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魔法少女はメタルを聴く 第10話「あんたなら楽勝だろ?」【最終話まであと2話】

「オズ、あんたロウィンに会ったことは」
駅へと急ぎながら話す。終電まで時間がない。

いっぽうの街の景色は、そんな時間になど無頓着で、まるで夜を許さないといったふうに煌々としている。
「キャンパスで一度だけ」オズが答える。「一回生の最初のころだったな。リカって女もいた」
リカさん……。
「そいつは秘書みたいな感じだったぞ」

ロウィンがいて、リカさんがいて――その場の様子をイメージしてみる。ぴんくばぶるずごーえいぷ。魔女が姿を現わした日の講義室が思い浮ぶ。
「話した?」
「リカってやつと少し。そのときにおまえのことを聞かされたんだ。けど、たいしたことは話していない。なんせ、そのころのわたしは、魔法少女がどういうものかまったく分かってなかったんだからな。ボスのほうはおっかなくて無理」
状況はわたしのときとだいたい同じか……。

「どういうやつなんだ? あいつがトップなんだろ」
「わからない」
「同じキャンパスなのにか?」
「彼女は謎に包まれているのよ。ハロウィンの『守護神伝』のジャケットわかるでしょ? 魔道師の衣のなかが宇宙空間につながってるやつ。あんな感じ」
彼女はうなずき、わたしたちは改札をくぐった。
「さっき言ってたうわさって、誰から聞いたの?」
「先輩の魔法少女だよ。キャンパスであたしが知ってる唯一の。どっちかって言うと、あたしに探りを入れてきた感じだったな。それから連絡がとれないんだ。どうも組織の運営になにかあった感じだった。まあ、関西支部なんて小さな組織、いつ潰れたっておかしくないんだろうけど」

オズとはここで別れざるを得なかった。
ホームに降りると、すぐに電車がきた。それに駆け込む。扉が閉ざされたとき、ガスが車内に充満するみたいに、不安がわたしに押し寄せた。
ひとりきりになると、とたんに非通知の電話が怖くなる。

わたしが部屋に帰ったのを見計らうように携帯が鳴った。これは偶然なの……?
携帯の不気味な振動音は、行くぞ、いま行くぞ、と、魔女が不気味に微笑んでいるかのようだった。

邪悪なうわさの絶えない魔女ロウィン。そのほとんどは真偽を疑うものばかり。リカさんがあいだに入ってくれたからこそ、在学中は彼女にかかわらずにいられた。
リカさん……。
ひさしぶりに、電話してみようかな。

彼女のことを心から許せたわけではないが、今となってみれば、彼女の気持ちも解らなくはない。実際、わたしの心だって、卒業後には同じくらい屈折してしまった。
魔法「バッテリー」――携帯の電源をほんの数分間だけ長持ちさせられる能力。彼女には魔法の選択肢すらなかったのだから、それを知ったときのショックは計り知れないだろう。性格が歪んでしまっても無理はない。当時の彼女の年齢を通過して、ようやくそんな心境になれた。
長い歳月の後の、メタ「リカ」との和解。わたしはますますデイブ・ムステインみたいだ。

ところが、思い切って電話したはいいが、つながらない。現在使われておりません、と機械に告げられる。
今度はレイに電話する。彼女にはすぐつながった。
わたしは挨拶もそこそこに、すぐ用件を切り出した。「あのさ、リカさんと最後に電話したのっていつ?」
「リカさん? どうだったかな。……そうね、半年くらい前だと思うけど」半年前か。微妙だな。
「家庭のことをいろいろ相談したの」
って、おまえまた、独身女にそんなことを……。
続きを話そうとするレイをさえぎって、「そのときのリカさんの番号は?」
「え、学生のころと変わってないよ」
「……そう」
しばらく簡単なやりとりをして、「ありがとう」と電話を切る。レイの話からすると、少なくとも半年前までのリカさんには、特に変わったところはなかったようだ。
彼女は番号を変えた。ただそれだけなのかもしれない。

