言う。次に小さな声でつなげる。「……わたしの青春が、無駄になる気がする」
「もうなってるじゃん!」
同情からか、オズの声が少し優しいものになる。「せっかくなんだから、何かに役立てろよ。子供のお駄賃だとしても、もらわないよりマシだろ」
わたしは黙ったままでいる。意地を張るわたしは子供のようで、今回、たがいの立ち位置が入れ替わってしまったかのようだ。
「いっしょに考えてやるからさ。メイデンの曲、メイデンの曲……」腕を組んでうなったあと彼女は、「ほら、〈ラン・トゥ・ザ・ヒル〉とかは? 坂道上がるのとか楽そうじゃん」
「いや、いい……」
「実用的なほうだと思ったんだけどなあ」
わたしはここで反撃に出る。「というかさ、わたしが魔法を決めたとして、そもそもどうやって勝負するのよ」
彼女はしばしぽかんとしたあと、「双方の話し合い?」と答える。
「じゃあ、あんたの勝ちでいいよ」
「ふざけんな。こっちは大学入学から七年間、あんたを倒すことだけを目標に生きてきたようなものなんだぞ」
「そんなこと言われたって……」
「あんたが魔法少女にならないなら、ハルキって男に、毎日、魔法をかけてやるから」
「それだけはやめて」椅子を鳴らして立ち上がった。「ぶん殴るよ!」
その剣幕にオズが怯む。「そ、そんな怒るなよ……」
お店の視線が集まっているのに気づき、わたしは目を伏せて着席した。
「まあ落ち着けよ」オズは狼狽した表情を見せ、そのあと不思議そうに首をひねる。「そんなに怒ることなのか? いったいあの男のなにがいいんだ」
「なにがって……」わたしは答えられない。
以前のわたしであれば、やはりオズのような冷めた見方をしたのだろうが、いまは違う。言葉で説明できるものでないと知っている。
「ハルキってやつより、もうひとりの渋い人のほうが全然いいじゃん」
「もうひとり?」
「あそこのベンチで話してたことがあるだろ」
お昼もわたしを監視していたらしい。それはもはや驚かないが、もうひとりって……。
強いて挙げれば、たまたま通りかかったお偉いさんくらいだが。って、「白髪交じりの?」
「うん」 
こいつ、こんな顔しておっさん好きかよ。

その後は議論を蒸し返したところで、「おまえは早く魔法を決めろ」「嫌だ」のやりとりに行き着くだけなので、わたしたちの話題は自然と脇道に逸れていった。わたしたちの共通点――すなわちメタルの話題となる。
お酒のせいか、普通に盛り上がってしまった。
「――みんな、メタリカ、メタリカって言うけどさ、あいつらは、オジーとのツアーで引き上げられたんだぜ。すべてのヘッドバンガーから尊敬を集めるオジーは、若いミュージシャンの才能を見抜くのがうまかったんだ。あのモトリー・クルーだって、前座に抜擢されたから知名度を上げた。自分のバンドに引き抜いた面子だって、ほら」
彼女は可愛らしい仕草で指を折る。「クワイエット・ライオットからランディ・ローズだろ、それから――」

しかしまあマニアックなことよ。こんな話ができるのは、レイとリカさんといた、あの日々以来。懐かしくなって、わたしもネタを投げ込んだ。「けど、オジーってさ、ぷぷ、こうもり食うって……」
「あれは、ちげーよ! ステージに投げ込まれたものが、まさか本物だとは思わなかったんだよ」
「けど、オジーってさ」オズをからかうと面白い。「けっして歌はうまくないよね」
「うまくないとか言うな! あの声はクセになるんだから」
うん、普通に友達の会話だな。このまえ敵同士とか言ってなかったっけ? まあいいけど。
「じゃあさ、『オズボーンズ』とかどうなの」これもオズになら通じるはず。というか、普通にDVDセットを持っていそう。2000年代前半に、オズボーンズ(オズボーン一家)の日常を追ったドキュメンタリー番組が、全米で大ヒットしたのだ。
オジーといえば、メタル界のマッドマン。従来のイメージとのギャップがすごい。「家族に振りまわされる、そのへんのお父さんって感じ」
「可愛いじゃねえか!」
そうか、こいつおっさん好きだっけ。サバスというより、たんにオジーが好きなだけなんじゃ……。
こんな感じで時間は過ぎ、また終電の時間が迫ってきた。そこでわたしは思い出す。そうだ、これだけは言っておかないと。「オズ、あんたさ――」

彼女はきょとんとした顔でわたしを見る。予想外のリアクションだった。
「電話? してないよ。用があったら普通に声かけるって」
「あれ、あ、そう?」じゃあ、誰――。
しばし沈黙があって、「やっぱり本当なのかな……」と、彼女は急にまじめな顔つきになった。
「な、なに?」
「ほら、あいつだよ。魔女みたいなやつ。魔女があんたを、いや、『最強の魔法少女』を探してるってうわさ。それを聞いて焦ったってのもあるんだよ。最強はまだ決まってないだろう、って」
ロウィン! 恐怖の魔女! 目が覚める、脳が醒める。
背筋に冷たいものが走った。
リカさんに真実を告げられたあの日以来、わたしは心を塞ぎ、すべては途切れたものと思っていた。

悪夢はまだ、終わっていない?

===
【おまけ】
オジーオズボーン「Goodbye to Romance」

アイアンメイデン「Run to the Hills」

ビル・エヴァンス「デビー・フォー・ワルツ」



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