見出し画像

虹をつかもう 第13話 ――晴――

翌日――、
ぼくが登校し、ツーが不在という昨日は考えられない状況が、ここにある。

一応、ひと晩中悩んだ。
今日登校しないことは簡単だ。仮病でも使えばいい。親はこんな状況に気づいていないのだし、どちらかといえば優等生だと思っているぼくのことを、怪しむこともないだろう。
けれど、今日を休む。そうすると、明日も休んでしまう。その先も、その先も……。できればドロップアウトなんてしたくない。

状況は、昨日に比べ、はるかに有利なのだ。ぼくには七瀬さんがついてくれた。別れ際にはやや頼りない発言もあったが、ツーを倒し、ワンをも屈服させた。

総合力がものを言う世界で、〈コネ〉のない彼が、序列の一位になったという気はない。だけど、〈オーラ〉に加え、喧嘩の強さを指す〈腕力〉では、クラスのトップに立った。実際のところがどうあれ、一軍と二軍の精鋭を、彼は突破したのだ。彼ひとりでも充分な対抗勢力になる。

ぼくは、その傘下に入り、安全度は格段に上がった。
また、ぼくのことを仲間だと言ってくれた彼にも興味がある。そしてなにより、彼を仲介として、憧れの芸人、セイウチ・ウォルラスさんに弟子入りをするチャンスが出来上がりつつある。
千載一遇のこのチャンスを、どうして反古にできようか。

ぼくが時間ギリギリに教室に入ったとき、七瀬さんはいつものように席にいた。他の奴らも昨日のことなんて何もなかったかのようだ。不思議な気分になる。すぐ、ホームルームがはじまった。

「残念なお知らせがあります」誰とも目を合わせずに担任が言う。トラブルには慣れてしまったというか、教科書を棒読みするときと同じ、事務的な口調に聞こえる。「ええ、南野くんが、家庭の事情で、二、三日お休みするそうです」
本当に残念なお知らせだ……。二、三日で済むのか。七瀬さんの蹴りが、あまりにきれいに入り過ぎたためか。悪人が長生きするというのは本当だな。

クラスの空気は、再度こう着状態に突入した。ただし、その勢力図は大きく変化している。一時、独走状態であった不良連合が、遠巻きに七瀬さんを見る。
「あの、七瀬さん……」
午前中の休み時間、ぼくは彼の机に近づき、そう話しかけた。
周囲からはさぞ露骨な態度に見えたことだろう。彼が返事をしてくれるか、不安であった。昨日の出来事がすべて幻であるような空気が、彼のまわりにはあった。ここで無視されてしまったら、ちょっと目も当てられない。
「うん、どうした」
ぼくは胸を撫で下ろす。「セイさん、なにか言ってました」
「ああ、昨日じじい見なかったな」
「なんですか、それ」
「あいつ、けっこういないときあるからな」
「テレビのお仕事ですか」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「どんだけ無関心なんですか」

七瀬さんの表情は、いつもより穏やかに見えた。敬語で話すぼくに、なにを命令するわけでもない。周囲の視線も、それほど気にならなかった。
「じじいに、なんて話せばいいの」
ぼくは語調を強める。「弟子にしてください。なんでもします、とだけ」
昨晩、覚悟を決めてきた。一度はあきらめた人生だ。ぼくは夢を追う。
「あいつ、いいって言うかな」
「お願いします」
「とりあえずじじいには、俺の感じたままを伝えるぞ」
「はい」
「うまくいけば、住人になれるかもしれん」
「え」例のアパートの……?「光栄です」
住み込みになるのだろうか。
「あの、家賃とかは?」
「……家賃ねえ。交渉次第かな」

その後、しばらく雨の日がつづいた。何日も。
ぼくはときどき、七瀬さんの席に話をしにいった。七瀬さんはわざわざ本をしまってくれる。教科書ではないその本には、紙のカバーがかけられており、ぱっと見た感じ、カラー刷りの小難しそうな本に見えた。
「昨日はセイさん、いました?」
「いたのかもな。冷蔵庫のプリンなくなってたし」
「プリンって。でも、似合うなあ」
緩やかなトーク。藤沢たちに対してしていたような、大げさなものじゃない。まったく話しづらいことはなかった。相槌も打ってくれるし、ときどき微かに笑う。同級生という感じではないが、はじめての仲間という気すらした。

事件から四日後に、ツーが学校に復帰した。改めて見ると、ネズミにそっくりな顔をしている。彼は、不機嫌な、邪悪としか言いようのない面構えをしていた。クラスに変化があるかと心配したが、ツーは不気味なほどおとなしい。ワンにしても、ツーにしても、相当、七瀬さんを警戒している。

七瀬さんは、その週は二度ほど、午後、いつものように帰ってしまった。
一応ぼくを気にかけるようなことを言った。「晴れだから、大丈夫」と。
なぜ、晴れだと大丈夫なのだろう。風水か、なにかか?
相変わらず、その言動は、よく分からないところが多い。けれど今では、なにか根拠があるのだろうと、ぼくには思える。天気予報のとおり、「晴れだった」ためか、七瀬さんがいるときと変わらず、一軍二軍がぼくに手を出すことはなかった。
晴れだとなぜ、ぼくの身が安全なのか――。

この記事が参加している募集

ぜひサポートをお願いします!良い記事を書くためのモチベーションにさせていただきます!