翌日、女子社員Aと女子社員Bのうわさ話はこうなっていた。
「――佐々木さん、ついに美少女とつき合っちゃったね」
「ねー」
ふー、嫌んなる。どうしてこう情報のアップデートが速いのだろう。そして毎回、根も葉もないわけでないところが恐ろしい。トイレの個室で、わたしは感嘆してしまう。
「あれ、未成年じゃないの? いいのかな」
「さあ。いろいろな愛の形があるってことよ」
またいい加減なことを。
けどいい。わたしは彼女たちの、それこそ魔法のような情報収集能力に乗じて、もうひとりの女のことを聞きたいのだ。彼女たちによれば、たしか、ストーカーは二人いて、そのオズでないほうは、年齢不詳の女だということだった。年齢不詳とは、まさにあの女の形容詞。
聴覚に意識を集中させる。個室の壁に耳を押しあてる。
「それより、彼氏のことで相談があるんだけどさ」
ふぁっく!

おぎらわさんの電話番号を、わたしは知らない。
あえて訊かなかった。彼女の側に、そうした他人と馴れ合う空気がなかったこともあるが、相談したいことがあるときは、会って、直接話をしたかった。
最後に会ったのはいつだろう? 就職のあいさつのときだから、四年も前――。そのときのおぎわらさんとの会話を思い出してみる。

あの日は……下北沢の街は変わらず賑わっていて、あたりはすっかり春めいていた。わたしの気分に関係なく、季節は巡るのだと、そんなことを考えていた。
彼女の衣服店に立ち寄り、自分の進路を告げると、「――そっか、就職すんのか」彼女はそう言って煙を吐きだした。「あんたほどの魔法少女なら、キャンパスに残れそうなものを。リカなんかより、わたしはよっぽど好きだけどな」
「……不安です」と、何に対してかもわからず、弱々しく答えた。
彼女がわたしを見る。「先のことなんて誰にもわからんさ。わたしだって、いつ店をたたむかわからん」
「そうなんですか」
「不景気なんだよ」
わたしも彼女を見る。どぎつい色の、他人の目を引く短髪。ピアス。板についたパンクファッション。彼女はずっと変わらないのに……。

たがいに口数は少なく、おぎわらさんと彼女のタバコの煙を、わたしはぼうっと眺めていた。その後も力なく、ただ突っ立っていたと思う。
「ま、がんばれや」おぎわらさんは、最後にニカっと笑った。口の隙間にきれいな歯並びが見えた。あまり見せたことのない彼女の表情。はっきりと記憶に残っている。
「はい、またバンドTシャツ買いにきますね」わたしは答えた。
会話らしい会話なんて、それくらいだろうか。

いま思えば、おぎわらさんらしいとも、らしくないともとれる、あの笑顔の意味が引っかかる。わたしは、自分のことしか見えていなかった。彼女の心中は、あのときどうだったのだろう。つらいときほど、彼女は笑うのではないか。
あれ以来、彼女の店を訪ねていない。わたしの最後の台詞に偽りはなかったが、社会人になってから、バンドTシャツは完全にパジャマの扱いになってしまい、新品を求める必要がなかったのだ(あんな気味の悪いゾンビが描かれたものを、日中どうして着られるだろうか)。もっといえば、現在、新品のストックすら残っている。
よし、次の休みの日に訪ねてみよう。

土曜日の下北沢――、
おぎわらさんの店はどこにもなかった。涙がでた。
おぎわらさん……、大好きだったのに。もう会えないかと思うと、涙があふれて止まらなかった。

リカさんが消えて、おぎわらさんが消えた。
そういえば、最近、水泳の金メダリスト、ディーパさんの話題もニュースで見ない。嫌な予感がする。
わたしの知る魔法少女の関係者が、三人も消えた! 今やわたしのまわりには、秘密を知らないレイと、関西で忘れられていたオズの二人しか残っていない。わたしは魔法少女研究会の十期生と呼ばれているが、九期生はだれなのだろう? 八期は? 五期、四期、三期……、そもそもわたしたちの他に、魔法少女は存在していたのだろうか。
寒い。心も身体も――。

