神戸の街は思っていた以上に優しかった~神戸旅行記1日目~

 マンボウが解除されていないのに何を考えているんだと思われるかもしれないが。3月11日から12日にかけての1泊二日で神戸に行ってきた。スカイプ仲間のmちゃんが誘ってくれたのだ。
 彼女に会うのは昨年の12月に名古屋に行った時以来約3か月ぶりだった。そして神戸に行くのは一昨年の2月以来2年ちょっとぶりである。
 正直なところ、神戸に行く直前まで不安で落ち着かなかった。冒頭でも書いたように、まだマンボウが正式に解除されていない中で行くというのもあるが、前回の名古屋よりも一人で遠出する距離がさらに長くなるので、いろんな意味で本当にだいじょうぶなのだろうかととにかく不安だった。
しかも今回は前回の名古屋の時のように、自宅最寄のバス停から新幹線の改札口までのヘルパーさんの同行援護をあえておねがいしなかった。mちゃんの勧めでそうしたのだ。今後の活動の発展のためにも、いずれは一人でJRの改札まで行けるようにならなければと思ったからだ。

 当日はコートを着ると熱いぐらいに暖かかった。いつも外出する時に持っていくショルダーバッグと、背中には着替えや薬などが入ったリュック、そして左手にはお土産やおやつが入った紙袋を下げて、さらには人生初の2枚マスクをして家を出た。
 そこからバスで約50分かけて浜松駅に着いた。さあここからが本番である。
 新幹線に乗る前にお手洗いを済ませておこうと、バスターミナルのお手洗いに向かった。
 駅同様、バスターミナルの中を一人で歩くのも久しぶりなので、無事にお手洗いまでたどり着けるか不安だった。
 だが実際に歩いてみると、おもしろいほど体がお手洗いまでの行き方をちゃんと覚えていたのだ。さすが数年前まで仕事やプライベートでほぼ毎日のようにバスターミナルを利用していただけあるなあ。
 しかしお手洗いを済ませてからが難関、一人で緑の窓口までたどり着けるかだ。
 地元の盲学校にバス通学していた頃に、駅の中の歩行訓練を受けたことがあったので、全く歩いたことがないわけではなかった。しかし駅の中はバスターミナル以上に一人で歩くのが久しぶりすぎて、緑の窓口までたどり着けるか自信がなかった。
 バスターミナルから駅に続くエスカレーターを降りてからは記憶を頼りに歩くしかなかった。
 エスカレーターを降りて少し真っすぐ進むと、確か直進の点字ブロックがあったはずだ。しかしどこまで進んでもそれが見つからない。早くも道に迷ってしまったようだ。
「どちら行かれますか?」
 と、その時ご婦人らしき女性が声をかけてくれた。よかった、これで一安心である。
「あの、緑の窓口に行きたいのですが…」
 こうして無事にどうにか緑の窓口にたどり着くことができた。浜松の街中もまだまだ捨てたもんじゃないなあと思った。

 それからは驚くほどスムーズに事が進んだ。
 緑の窓口に入ると、新神戸までの新幹線の切符を往復自由席で買った。予定していたよりも1時間早い新幹線に乗ることができそうだ。
 浜松駅にもストリートピアノがある。新幹線のホームまで駅員さんに誘導されている途中、そのピアノから『花は咲く』の演奏が聞こえてきた。この日は3月11日。東日本大震災から11年になる日だ。震災が起きた14時46分を、今年は神戸に向かう新幹線の中で迎えることになるようだ。

 14時31分発のひかりで浜松を出発した。
 窓側の席に座ったのだが、マンボウの影響なのか、平日の午後だからなのか、新幹線の中は空いている様子だった。新神戸に着くまで通路側の座席はずっと空席だった。隣に気を使わなくてすむのでちょこっと安心した。
 車中では少しウトウトしたり、読書をしたりして過ごした。新大阪の辺りでmちゃんとフェイスタイムで繋がった。新神戸で降りたら、駅員さんに地下鉄の改札まで連れてきてもらってとのことだった。

 16時過ぎに新神戸に着いた。
「目の前に段差が1段ありますので…」
 新幹線から降りる直前、乗務員さんから言われた一言のイントネーションが関西なまりだったことに、自分は今遠い土地に来たんだなあと実感した。
 mちゃんに言われた通り、地下鉄の改札まで連れていってほしいことを駅員さんに伝えた。
 前回神戸に来た時は、新幹線の改札の前でmちゃんたちと待ち合わせて、そこからはほとんど友人の車で移動していたので、神戸の町はもちろん、駅の中を歩いたのも初めてだった。そのためか、新幹線の改札から地下鉄の改札までかなり距離があるように感じられた。
 本当に地下鉄の改札にたどり着くのだろうか、無事にmちゃんと会えるのだろうかと不安だった。
 果たしてmちゃんは地下鉄の改札口に居た。とりあえず無事に再会できて良かった。

 当初の予定では、地下鉄で三ノ宮まで移動して、駅の中の鎌倉パスタで夕食を食べる予定だったのだが、1時間も早く着いてしまったので、三宮のミスドで時間を潰すことにした。
 新神戸駅の地下鉄のホームに降り立った時に鼻を突いた地下鉄の匂いで、地下鉄に乗るのは京都の盲学校に通っていた時以来10数年ぶりだったことに気づいて、何だかとても懐かしい気持ちになった。
 三ノ宮駅で立ち寄ったお手洗いで、女子トイレには3角のマークが、男子トイレには4角のマークがついていることを、恥ずかしながらこの時初めて知った。全盲同士、あるいは単独で外出することよりも、ヘルパーさんや家族と外出することの方が多いので、トイレのマークがあること自体知らなかったのだ。晴眼者と一緒の外出は確かに安全かもしれないけれど、その分知らずに通り過ぎていることも多いんだなあと、自分のこれまでの外出の仕方を反省したくなった。

