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人は光か?闇か?

その人がどんな人間なのか?
どんなフィルターで世界を見ているのか?

だいたいその人の文章を見ると、輪郭がわかる。他人に対する許容度の広さ・狭さ、心の健康状態、自意識のレベルなど、大きな枠ではあるけれど。

なお、別の記事でも書くけれど、見るべきはその人が主張する自己評価ではない。文章の背後から見えてくるもの。あるいは、自己評価と見えてくるもののギャップ。こう言うと何か特殊なスキルのことを話しているようだけど、文章にその人の心が投影されるのは当たり前のことだと思う。その人が書いているのだから。

わたしも文章に人間性がバリバリでてると思う。わたしが自分のことをどう主張しようが、多くの方が感じ取ったものが本当のわたしだ。なお、ロックスターになりたいとはまったく思っていない。その辺がどう伝わっているのか不安だ。もしロックスターになりたい感が出ているのだとしたら、心の底では少しだけなりたいのかもしれない。

小説は、心を読むという面では、ちょっと難しいことがある。純文学ならまだしも、エンタメ小説で作者がどんな人なのか、ほとんどわからない(ナルシストレベルならけっこうわかる)。

感性で書きまくる一部の人を除くと、プロの作品は客観化と相対化のフィルターがかかりまくっている。いかに客観的にとらえるかは、作家に欠かせないスキルだ。わたしも自作をなるべく客観的に見ようと努めている。

正直、かなり客観的に見えていると思う!
からくりがある。
原案が何年も前のものだからだ。まるで他人が書いた話のようだ。ふーんと思ったり、ここがわかりにくいなと思いながら読んでいる。

意外なことにヒロインがいい。自分ごと化しにくいから、もともと主観が入りにくい部分なのに不思議だ。たとえるなら、強い光を感じる。線は細い。画面全体を覆う光ではないので、はかなさがある。それゆえに強くてまぶしい。

まふゆさん(from「TRUE LOVE」)

わたしの世界観は「光」なのかもしれない。わたしの世界観はキングダムの秦王と同じなのだ。「人は光だ」

ここで思考を止めてはいけない。長い間、闇を感じてきたから、光がわかる。その人が住んでいる(いた)世界と、今の世界観は逆の関係なのではないかと思う。

たとえば、わたしの少し上の世代は、(たしか)ヤンキー世代と呼ばれていた。いっけんすると闇だが、日本の景気は絶好調。光だったはずだ。外は一面の光だから、心は闇を感じる。

理屈はシンプルだが、現象としては不思議だ。「人は光だ」と言う人ほど、闇の世界で苦労をしている(きた)。「人間なんてろくなもんじゃない」と言う人ほど、光の中、けっこうイージーモードで生きている(きた)。ただし、それはずっと続くものではなく、おそらく30年周期で入れ替わる(30+30=還暦)。

人間は光と闇で構成されるようにできているのだ。

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【おまけ】
「君はぼくの光(from the pillows "One Life")」

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