ようやくやってきたはずの秋に、早くも終わりが見えはじめている。近頃では、肌寒い日が多く混じるようになった。ハルキと会えるお昼のベンチにも、いつまで座っていられるか分からない。今、ここにいて、そう感じている。
わたしの暖炉……。携帯を操作する。ハルキのメールのひとつを開き、眺めた。あなたがいてくれて本当によかった。
深まる秋のくもり空の下、わたしは携帯を抱きしめる。

○  ○  ○

「あいつがさち子?」
オズとわたしは、さち子がハルキと一緒にいる場面を見ていた。
昼休み、わたしはいつものように外のベンチにいて、ハルキと少しだけ会話をした。
その後、彼が、トンネルの形をした駅の通路連絡へ向かったところ、三十メートルほど行ったところで、突然、陰から、さち子が出てきたのだ。もちろん偶然を装ってだ。彼女は駅の構内をまわってきた。でなければ、わたしの目をかいくぐって、あの場所に出ることはできない。

そして、登場人物がもうひとり。茫然とするわたしの前に、どこかからベンチの様子を見ていたのだろう、オズが現われたというわけだ。
「うん、わたしのライバル」わたしは答える。
「ライバルって……」むこうを見ていたオズがこちらを向く。「勝負になんねえよ。あんたなら楽勝だろ?」彼女は不思議そうな顔をする。「なに警戒してんだ」
「あの子は手ごわい」
そう言ってから、わたしは並べたてる。「ああやって待ち伏せしたり、仕事中に話しかけに行ったり、いろいろ差し入れしたり、飲み会でも強引にポジションをとったりする」
「おお」とオズが顔を引く。「見た目によらねえな……。まあ、そういうテクニックに長けたやつっているからな。けど、それって効果あるのか?」
「仲よさそうに見える」
「んん……」近眼の人がそうするようにして、オズは向こうのふたりを見た。「おまえらを外から見たときも、あんなもんだったぞ」
「そうかなあ」
「あ、別れた」
ハルキはトンネルのなかに入っていって、さち子はばつが悪そうに、しばらく時間を置いてから同じ方向へ消えていった。これまで幾度となく感じたように、その姿はみじめらしいものに見えた。まあ、こっちに来づらいのも分かるけど。
「今晩いつもの居酒屋でどう」わたしは訊く。
「おう、いいぜ。連絡するな」
そう、自称ライバルは、この頃ただの飲み友達になってしまったのだ。

「――だから、リフそれ自体が音楽となり得るのが、スラッシュメタルなのよ。オズ、あんた勉強が足りないんじゃないの」
熱く語るわたし。
もし、レイの彼氏インギーに似てると感じたならば、完全に気のせいだろう。議題は、スラッシュメタルの独自性についてだ。
「なんだと。それだって結局ファッションとしてのブラックメタルから発展したんだぞ」
「じゃあ、メタリカはどうなの? ブラックメタルの要素がある?」
「あいつらは特別。というか、時期によっても違うじゃんか。そういうくくりで話すのはやめろよ」
「ん」反論できず、わたしはビールをあおる。
「で、どうすんだ?」
「なにが」
「告白すんの?」
「ごふっ」むせた。いきなり何を言い出すんだ。
オズはセクハラモードに突入したおっさんのように、にたにたとこちらを見る。人の悩みを酒の肴にしやがって。
気を取り直す。一転してわたしは、トーンを落とした真剣な口調になった。「魔法……、決めようかと思ってるんだ」
「ほんとうか」
「ほら、オズが前ハルキにかけたでしょ……」言い淀むが、「ああいう、恋愛のやつ?」
「おい、おまえ」彼女も目つきを変える。「そんなことのために魔法を使う気か!」
「おまえが人のこと言えるか!」
「ふん」と彼女はあっちを向いた。
彼女の魔法をひとことで言えば、グッバイロマンスと、他人の恋心をちょっぴり興醒めさせる魔法なのである。