 ミスドではドーナッツは食べずにお茶だけにした。その席で荷物を軽くすることも兼ねたお土産交換会をした。私はmちゃんにウナギパイを、mちゃんからはバームクーヘンとゴーフルをもらった。荷物が軽くなるどころか逆に増えてしまったけれど、それでもずっと食べたいと思っていたバームクーヘンとゴーフルがもらえてとても嬉しかった。
 その後鎌倉パスタで夕食を取った。私はフレッシュバジルのトマトソースパスタを食べた。ちなみにこの時のメニューは予め「ユーメニュー」という、視覚障碍者向けのメニューアプリで調べてから決めた。
 a型作業所で清掃補助の仕事をさせてもらっていた丁度10年前、鎌倉パスタの工場の清掃にも何度か同行したことがあった。工場の階段や手すりを1日中ふきつづけるという、とても苛酷な仕事だったのだけれど、そこでの昼食は社員食堂でできたての暖かい食事が食べられたので、それだけを楽しみにただひたすらに仕事をがんばっていた。鎌倉パスタに行くとそのことを思い出してちょっと懐かしくなる。

 夕食を済ませると、三宮から一駅先の元町駅近くにあるホテルまで移動した。そのホテルに行くのはmちゃんも初めてらしい。
 金曜日の夕方だからだろうか。三ノ宮駅の中は、まだマンボウが解除されていないにも関わらず、人でごったがえしていた。その人込みで方向が取れなくなり、私たちは軽く迷子になってしまった。
 どうしようと思っていると、
「どこ行かれます?」
 と叔母様が白杖を持った私たちに声をかけてくれた。
 その叔母様に元町方面の改札まで連れて行ってもらったのだが、その途中、mちゃんからのお土産が入った紙袋が何かに引っかかって敗れたようで、その中身を盛大に駅の通路にぶちまけてしまった。
「何か袋って持ってます?」
まさかの事態にあたふたしっぱなしの私とは違い、叔母様は妙に冷静だった。
「あっ、エコバッグがあります」
 少し落ち着いたところで、私はいつもショルダーバッグに入れているエコバッグの存在を思い出した。
 そのエコバッグにぶちまけたお土産を全部入れてもらって事は無事に解決した。あの時は叔母様が居てくれて本当に助かった。

 元町駅に着くと、先日私がiphoneに入れた「ブラインドスクエアー」という、視覚障碍者向けのナビアプリの試運転も兼ねてホテルまで行ってみることにした。しかしどれだけ進んでも、一向にナビが開始されないのだ。
 おかしいなあと考え込んでいると、
「どちら行かれますか?」
 とこんどは若そうな男性が私たちに声をかけてくれた。その男性にホテルのフロントまで連れて行ってもらったのだが、そこでもハプニングが起きた。
 手引きされながら3人で1列になって入るにはホテルの入り口が狭かったからか、それとも私の白杖の振りが甘かったからなのか、入り口の扉に左目の下を思いっきりぶつけたのだ。もちろんかなり痛かったが、こういうことには慣れているので今回もだいじょうぶだろうと少し油断していた。
 フロントでチックインの最中、その部分をちらっと触ってみると、そこはぷくっと膨らんでいるようだった。これはまずいと思った。
 それぞれの部屋の中の説明を受けた後、アイシングようの氷をもらってしばらくそこを冷やしたら、次の日にはだいぶ良くなっていた。大きなけがにならなくてよかった。

 少しゆっくりした後、私の部屋に集合しておやつタイムが始まった。mちゃんは行きつけの喫茶店のクッキーを、私は先日初めて一人で行った近所の移動スーパーで買った冬季限定のポテトチップスを並べて、12月に名古屋で一緒だったtさんにスカイプを繋げて2時間ほど盛り上がった。
 その後シャワーを浴びて、寝るまでの一人の時間が訪れた。
 せっかく神戸に来たのだからとradikoを立ち上げて関西のラジオをあちこち聞いて回ったのだけれど、おもしろいと思うような番組がなかった。
 結局iphoneをミュージックに切り替えて、ライブラリーの中の音楽をしばらくシャッフル再生していた。
 ふと、アシッドマンの『アルマ』という曲に耳が、いや心が止まった。
 音楽という物は、その時の精神状態や環境によって聞こえ方や響き方が変わると言うけれど、この時もまさにそれだった。
 生まれつき全盲の私は、星空を見た経験が全くないのだが、神戸のホテルの1室で聞くアシッドマンの『アルマ』に、不意に旅先で見上げた星空に、「うわー、綺麗!」と感動する感覚って、きっとこういうことを言うんだろうなあと思った。それはまるで満天の星空に見守られているようだった。
 曲が終わりに近づいた頃、思わず部屋の窓を開けて外の空気に触れてみたくなったけれど、残念ながらその窓は開かなかった。それでもとても穏やかな気分になれたのは確かだった。今夜はこの気持ちのまま眠ろうと思った。
 ※二日目に続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?