「わたしが魔法を決めたら、あなただってうれしいでしょ」
「それはそうなんだけどさ……。言いたいのはそういうことじゃなくて、ああ、ホント引くわ。なんで分からねえんだよ。そんなの、幻想なんだって」
いい。それでもいいの。
「具体的なアイディアはまだないんだ」
わたしだって、できれば魔法に頼りたくない。
じっとオズを見る。
「な、なんだよ」
「わたしが、あなたみたいな可愛らしい顔だったらなあって」
「やめろよ、気持ちわりいな」
そんなまごついた顔も可愛い。じっと見つめる。
「ってか、あたしは逆に、あんたがうらやましいけどな」
「まあ、親父うけはいいかもね」
おじさんが、白昼堂々このオズとデートしてたら、完全にロリコン、犯罪者にしか見えない。
「顔、交換する?」
「重症だな」

別の日に同じ店で――、
「……最近ロウィンの顔がよくちらつくんだ」わたしはそう洩らす。「まともに見たのって、一度だけのはずなんだけど」
同時に、携帯の不審な電話もますますひどい。最近では電源を切っておくことが多く、留守電のサービスも解除している。
「ああ、あれは忘れられねえな」とオズ。
「実はね、女の人がわたしをつけてるってうわさが前からあったんだ」しかも二人から。ひとりはおまえだけどな、と思いつつ、もうひとりの女の特徴を彼女に説明した。
「人物的にはそれっぽいな。特に年齢不詳ってとこ。しかし、ロウィンってやつはそんなに暇なのか」
「いえ、忙しいはず。本業は大学の研究者だし」言いながらわたしは、首をひねってしまう。「そう考えると、矛盾するのよね」
「わかんねえなあ。まあ、あんま決めつけないほうがいいんじゃねえか。それに魔法少女研究会なんてもん、いつまでもあると思うか。あんがい、自然消滅したのかも」
「うん……」
そして後半からはオズが酔っ払って、話題は完全な雑談になった。
「あいつらの身に着けてるアイテムって、十字架のペンダントとか、かぼちゃのマークとか、なんだかんだ逃げてるよな。ずりいよ。変なファッションを後輩に押しつけて」
わたしは激しく同意する。基本的に魔法少女は、柱に関連するアイテムを、肌身離さず着用している必要がある。
「オズはなにを身に着けてたの」
「この黒魔術っぽい服だよ」
「似合ってるじゃん」
色はモノクロだが、そのシルエットだけをとれば、おしゃれなセーラー服のようにも見える。
「洗練されてきたんだよ。最初はすごかったんだって。大阪のおばちゃんがこっち見てたしな。あんたは?」
「え、わたしは……」

また別の日に同じ店で――、
「魔法、なかなか決まらないんだ」わたしは洩らす。
現在、天秤で不安な日々とバランスを取るかのように、ハルキへの想いは募り、大きくなっている。
そして考えるほどに、心理系の魔法はいいアイディアに思えてきた。心とは揺らぎやすいものだけに、その、0.01パーセントの差は大きいと思うのだ。しかも、わたしが最強の魔法少女だというのなら、その数値は、0.02、いや、0.03かもしれないのだ。
「まあ難しいよな」オズが応える。「メタルにラブソングがあるとしても、それは壮大な叙事詩だからな」
「魔法少女がもてないのは、それが一因かもね」 

――日増しに感じる。勝負の日は近い、と。いつまでもこのままではいられないだろう。ハルキのことも、魔法少女のこともそう。わたしがケリをつけるべき舞台は、確実に整いつつある。魔法少女でありながら魔法少女ではない、先に進みたいのに進めない。そんな虚ろな日々にわたしは終止符を打つ。

しかし――、
日々の平衡を大きく揺るがしたものは、思いもよらない事件だった。

○  ○  ○

連なるビルの輪郭を、くっきりとした紺色が縁取っている。十一月になり、日はすっかり短くなった。ある帰り際のことである。
オズは残業なのか、ビルのエントランスを出ても、改札が近づいてきても、わたしのそばに来なかった。とても珍しいことだ。だが、オズを待つ義理もないため、わたしはホームに降り、やってきた通勤快速に乗った。

わたしの住むアパートは、最寄の駅からやや離れた場所にある。徒歩十五分くらい。街は、駅の周辺こそにぎやかだが、商店街の一角を抜けてしまえば、とたんに眠りについたようになる。夜九時であろうが、夜中の二時であろうが、暗くなった街中の様子に大きな違いはない。わたしにはそう感じられる。

灯りの乏しい、寂しげな道をゆく。十字路があり、T字路があり、どこにつながるか分からない小道があり、雑然とした、だけど人のいないアスファルトの通りは、はじめて訪れた郊外の街を思わせる。
今、イヤホンを外せば、耳の痛くなる静寂がある。そのタイミングで携帯が鳴ったなら、心臓が飛び跳ねてしまうだろう。電車のなかで電源を切っておいた。そして――、

ある場所で突き飛ばされた。
わたしはミスを犯した。気持ちを強く保つため、イヤホンから、激しいメタルの音を流していたのがまずかった。
帰路の中間点くらい、住宅街のなかほどで、人の気配にまるで気づかないまま、突き飛ばされたのだ。用途のわからない、偶然できたような袋小路へと。
「声をださないで」
女の人の声だった。イヤホンの音の上から、わずかに聞こえた。聞き覚えはないが、相手が興奮していることが分かる。わたしは、声をださないでと言われてはじめて、恐怖のあまり声を出せないでいることに気づく。――だれ?

ほとんど無意識に後ずさった。イヤホンを外す。光の加減で相手の顔がよく見えなかった。
左右にはそれぞれ、背丈ほどあるコンクリート塀と生垣があって、背中にどんと硬いものがぶつかり、後ろにも逃げ場がないのだと分かる。女はにじり寄り、やがて外灯が、その顔を照らした。手にはナイフが光る!

髪の長い、中年の女だった。四十代くらいだろうか。髪はばさばさで、顔が強張り、目は血走っていて、異様な精神状態を感じさせる。けれどまったく見覚えがない。
「だれなの?」
ようやく声がでた。か細い声でも、音量は充分だった。
混乱しているせいか、トンネルの天井からぶら下がった電光掲示板に、「0デシベル」と表示されている映像が頭をよぎった。以前、ハルキとの会話で知ったものだ。それくらいあたりは静まり返っている。

「だれなの……。あなたはそう言ったの?」
震える声で女は言う。「ほのか……、あなたは本当にひどい人ね。いったいどこまでわたしを苦しめるの」
彼女の口から、わたしの下の名前が出た。わたしの知っている人? 彼女は知り合いなの? でも、いったいどこで――。
「あ、あのときの」
思い出すまで時間がかかった。

だが思い出してみて、それは相応の時間だったと納得がいった。あの人だ。女子社員C。彼女から誘われた合コンで、となりの席だった人。意外すぎて、まったくつながらなかった。
それに、容貌も変わり果てている。彼女は三十そこそこだったはずだが、やつれ、目の下に隈ができた姿は、四十にも、それ以上にも見える。
闇夜の寂しい明かりの下、狂気をまとった彼女の姿は、奇しくもメイデンのアルバム『キラーズ』に描かれた、あのエディを思わせた。――つまり、殺人鬼。

「……わたしが、どれだけ苦悩したかわかる?」
「け、けど――」だって、わたしは貴女のことをまったく知らない。あれ以来会ってもいない。
「まったく連絡してこない。やっと電話に出たと思ったら、暴言を吐く。他の女と楽しそうにして、わたしに見せつける。嬉しそうにメールを見て、携帯を抱きしめてた」
「あれは」
「こんなに貴女を愛しているのに」
おかしい……。
なにかがおかしい!
ひょっとして彼女は、わたしのことを誤解しているのでは? あのときの合コンのメンバーを通して、会社のあのうわさが彼女の耳に入った。そうとしか考えられない。
「待ってください。違うんです。わたしは、そういうのじゃないんです。男の人が好きなんです」
「はあ、今さらそんな嘘つかないで!」
「嘘じゃない!」精一杯の声をだす。「わたしの何を知ってるって言うんですか」
「言い訳しないでちょうだい! ここまでわたしを追い詰めたあなたが悪いんだから。もう、終わりなのよ」
そう言って彼女は、だらりと下げていた、ナイフのあるほうの腕に力をこめた。
動けない。恐怖のあまり声も出ない。

そんな……、わたしは刺されて死ぬの? 本物のわたしが存在しない、彼女の幻想に巻き込まれて。
目を閉じてしまいたい。この恐怖から逃れたい。だがそうすれば、確実にわたしは死ぬ。
意志とは別の力で、目が見開かれてゆく。おそらくは、最後のこの光景を、網膜に焼き付けるために――。

そのときに聞こえてきたもの。
現実と妄想の狭間からやってきたようだった。

……歌。子供のうたう歌。耳を疑った。刃物を持つ彼女の背後から、大きな、調子っぱずれな歌が聞こえてきたのだ。

ストーカーは何事かと振り返る。女の身体が邪魔になって、わたしの位置からは見えない。英語の歌詞? 段々とメロディラインがわかってきた。この曲は――、 

わたしはようやく身体を動かし、女の脇から歌の出もとを見た。
オズだった。オズが、両手をお腹にあてて、合唱コンクールのときのような姿勢で歌っている。
「ぐっばい、つー、ろーまんす。ぐっばい、つー、ふれんど」
「あなたは……、ほのかの恋人」
オズはかまわず歌いつづける。というより、女のほうを見ていない。それこそ合唱コンクールで、何十メートルも先、会場のいちばん奥を見て歌っているようだった。

あいつはいったい何をやってるんだか。
と、今ならわたしが動ける。金縛りの魔法が解けたみたいだった。
女が呆気にとられているところを、凶器めがけて、地面を蹴る。その腕をつかんだ。ナイフが地面に音を立てて落ちる。
「くっ」
女がわたしの腕を振り払い、背を向けた。そして、いまだ合唱コンクールの姿勢でいるオズの横をすり抜け、次の瞬間には視界から消えた。
足音が遠ざかってゆく。
……助かった。

「オズ!」わたしが呼びかけると、彼女は、はっとした顔をした。
そして言う。「ふう、なんとか魔法が効いたみたいだな」
「どうしてここに」
「会社を出るのがちょっとだけ遅れたんだよ。そうしたら、あんたがつけられてるのを目撃して、それで追ってきたんだ。しかし、びっくりした! 超本気のストーカーじゃねえか。怖えよ。だれだ、あいつ」
茫然とするわたしは、小さな声で訊ねた。「あの歌は」
「聴けばわかるだろ。魔法だよ。歌えば、魔法の効果が上がるかと思って、いちかばちかやってみたんだ。恋愛の幻想を崩すのがわたしの魔法だ。ストーカーにはうってつけだろ? うまくいってよかったな」
彼女にわたしは飛びつく。それから、ぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう、ありがとう」恐怖の反動から、感謝から、涙がでる。
「やめろよ」照れ臭そうにオズは言う。
「オズの勇気のおかげだよ。わたし殺されてたよ。何もわからないまま死んでたよ。あなたが気を引いてくれたから助かった」
わたしは彼女を離さない。
「まあ勇気っていえば勇気だけど、けど、魔法だろ?」
「違うの。わたしたちの魔法にそこまでの力はないから。下手したら、あなたが刺されてた」
「ええー!」オズは叫び声を上げて、わたしにしがみついた。とても強い力で。

そこを去るときに、もう一度現場を振り返ってみる。
ざらついた、冷え冷えとするコンクリートの上に、蛍光灯の弱い明かりに照らされながら、鈍くナイフが光っていた。
「夢じゃない、現実だよ」と。鈍く、鈍く。

===
【おまけ】
アイアンメイデン「キラーズ」

【作者ひとこと】
あ、あと2話……。皆さまどうか、応援よろしくお願いします!


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